日曜の朝、両親が籍を置く会社から連絡があった。
火曜日から臨時の人が来てくれることになった。
その人たちはご夫婦で、元々その会社で保養所でお仕事されていたそうで、引退後は今回のように欠員が出た時のピンチヒッターとして、転々としているそうだ。
昨夜来たばかりの弟は、昼12時には浜松を出なくては間に合わないので、病院に顔を見せて駅に向かった。
まだ父の熱は38度を切らない。ひどい頭痛も続いていて、氷枕を一日に何度も替えてもらっていた。
熱が下がらないのでなかなかリハビリができない。
明日は朝からMRIと血液検査だと言っていた。
雨の中お見舞いに来てくれる人が増え、少し元気を貰ったようで、夕方からは熱も少し落ち着いて、少し食べ物を口に出来るようになって来た。
雨の中お見舞いに来てくれる人が増え、少し元気を貰ったようで、夕方からは熱も少し落ち着いて、少し食べ物を口に出来るようになって来た。
また一週間が始まる。
火曜日から来る臨時の人たちが母とうまくやっていける人であるといいな。
5月18日(月)
朝の父からのメールでは、今朝は半分くらい朝食を食べれたらしい。
食事だけで疲れるほど、頭痛がひどいようだ。
採血、MRIの後、ストレッチャーで透析室へ。
今日は名古屋から父の姉が孫を連れて夕方来ると言っていた。
夕食の準備は私と母でやって、妹は病院への案内で同行してもらった。
父の姉は、透析もしているのに父が働きすぎだと、泣きながら怒っていたそうだ。
今朝の検査Iの結果は、出血していた箇所もだんだん腫れが小さくなってきていて、経過は良好だと言う。
出血のあった視床という場所は体温を司る場所だそうで、熱が出るのはそのせいだという。
でも頭痛の原因は不明だった。
いつものように病院から戻った私と妹は、寮の食堂のホワイトボードに、今回の事で心配、迷惑をかけている事への謝罪、明日から臨時の食事を作ってくれる人が来てくれることと、父の入院について書いた。
mixiにも書いた。 知ってる寮生にもメールでお知らせした。
19日(火) ちょうどお昼頃、会社から担当の人がピンチヒッター夫妻を連れてきた。
年をとった道場六三郎風の旦那さんと、笑顔が優しい奥さん。
旦那さんは和食のプロで、料理専門。奥さんが配膳や洗い物をするらしい。
娘さんが白血病だったらしく、闘病生活を共にしながらお仕事をされていたそうで、私たちの状況をすぐに汲んでくれた。 母をとても気遣ってくれて、私たちの食事まで用意してくれた。
ホッとした。きっと母ならこの人たちとうまくやっていけるだろう。
ピンチヒッター夫婦をウチへ案内した後、会社の人は父の病院へ行った。
父はその人に「引退しようかと思っている。」と話した。
会社の人は
「一度引退されて、充分静養してください。しっかり治してまた復帰していただければけっこうです」
と言った。
父は61歳だ。 再就職なんてもう諦めていた。こんなに嬉しい事はない。
午後、早速今日からピンチヒッター夫妻との仕事を始めるので、私と妹は病院に行ってあげてほしいと母が言った。
夕方、父は熱も少し引いて、食事ができた。
18時半頃、元寮生のご夫婦がお見舞いに来てくれた。
19時過ぎには在寮生も。
こんなにも早く駆けつけてくれるなんて。私も嬉しかった。
お見舞いのみんなが帰った後、ベッドの上で過ごす時間がほとんどの父は、体が痛いと言っていたので、マッサージクリームをつけて、30分位かけて全身をマッサージした。
水曜日の朝、父の熱もピークを超えたようで、食欲も出てきたようだった。
マッサージが効いたのか、腰が随分楽になったとメールが来た。
今週も毎日透析なんだろうか。
父の夕食の時間が来る前に妹と病院へ行った。
新しく来てくれたピンチヒッター夫妻の話をした。
両親はうちの寮の管理人を16年やっている。ずっと2人でやってきた。
