先の大戦で大陸に行っていた祖父は、軍隊での生活を事あるごとに話してくれた。
入隊で奈良に行って大仏の中に入り、鼻の穴から外を見た事や、若草山を走り回った事。
そして、大陸でのあれこれ。
オランダ軍から奪ったジープの話や、撃墜された戦闘機の風防を加工して、腕時計のガラスを付け替えた話。
無線の受信に苦心している部下がいたので「俺がやる」と代わったら、自分の転属命令だった話。
(自分の昇進連絡だから取れたんだろう、とからかわれたと言っていた)
井戸水には毒が入れられているかもしれないから飲めず、おたまじゃくしが泳いでいる田んぼの水を正露丸と一緒に飲んだとか。
通信隊だったので最前線にいたわけではなかったが、それでも人の生き死にが日常にある世界にいたので、戦後何十年と経過しても夜中に夢でうなされる事があり、その度に起こしに行くと「ああ、戦争の夢見てた…」と現在に戻れたことに安堵した様子でまた横になるのだった。
祖父が他界して、今年で10年になる。
若い頃の祖父がどこでどうしていたかを知るのは、話を聞いていた私や、私の父くらいしかいないだろう。
私が伝えなければ、祖父の歩みは消えてしまうと思い、茨城県から軍歴資料を取り寄せた。
それを思い立ったのは2023年8月の終戦の日。
茨城県庁に電話をし、終戦当時の祖父の名(祖父は復員後、婿養子に入った)を伝えて資料の有無を確認。
あると言うので、そこから戸籍集めを開始。
申請者が孫である私なので、終戦当時の祖父の戸籍から現在の私の戸籍までがわかるものを添付しなければならない。
これがまあ大変時間がかかった。
何が大変だったかって、私の戸籍集め。
結婚してから何回か転籍しているので、それを辿りながら集めるのに時間がかかった。
(転籍なんて易々とするもんじゃないわ)
余談だが、古い戸籍を見るのは面白かった。
文久何年とか出てくるし、筆文字で書いてあったり、まるで古文書。
ようやく全部の戸籍が揃い、茨城県庁に1月17日送付。
一週間後の24日に軍歴資料(の写し)が届いた。
漢字だらけのいかにも役所の資料で、気合と集中力を持って臨まないと簡単には読めないものだった。
今日やっと余裕のある時間が作れたので読んだのだが、確かに、祖父の話で何度も聞いた地名が記載されていた。
どういう経路を辿ってきたのか、やっと私の頭の中で繋げることができた。
資料からは軍隊での生活は読めないけれど、取り寄せてよかった。
今度実家へ行く時に、コピーをとって持っていこう。
(コピーを我が家に置いておき、正本の写しを実家に持って行くべき?)
それを見て父が喜ぶわけではないかもしれないが、なかなかこのような資料を手にすることはなく、貴重な経験になるのではないだろうか。
今、世界中がきな臭く、悲しく、腹立たしく、そしてつらい。
戦争を経験した祖父は「戦争なんて、あっちゃいけないんだよ」と言っていた。
安心して暮らせる世の中になりますように。