誰かに
受け入れがたい真実を打ち明けなければならない時。
例えば、
・父が末期のガンであると、本人に伝えなければならない。
・夫が良かれと思っている行動が、
実は迷惑でしかないと伝えなくてはならない。
・子供が受験した高校に受からなかった事事を
期待してくれていた両親に伝えなくてはならない。
真実を伝えたくない。でも、伝えるしかない。
人生には、そう言う時が沢山あります。
伝える側としては、
心をしっかり持って、相手に伝えるしかありません。
でも実際は、
「これを伝えたら、相手は落胆する・・。どうしよう・・。」
と、悩み、苦しみ、恐る恐る伝える事になるでしょう。
こんな時、
相手が受け入れがたい真実をどう言うプロセスで受け入れていくか?
その過程を始めから理解していれば、
多少なりとも心は落ち着いていられるものです。
「やはり、落ち込んだか・・・。」
「やはり、怒ってきたか・・・。」
と、相手がとるであろう行動を始めから知っていれば、
多少なりとも、あなたは落ち着いていられます。
ですから、
「受容のプロセス」について学んでおくことは、
とても良い事です。
いざと言う時、役に立ちます。
一緒に学んでおきましょう。
受容のプロセスを理解するために、
精神科医、キューブラー・ロスの
「死にゆく段階」を参照してみましょう。
これは、人が自らの死を受け入れる時に、
どう言うプロセスを踏むか?を体系化したものです。
①否認
↓
②怒り
↓
③取り引き
↓
④憂鬱
↓
⑤受容
死の受容まで、以上の段階を踏むとされています。
最初は、否認から入ります。
「あなたは死にます。」
そう言われて、「ハイそうですか。」と
あっさり受け入れられるのは、悟った者だけです。
普通の人間は、「否認」するのです。
泣きじゃくり、現実を否定するのです。
次に、怒りが湧いてきます。
この時に、誰かに当たり散らす事があります。
どうしようもない悲しみを、怒りと言う形にしてぶちまける。
そうするしかないのです。
ここが、伝える側が覚悟しておかなければならないポイントです。
3番目には、取り引きと言う状態がおきます。
ある程度は死を受け入れつつあるけれど、
どうにかならないか?と模索する段階です。
神や仏にすがるのはこの段階。
お布施をするから、死期を遅らせてもらえないか?
他者貢献するから、天国に連れて行ってもらえないか?
などと言いだす段階です。
真実を受け入れつつも、まだ言い訳や回避行動をとっている段階です。
4番目に、憂鬱が襲ってきます。
受け入れがたい真実を、何の言い訳もなく、
受け入れるしかない・・。
と悟った段階です。
この時は、しばらく落ち込む期間が必要です。
この憂鬱な期間を過ぎて初めて、
本当の意味での受容が出来るのです。
これが、
キューブラー・ロスの「死にゆく段階」です。
これは死を受け入れるプロセスについて語られたものですが、
死に限らず、受け入れがたい真実を受け入れる時、
人はこう言ったプロセスを踏むのです。
これを理解しているだけでも、伝える際に役立ちます。
「怒りをぶちまけられるんだな・・・。」
と最初から知っていれば、
いざ、相手の理不尽な怒りをぶつけられた時にも慌てることはありません。
「言い訳をしたり、その後、落ち込む時があるんだな・・。」
と最初から知っていれば、
相手の言い訳を黙って聞いてあげたり、
落ち込んでいる時にそっと見守ってあげる事が出来るのです。
これらを知らずに、
「仕方ないじゃない。元気出してよ!」
などと、軽い言葉を掛けても、相手の怒りを大きくするだけです。
これらのプロセスは、変わらない。
そう明らかに観て、一つ一つ階段を昇って行く相手を見守ってあげる。
それが出来たら、相手も受容まで、
余分な心の負担を強いられずに済みます。
これらのプロセスは必ず踏まなければならないもの。
そう思って、相手に接する事が、
誰かに受け入れがたい真実を打ち明けなければならない時の
心構えなのです。
また、これらのプロセスは、
”心の生まれ変わり”にも当てはまります。
心が生まれ変わる。
つまり、自分の今までの我を捨て、
新しい自分に変わる時にも当てはまるのです。
仏教を学んでいくと、
あなたもこのプロセスを踏んでいる事が理解できますよ。
新しい自分に、生まれ変わる度に。
いつか、この意味が分る時が来ます。
この記事はとても重要な記事です。
何度も何度も読み返して、
頭に叩きこんでもらえると良いと思います。
(仏教講座・2016年8月10日の記事より)