カルマ(業)とは何でしょう?

 

カルマとは心の反射反応の事です。

 

そのカルマを作り出す原因となっているのが

心の記憶装置・”想”です。

 

”想”には

あなたが長年に渡ってやってきた”行い”や”想い”

が蓄積されています。

 

私達は目や耳から情報を取り入れますが、

その時に”想”が瞬時に働き、

取り入れた情報に意味づけをします。

 

例えば、

あなたは

パプアニューギニアのサッカーチームの

写真を見ました。

 

あなたの”想”には

パプアニューギニアのサッカーチームに関連する情報は

ほとんど入っていません。

 

ですから、

”想”はその写真にたいした意味づけをしません。

「で?これが何?」

と言った反応を示す事でしょう。

 

ところが、

日本のサッカーチームが

ワールドカップに出ている写真を

見たらどうなるでしょう?

 

あなたの”想”には、

青いユニフォーム、日の丸、テレビで盛り上がっている情報など

さまざまな関連情報が入っています。

 

ですから、

その写真に深い意味づけをします。

「おお!日本チーム!この前のワールドカップ、

 頑張ったよね!!」

と、嬉しい気持ちが。

あるいは、

1回選で負けてしまった悔しさなど、

様々な気持ちが噴きあがってくるかもしれません。

 

この違いは、

パプアニューギニアの選手には大した思い入れはないけれど、

日本のサッカーチームにはそれなりに思い入れがある、

と言う事ですね。

 

 

同じ様な写真であっても、

あなたの心の記憶装置に何が入っているかによって

反応が変わってくる訳です。

 

 

 

ではもし、あなたが・・・

 

自分の子供がサッカーをやっているお母さんだったら?

自分の子が日本代表になれるかもしれないお母さんだったら?

実際に我が子が日本代表の選手であるお母さんだったら?

 

自分に深く関係すればするほど、

日本のサッカーチームに関する”想い”は強くなるはずです。

 

反応も大きく変わってくるでしょう。

 

幼稚園の頃から

我が子が出ている試合を応援し、

遠征に出る時には運転手をし、

お弁当を毎日作り、子供と一緒にJリーグを愉しみ、

サッカーの名門高校の受験を応援し、

Jリーグの選手になれたと言って喜び、

日本代表に選ばれたと言って喜んだ・・・、

そんなお母さんだったら?

 

その想いは

私達には想像もつかないほど、

熱いものがあるでしょう。

 

そんなお母さんなら、

日本のサッカーチームがワールドカップに出ている写真を見ただけで、

自然と涙が出てしまうかもしれません。

 

これが”想”の力です。

 

写真を観た瞬間に、様々な思い出達が瞬時に想起され、

感極まってしまう。

 

これが”想”が引き起こす、ごく自然の反応です。

 

これ自体には何の問題もありません。

 

あって当然のカルマ

と言えるでしょう。

 

 

しかしながら、

そのお母さんが、

「皆も私と同じように思うべきだ」

と思ってしまったらどうなるでしょう?

 

「あなた、日本人でしょ?ワールドカップ見ないの?」

「あなた、この選手たちはもの凄く努力したのよ?

 応援するのが常識じゃないの?」

などと、

自分と同じ反応を他者に求めたらどうなるでしょう?

 

他者にはそのお母さんの様な”想”はありません。

 

長年、サッカーに触れてきたお母さんと、

長年、音楽の世界に触れてきた他人。

 

同じ反応をするはずがありませんね?

 

でも、なぜか、

「私がこう思うんだから、あなたも同じように思いなさいよ。」

と言う風潮が一部にあり、

それに合わせている人も居るのは事実でしょう。

 

これが、”概念”なのです。

 

心は反応していないけど、

頭で(概念で)無理やり、サッカーを応援している状態。

 

ママ友に言われたから、

よく分らないけどサッカーを応援している状態。

 

これが”概念で生きている”、”頭で生きている”

と言う事なのです。

 

私達はけっこう、こうした概念によって縛られ、

納得しないまま、心動かないまま、

皆に合わせて生きると言う事をしがちです。

 

でも、それってとても苦しいのです。

 

そのお母さんの様に積み上げてきた”想”が無いのであれば、

サッカーを見ても大した感動は出来ないはずなのです。

 

心と頭が別の事を思っている状態は、

実はとても苦しいのです。

 

「なぜ私は日本チームを応援しているんだろう?」

と薄々思ってはいるけど、皆が応援しているから応援する。

 

そんな心の無い生き方になるのです。

 

だったら、

そんな概念は打ち崩してしまった方が良い。

 

サッカーを見て

本当の意味で感動できるのは、

サッカーに長年触れ、沢山の”想”が出来た人だけのはず。

 

もちろん、

長年サッカーに触れてきたそのお母さんの”想い”は

人として分かろうとしてあげる方が良いのは

言うまでもありませんが、

だからと言って、

”想い”の無いあなたまで同じ行動をする必要はない。

 

だから私は日本代表を応援しない。

そんな選択肢があっても良いはずです。

 

概念で生きるより、心で生きる。

 

それがあなたにとって

望ましい生き方だと思うのですが、

あなたはどう思いますか?