2016/6/19
久しぶりに温泉旅行で伊豆長岡に来てました。
家族サービスだったので、勝手に周辺散策する訳にもいかなかったのですが・・・2日目の早朝・朝食前に5時出で散策へ
一年で一番日が長い時期だったので、5時でも十分見学できるくらい明るくなってましたね(・ω<)b
・・・7時には朝食だったので、それまでに戻る必要もあったのねw
ちなみに韮山城が近くにありましたが、ソチラは以前訪問済ですので、この時は未訪問の史跡をメインで巡りました・・・今回はその際の自分の好かんあの人達に関する場所をご紹介
人物嫌いでも歴史的史跡は見たい訳で・・・蛭ヶ小島へやってきました。
・・・以前は戦国時代のみの散策でしたが、近年は戦国時代~鎌倉時代まで範囲が広がってます。。。個人的にこの間の歴史小説が面白いので(^ω^)
・・・どうも幕末には興味持てないんですよね。。。大河ドラマ「新撰組」は中国駐在中も現地でBSで見てたのにw
コチラ蛭ヶ小島は平清盛によって源頼朝が流罪で連れてこられた場所ですね。
伊豆半島は当時は陸つながりの部分が少なく、島扱いされていた為にこの地名だった・・・とかw
一応名目上島流しだったんですなw
ここで頼朝は現地の有力者北条氏の娘・政子を娶ったんですね。
一説によるとおしかけ女房だった可能性があったとか。。。
北条政子、当時としては行き遅れの部類に入る年齢だったんですね・・・おしかけた説の理由がそれっぽいですな(-ω-;)
しかし意外と頼朝ってこの時点で齢食ってたんだなw
そういえば頼朝の像って薄っぺらいイメージのが多いですな・・・ここ蛭ヶ小島のも鎌倉の源氏山公園のもビミョーで。。。義経と比較されるからかな?
ただ良きにも悪きにも能力はあった事は確かですし、それ以上に強運だった事は間違い無いですね。
・・・あ、でも最後は落馬で落命したんだっけ。。。やっぱりビミョーかも(0ω0;)
その頼朝以上に強運だったと思われる北条政子
地元だけあって、同じ地域に産湯の井戸が残ってます(あくまで伝ですが)
享年53で亡くなった頼朝に対し、政子は68まで存命だった模様。。。当時としては破格の寿命だったに違いない(汗)
ちなみに井戸の中は藪ってて、一応水は溜まっているものの「飲めません」って解説に書いてありました。
・・・そういえば貞子の井戸も伊豆半島にあるんでしたっけ?
近場だからここにも・・・
きっと来る~
。。。でわでわ( =ω=)/