父は母が他人と仕事をすることでかかえるストレスと、闘病生活の過労で体調を崩さないか心配していた。
ピンチヒッター夫妻の話を聞いて、父は少し気が楽になったようだ。
人の心配より、自分の心配してって感じだ。
みんなでしゃべっていると、男性のリハビリ師さんが入ってきた。
ベッドの縁に座って、父の背中をさすってくれる。
少し準備運動をした後、廊下まで歩いてみた。
「イヤー、2日分は歩いたな。アー、くたびれた。」
そう言った父は嬉しそうだった。
そうか。もう父が倒れてから一週間になるのか。
父の病室は個室なので、私と妹がいると話が弾み、食もすすんだ。
病院で出されたもの意外口にするなと言われていたが、昨夜寮生がお見舞いに持ってきてくれたイチゴをみんなで食べた。
18時を過ぎた頃から、今日もまた新旧の寮生が8人も来てくれた。
「元気になったら復活祭やりましょう!!!」
「じゃぁ俺、ヤマメ釣ってきます(・∀・)」
そんな話で盛り上がった。
「みんなが来てくれるならカレー作らなくちゃ」と父が言った。
「寮管さんはたまには何もしないでください( ̄□ ̄;)」
笑い声が廊下に響いた。
たくさんの人としゃべって、父も心地よく疲れたようだ。
体を拭いて着替え終わると、昨日のようにマッサージをした。
もうウトウトしている。
部屋の電気を消して帰宅した。
木曜日。私は東京へ戻る事になっていた。妹も出国前に関西の友達の家に挨拶に行くため、夕方には出発する事になっていた。
朝の父からのメールでは、「昨夜はあのままぐっすり。解熱剤なしで眠れて、今朝は37.4度だった。朝ごはんもしっかり食べれたよ(・∀・)」との事。
入院以来毎日透析が朝9時半頃からだったので、それまでに病院に顔を出そうと思っていた。
9時頃病室に向かうと、途中の廊下で父がリハビリ中だった。
美人のリハビリ師の先生とワルツを踊るように歩いていた。
ゆっくり部屋に戻り、朝のリハビリは終了。
看護師さんが「今日は透析なんだって。じゃぁ午後からシャワー浴びよっか(・∀・)」と言ってくれた。
一週間ぶりのシャワーだ。
それから午前中はいろいろ話した。 父は子供達にまだまだ好きな仕事をそれぞれ頑張ってほしいと言った。
何かが私の中で吹っ切れた。
また東京に戻って服作ろう。
父は昼食を食べると少しまた熱が上がってきた。
充分しゃべった。今日は透析がないんだから、ゆっくり休めばいい。
昨日は8人もお見舞いに来てくれたんだ。
今夜もきっとたくさん来てくれる。
今のうちに休んだ方がいい。
横になった父に、
「それじゃあ行くね。またいつでも呼んで。お母さんは遠慮するから、困ったらすぐ呼んで。」
そう言って、病院を出た。
帰りの新幹線、私もそれなりに疲れていたようで、東京駅に着いていることに気付かないまま爆睡していて、お掃除のおばさんに起こされた。
その晩の母からのメールでは、12人も寮生がお見舞いに来てくれたそうだ。
そして次の日も。
そして土曜日の夜。
父からのメール。
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寮生やobが来るたびに「寮に必ず戻って来て下さい。オレ達ずっと待ってます」とか「寮に寮監さんがいないのは寮じゃなくてただの建物なんだよね、オレ達にとっては。浜松の実家無くなるような気分です。」とか言ってくれるのでダメならこの際退職も考えたんだけど、頑張って、早く直してまた寮に戻ると腹を決めた。がんばるわ。」
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このメールを見て思った。もう病気は治ったも同然だ。
私もまた東京で頑張ろう。
あぁ、すごい一週間だったな。
ドラマチックでミラクルな一週間だった。
ただいま、東京。
またよろしくね。





