イザナミ
「荒川さんが常々仰られる、
『人と神の距離を縮めたい』。
これはなぜそのように思われるのでしう…?」
今まで聞かれたことのない、質問だった。
この3月(2017年)から当たり前のように心の底にその思いを持って、ただ一心不乱に駆け続けてきた。その思いに対して、何も疑問を抱くことなどなかった。
しかし、改めて…。
そう、改めてこうして聞かれると、自分自身の心の内が一体、どう答えるのか?そのことに自分自身の、意識を集中した。
あ(荒川さん)
「僕が初めて日本の神さまの物語、
『古事記』に出会ったのが、去年(2016年)の夏のことだったんです。
それまでは本当に、神さまのことなんて何も知らなくて、お寺でも二礼二拍手一礼していたほどなんです
そんな僕が神さまに対して抱いていたイメージは、
『全知全能』、
『夢を叶えてくれるの』、
『苦しい時に助けてくれるもの』、
そういったイメージだったんです
でも一度偶然手に取った古事記を開いてみると、そこには自分の想像とは遥かに違う
神さまたちの姿があったんです。
僕ら人間と同じように、
泣きたい時に泣いて、
笑いたいときに笑い、
喜びたい時には思いきり喜んで、
人間以上に人間臭くて、
人間以上に人間らしい。
そんな姿を見ていくうちに、
気付けばそんな日本の神さまが大好きになっていて、もっともっと知りたいと思って、たくさん神社にも行くようになって、よりその八百万の神さまたちの歴史と背景を、学ぶようになりました
そうしたら、そこにあった神さまの姿、
その正体とは…、『感謝』であったことに、
気付くことが出来たんです
風の中に神がいて、空の中に神がいて、
大地に神がいて、森の中に神がいて、
その中の植物や動物の中にも神がいる。
生きとし生けるもの、そのすべての営みの調和と連鎖で、この地球上の生命は成り立っていて、その営みに、『生かされている』奇跡に対して、感謝の気持ちを持ち、神さまの存在を見た。
そこにあったのは、決してすべてを司る『全知全能』の、神の姿ではなかったということです。
神さまはいつだってどこにもいなくて、どこにでもいる。
日々の当たり前の日常の中の、一つ一つの生命の営みや小さなご縁の奇跡に、神さまを感じて感謝し奉り、そうしてまた神さまもご縁を繋ぎ、また人も感謝し、支え合う。
そうして、ともに歩み続けてきた時間こそが、
かつての人と神が、当たり前にともに、時間を過ごしていた時代の面影だと思ったんです」
過度に崇拝し過ぎることもなく、かといって敬意を忘れず、そうして日々の『当たり前』の日常の中にも、感謝を忘れず、目の前の一つ一つ、一人一人に、たくさんの愛と思いやりを注ぎ、生きていくことこそが、僕は神と人がともに歩む、本来の歩き方であり、人が自分の足で、自分の心で、生きていく人生の歩き方だと思うんです。それを伝えていくために…
僕は人と神さまの距離をこれからも、
ずっとずっと縮めていきたい」
イザナミ
「…そう…ですか…。よくわかりました…」
そう言うとイザナミさんは、小さく息をフッと吐くと、一度微笑んで僕に言う。
そしてそのような思いを持って生きる人にこそ、神は微笑み、力を捧げるものです。
過度な崇拝や、自分の人生を生きられていない依存こそ、神を遠ざける一番の要因です。
あなた様の仰る、『神と人の距離を縮めたい』という、 その思いが、そのような思いではなかったということ、深く承知致しました。
これからもスサノオ、そして私も含めた、八百万の神々とともに、歩いて参りましょう
心というものは、いつだって真実を映し出す鏡です。その内にある思い、本音、意図、そういった一つ一つは良きも悪きも、一瞬一瞬の言葉や表情、仕草、そのすべての積み重ねによって、伝わり続けるものです。
今私にお伝えしてくれた気持ちにまっすぐに、惑うことなくこれからも歩まれてください。もし道に迷いそうになった時は神社に来て、ご神体の鏡の中に自身の心を映し出し、振り返られてください。『何が大切か』を、『何を大切にしてきたか』を」
あ「わかりました…ありがとうございます…」
イザナミ「いつまでも神と人はともにあります…。今日はわざわざ来てくれてありがとう…。
ずっと見守っていますから…」
そう言うと、イザナミさんは姿を消していった。
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