予告通り、今回は山名城をご紹介。



こちらは戦国時代前・南北朝時代から存在していたもので、寺尾上城(乗附城・整備されていない城郭で見訪問)・寺尾中城(タイミング会わなくて未訪問)とここ寺尾下城こと山名城と呼ばれ、3城が連携取って存在していたとの事です。



戦国時代にも改築されて使用されている様ですが・・・なぜ信玄はこちらの城を利用せずにわざわざ激近の場所に根小屋城造ったんでしょ?



ま、フリークとしてはこんなに有りがたい事も無いんですが(^ω^;)




さて根小屋城から山名城までは1300m(案内が正しければw)一応山中なので、20分は見た方がよいかもしれません。

ここへ向かう途中、幼稚園か保育園の園児を引率した団体とすれ違い・・・その後この山名城まで来たらしく、まぁ~散策中遠くから近くから子供たちの絶叫が聞こえてきまして・・・


いつもソロ散策している自分にゃとても複雑な環境でしたww

危うく堀切見逃しそうになったりw

二枚上の写真の虎口の右手に階段がありそこを上るとすぐに本丸が。

解説版がものすごく年期入ってました(汗)

こちらは根小屋城とは違い、石碑もありました。

展望台的なものもありましたが

眼下は藪で眼前は木々に邪魔され遠望効かず(笑)

と、ここへきてガキンチョ子供達の声が大きくなってきたので、そそくさと退散

見るべきものも他に無かったので。

・・・と、前評判そこそこに高かった山名城のボリュームはこんなもんじゃなかろう?と、結構藪になっているものの進めそうな場所にむりやり突っ込んできまして


子供達の声が聞こえていたせいか、なぜかこの時の脳内ソングは嘉門達夫さんの「ゆけゆけ川口博」でしたw(←歳ばれるってw)

本丸脇の帯曲輪的な整地のままならぬ場所を進むと

なんと埋もれた解説版・・・一応ここも道で合っていたんですねぇ

ただ、整地が中途半端で、この竹の切り口・・・これ履んだら突き刺さりますよね・・・危ない危ないε=(´Д`;)

やるならもっとちゃんとCUTしてもらいたいもんです(危)


更に水曜スペシャル探検隊の如く進みw

蜂の羽音にビビりながら

一応帯曲輪か横堀かどちらかに見える場所なので引くに引けず

途中からここ道か?って場所を無理やり進んだ結果・・・


山名城入口にあった虎口にたどり着き、そこで子供たちと遭遇w


子供たち大喜び&保護者達ビビりまくりでした・・・そりゃいきなり変なところからオッサン現れたらそういう反応するわなw




保護者に挨拶しつつ・子供たちに山男呼ばわりされつつ(すげぇ~・・・を連呼され、意外と悪い気しなかったwww)山名城を後にし、

山上古墳

山ノ上碑を見て下山しました。


しかし群馬県では碑石3つが史跡として有名らしく、この山ノ上碑はその中の1つなのですが


意外とその保存にお金かけてました(^ω^;)


・・・そうか、だから山上城の整備がおろそかになっているんだ!(←んなわきゃ無いタモさんw)




ちなみに上信電鉄は本数が多く無い為、時刻表を良く確認しておいた方が良いでしょう。


車の訪問の場合は、この山上古墳・山ノ上碑見学用の駐車場があったので、そちらを利用すると良いでしょう。




でわでわ今回はこの辺で( -ω-)v