「聴けている」
そう思っている医師は少なくはないように私は感じています。
中には、
「なかなか時間がとれなくて十分に聴けていないよな~」
と自覚していらっしゃる先生もいれば、
患者としては聴いてもらった感覚ではないのに、
医師としては「十分に患者の話は聴けた」
そう思っていらっしゃるパターンは困りもの…。
そもそも現実の診察状況、環境で、
「あなたが困っていらっしゃることは〇〇についてで、
少しでもいいから楽になれたら…という想いがあり、
痛い検査はなるべく避けたいけれど、十分な検査を望まれていらっしゃるんですね」
なんてことはめったにないし、
「私は(医師)あなたのお話しを伺って、
******ということをご希望なさっているようにうけとりましたがそれでよろしいでしょうか?」
といったこともなく、
心のこもっていない事務的な声かけは、
医師に限らずよく耳にするのですが、
「必要なことなのに伝えられていないこと」
このことについても多いように感じています。
私が思うには、
そもそも、患者にとって大事なことと
医師にとっての大事なことの違いもあるように感じていますが、
例え時間がとれなくても、
本当に大事なことは「聴く」という姿勢が必要ではないかと…。
なぜならば、
そこでのすべてが、患者さんのいのちに関わることだから。
病院=いのちの現場
大きい小さいもなければ、
これくらいのことだったら…
ということもないように私は思います。
だから…ということではないでしょうが、
社会全体、個々においての
「いのち」に対する想いが薄いようにも私は感じています。
そして、欠くことのできない患者の伝える力
例え、聴くことができない医師に巡り合ったとしても、
患者に伝える力があれば、
大切なこと、必要なことは伝えられる。
そして、
「わかってくれない!」ということも
少なくなるように思います。
私はよく、「先生はわかってくれない!」
「看護師さんはわかってくれない」って思っていましたが、
そもそも私が伝えていなかったんです。
例え、医師・看護師から聴いてくれなかったとしても、
患者が伝えればよいこと。
まっ、患者心としては、
医師・看護師から聴いてほしいわけですが…
そんなことを言っている私ですが、
よくあるパターンが「あきらめる」
伝えたいことがあって、
伝えれば済むことなんだけど、
あきらめちゃうパターン
どうしてだと思いますか?
いのちのことを考えると、よくない傾向なのですが、
私にはこの傾向があります…
そして、伝えることを自分であきらめた以上は、
何がおきても自分の責任。
これについては、
またお伝えできる機会に…

今回みなさんにお伝えしたいことは、
聴いてくれなければ伝える
わかってくれなければ伝える
まずはそこからなのかな…
伝えてもわかってくれるとは限りませんが、
わかってもらう必要があるならば、
いのちに関することだからこそ、
医療コミュニケーションの技術を駆使し、
わかってもらえるように努力することも必要ですね。
医療コミュニケーションは、
医療者が身につけるだけではなく、
患者も身につける必要があるように私は感じています。
豊の国医療コミュニケーションの集い
私は参加するようになって13年ですが、
毎回、多くの気づきと発見であっという間に終わってしまうワークショップ♫
楽しい時間を一緒に過ごしませんか?