(この記事は、11月19日に書いている)

昨日テレビで、政治家プーラン・デーヴィーの話を見た。

以前、「女盗賊プーラン」を読んだことがあったので、

復習の意味もあったが、彼女が暗殺されていたことは

知らなかったので、びっくりした。


彼女はカースト制度の底辺に生まれてしまったために

ずっと虐げられて生きてきた。

だから、生涯かけて、差別と戦ってきた女性であった。

暴力では何も解決しないと知って、政治家になった女性。


カースト制度は、下の位ほど人数が多い。

私は今まで、この世には

少数派が虐げられる場合しか無いと思っていたが、

多数派が虐げられる場合もあると、今更ながら知った。


差別について、改めて考え直してみた。

差別に人数は関係なかったのだ、と。


最近、エリザベス・キューブラー・ロス博士の本を読んで、

死にゆく人々への差別を知ったし。


この世には、なんとたくさんの差別があるのだろう。


生と死。カースト制度。男女。大人と子ども。

先進国と発展途上国。職業の差。

健常者と病気の人。若者と老人。

金持ちと貧しい者。地位のある者、無い者。・・・など。


これらは全部、自分と他者を比べて、

どちらが優れているか競争しようとするから

摩擦が生じるんだ。


本当は、人間ひとりひとりに優劣などないのに。

その人がどんな人であっても、

人である限り尊い存在であるというのに。


「天は人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず」

という言葉が、とても胸に迫ってきた。


私はこの日、真の平等について、やっと腑に落ちた気がする。


差別と戦う、というのは、

今まで弱者だった人が、下克上で上にのし上がることではない。

弱者も強者もなく、すべてが素晴らしい存在と認めあうこと。


「奴隷(or目下or弱者)になら何をやっても良い」

みたいな乱暴な考えは、

本当にこの世からなくなってもらいたい。


・・・そして、私のやるべきことは、この反対。

相手を立てようとするばかりに

「あなたは立派ですね。それに引き替え、私は・・・」

と卑下する根性を直したい。

自分から奴隷の地位に甘んじるって、どうなのよ。

謙虚と卑下は違うのよ。


他の人と同じように自分も尊いのだ、

価値のある強い存在なのだと、

心の底から思えるように努力しようっと。


プーランさん、勇気をありがとう。


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