昨日 高津一郎作品・劇団横濱壱座による「くらやみ坂のグッとバイ」を、観に行ってきた。
やっと、少し整理が出来たので、高津一郎氏のことが書ける気がしてきたので、書き始めている・・・。
6月29日 93歳で 高津一郎氏が 旅立った。病床に臥せていたわけではなく、朝、ご家族が気づくいたときには亡くなっていたのだそうだ。
その報を聞いた時には あまりに突然なことで、まさに信じられなかった。だって、この「うらやみ坂・・・」を観た後に、その話を戸部の藍屋ですることになっていたのだから・・・。
高津さんは、本当にダンディーで、格好のいい人であった。とにかく、全てに対して真摯に取り組み、自分を曲げない強い人であった。それでいながら、遊び心も忘れない、僕にとってはあこがれの演劇人の一人であったのです。一徹な生き方をしていたのに、ふだんはとにかく優しい笑顔の絶えない人でした。私よりはるかにご高齢なのに、いつも私の健康のことを気遣ってくれていました。真逆な話なのですが、それほど高津さんはお元気だったし、歩き方も姿勢も、考え方も衰えない、現役人でした。
忘れられないエピソードがあります。東京の某劇団の芝居を一緒に観に行った時のことです。芝居の最中に、あの温和な高津さんが突然「ゲートルの巻き方が違う!」と 大きな声を発したのです。正直、びっくりしましたし、帰りには笑い話になってしまったのですが、高津さんには、我慢のできないことだったのでしょう。高津さんの基盤には常に戦争体験があったことは、確かなことだと思います。だから、戦時中のゲートルの巻き方一つに こだわったのだと思います。
毎年頂く年賀状には、体制の怖さ、権力の傲慢さ、現代の危機感などびっしり書き込まれていました。とにかく、戦争批判、権力批判にぶれない演劇人でした。
色々なことを、教えていただきました。「戯曲は、文章じゃない!怒りが書かせるんだ」の言葉は、いつも私の心に残っています。
そして、私の書くものに戦争批判、体制、マスコミ批判が多いのも、高津さんの影響が大きかった体と思っています。戦争を知らない私の作品には、まだまだだなとお叱りを受けたこともあります。
読書家の高津さんから、色々な本を進められました。色々なものも頂戴いたしました。
携帯もパソコンもお持ちでなかった、高津さんでした。いつも、きれいな字でたくさんのお手紙も いただきました。現代文明にも、真っ向から挑戦していたのかもしれません。もう何年も前のことですが、一度だけ、高津さんの病床からのお手紙の字が、普段とあまりに違うことがありました。そんな中でも、一生懸命に書いてくださったんだなと、感激したことも思い出します。
書き出すと、エピソードも、人柄も、思い出も止まらなくなってきてしまいました。
河童座の芝居は、一つ残さず観ていただきました。そして、深読みすぎるくらい、色々な感想をいただきましたし、難しすぎてもう少しまとまってから・・・など、本当に真摯に観ていただきました。
その 高津さんがもう、観客席にいないと思うと、やりきれない思いです。
本来なら、昨日「くらやみ坂・・」いや、「毒薬と老嬢」についてお話をしていたはずなのに・・・・
私も 高津さんも この「毒薬と老嬢」を、モチーフとした芝居を何回もやってきていたので、楽しみにしていたのです・・・。
昨日の 壱座による作品は、大分高津作品に、手を加えていたようなので、あえて書きませんが・・・ラストシーンは、これが高津さんの脚色なんだと、しっかり受け止めたつもりです。生意気ではありますが、私との解釈が違ったところでもありました・・・・。
そんな話をしてみたかった・・・・・
ご冥福をお祈りします・・・・いつまでも天国で芝居を観続けてください。