こんばんは。



いよいよ11月あたりから山城攻略再開予定ですカルビンです(・∀・)



一応熊出現場所は来年初旬まで保留しますが・・・近年熊の冬眠時期が遅くなっている事を考慮してます。。。中には越冬してしまう場合もあるらしいですね(-Д-;)



ま、越冬組はかなり弱っているハズ&子連れにはならないハズだから積極的に襲ってこない・・・と思いたいですが(=Д=)



とりあえずスズメバチだけには注意しつつ関東の山城から徐々に攻めていきたいですね(^ω^;)








でわ早速前回に引き続き春日山城レポ行きたいと思います(・ω・)/



実は南三ノ丸屋敷跡あたりから見るからに幼稚園~小学校低学年の子供のグループがちらほら駆け回ってはいたんですよ。もちろん園児を率先する方々もちらほら見られていたんですけれど。


前回最後に説明した御成街道はガキンチョだらけで騒がしかったです(-∀-;)



御成街道左を登った先の郭は

景勝屋敷

・・・実際ここに建造物あったんですかね?正直ここで暮らすのは不便な感じします(-Д-;)


柿崎和泉守屋敷の方が住みやすそうに感じたのは自分だけでしょうか?(-_-;)



切通しを挟んで反対側の高台が

鐘楼跡

・・・自宅のすぐ脇に鐘突堂なんてあったら、うるさくて生活できんでわないか!(-Д-;)ソウイウコトナノカ?


なんとなく景勝さんが何時もしかめっ面していた原因がここにある気がしてなりません(-ω-;)ホントカ?



御成街道裏道を進んだ場所に

井戸曲輪

水は汚くて飲めそうもありません(=∀=)

すぐ先には「油流し」なる場所が

本丸につながる急坂の事で、ここから攻めても上から油流されると滑って更に下まで落とされる場所だったらしいです。


しかし春日山城が攻められたのって、御館の乱しか無いですよね?実際ここまで攻め込まれるとほぼ落城な気がしますが・・・(後本丸くらいしか無いし(-Д-;))



と言う事で坂道を更に登り(前を歩く引率の先生が肥えた女性の方でひーこら言いながらゆーーーっくり登っていたんです。道が1人分の幅しか無かった為に自分と園児の渋滞が起きてました(-∀-;;;)(爆笑)
それなりの広さの曲輪に到着

はい、春日山城本丸で御座いますヽ(゚◇゚ )ノ


実はこの写真撮るのに、引率するおっさん風先生が長い間説明版に見切れていた(人が撮影しようとしているのに一切気付かずに解説版じっくり読んでいた・・・子供に指摘されてやっとどいたという(-"-;)コドモタチノホウガシッカリシテルヨ)んですが。。。

流石の眺めですね~・・・ちなみにこちらは東側で、北~西周りで南まで木々で眺望が効きません(-ω-)b


ここもさっきと同じ親父先生が見切れていた城碑(他の観光客多い中、こういう場所の傍にいる事自体空気読めていない証拠ですな(-∀-;)

ここでは他の観光客に退く様に言われてました(-Д-)ダヨネ

※( -Д-)<アタリマエタイソウ~♪ってそこには実際につぶやいている自分がました(=∀=)


これは昔設置された解説版でしょうか?文字かすれ気味でした(・_・;)



丁度撮影終えて満喫して移動しようとしたら、園児たちも移動を開始したので、連中とは逆方向へ行く事に(-ω-)


護摩堂跡

諏訪堂跡

護摩堂はなんとなくわかりますが、諏訪堂ってなんでしょうね?


毘沙門堂跡

御堂は閉まっていましたが、前情報で「中をチラ見できる」と聞いていたので近づいてみると

(・ω[扉 チラッ


門の一部に穴開いてまして、そこにカメラ突っ込んで撮影してます(-∀-;)


(-人-)


謙信氏が籠った毘沙門堂とはイメージがかなり違いますなぁ
_s(・`ω´・;)ゞコモルバショガナカタヨ




と今回は春日山城の春日山頂上付近にある遺構を中心にお送りさせて頂きました。



ちなみに春日山城記事は5分割確定しましたのでご案内まで<(_ _)>




@3回春日山城記事は続きますので宜しくお願い致しますm(_ _)m