吉原の遊女・花扇の物語

春をひさぐ
 

 

 

愛する人に何を残しますか?

 

あなたの人生にとって重要な

その答えは

この物語の中に・・。

 

 

春をひさぐ⑨懺悔滅罪


 

この老婆に

真実を語るべきではない・・。

 

平次はそう思った。

 

だが、花扇はどうなる?

 

母に騙されたと

思い続けている花扇はどうなる?

 

平次の心は

引き裂かれんばかりだった。

 

 

平次はもう

幸せそうに語る老婆の顔を

見る事が出来なかった。

 

 

 

”無知は最大の罪である。”

 

釈迦(しゃか)が言ったとされる

その言葉の真意を

今ほど痛切に感じた事はない。

 

 

「娘に幸せになってもらいたい」

と言う想いはあれど、

無知ゆえに

娘は不幸を感じ続けている

と言う

現実を創り出してしまったのだ。

 

やはり、

”無知”は人間にとって

最大の罪なのである。

 

 

しかし、

懺悔滅罪(ざんげめつざい)

と言う言葉もある。

 

無知と言う罪を懺悔すれば

罪は消えるのだ。

 

 

 

言うべきか・・・?

 

言わざるべきか・・?

 

 

 

 

散々悩んだ末、

平次は意を決し

老婆に真実を告げる事にした。

 

 

 

娘が春をひさいで金を得ている事。

 

母に騙されたと感じている事

を老婆に伝えた。

 

老婆はそれを聞いて

怒りを露わにした。

 

「何を言ってるだ!

そんな話、嘘に決まっとろうが!」

と。

 

しかし平次は続けた。

 

幼少期、厳しい折檻を受けていた事。

 

仲間から虐めを受けていた事・・・。

 

 

老婆は怒り狂い

「そんな話聞きとうないわ!

お前はこの村の奴らの仲間かぁ!

出て行け!!

さあ!

出て行け!!」

と、

湯飲みや急須を平次に投げつけた。

 

湯飲みが平次の額に当たり

平次の額から血が滲む。

 

しかし平次は心を鬼にして

冷静に話し続けた。

 

吉原に居てもお金は貯まらない事。

 

花扇は今、幸福を感じていない事。

 

洗いざらい、すべてを打ち明けた。

 

そして最後にこう言った。

 

「お母さん・・。

罪は罪だと認めてこそ、

許されるものなんだよ。

今、

花扇は帰る場所を欲しがっている。

心休まる場所を

求めているんだよ・・。」

と。

 

 

その言葉に、

老婆は

ようやく目が覚めたようだった。

 

長い間、

見ないようにしてきたものと

ようやく向き合ったのだ。

 

知らずに犯してしまった罪と

ようやく向き合ったのだ。

 

老婆の手はワナワナと震え

ついに泣き崩れた。

 

 

それはあまりにも

残酷な光景だった。

 

しかし、

それ以外 道はない。

 

二人が

これから幸福になるには、

それ以外、道は無いのだ。

 

 

 

懺悔(ざんげ)とは、

取り返しのつかない事をしてしまったと、

心底、認める事を言う。

 

一切の言い訳は許されない。

 

例え、

女衒に騙されたとしてもだ。

 

20年と言う時間が

もう二度と取り返しがつかないと

認める事。

 

娘を20年以上もの間、

苦しめてしまったと

認める事。

 

それを心底認めた時、

ようやく罪が消える・・・。

 

失った20年は、

もう二度と戻らない。

 

傷付けてしまった娘の心も、

すぐには戻らない。

 

それを受け入れる事が、

懺悔なのだ。

 


 

 

 

平次は言った。

 

「お母さん。

花扇に手紙を

書いてやってくれんか?

ごめんよと・・。

知らなかったんだと。

手紙を書いてやってくれんか?」

 

 

老婆はしばらく黙った後、

口を開いた。

 

「こんな馬鹿な母の手紙なんて

読みたくもないわさ・・・。

ちっとばかしの金を握りしめ

これで娘を幸せに出来ると思うとった

こんな馬鹿な母の言う事なんて

聞きたい娘がどこにおる・・。」

 

「馬鹿な母?」

 

「ああそうさ

あたしゃあの子に何も教えられん

馬鹿な母親さ。

帰っておくれよ・・。

これ以上

あたしに恥をかかせんでおくれ。」

 

 

 

「確かに・・・

馬鹿な母親だ・・・。」

 

平次の言葉に

老婆は何も言い返さなかった。

 

 

 

 

「お母さん・・・

あんた、あの神社の柿の実を

食べたことはあるかい?」

 

老婆は一瞬、

怪訝そうな顔をしたが

今更 平次に何を隠す事も無い

と思ったのか、

堰を切ったように話し始めた。

 

 

「ああ・・、あの神社の柿は

あの子と一緒に食べたさ。

 

あの子がまだ3つの頃でさ、

その年の柿はよく熟れててな。

 

あの子は

柿を丸ごと一つ平らげてな、

『もう一個。』

とねだってきた。

 

村の人の分も

とっとかにゃならんから

駄目だって言ったけんど

聴きゃあしなくてな・・・。」

 

老婆は懐かしそうに眼を細めた。

 

「仕方ねえから

神様にお願いしてみろ

って言ったらさ・・・。

急いで拝殿さ行って

何やら神様に話しかけて・・・。

 

そんで

『神様が良いって!』

なんて満面の笑顔でな。

 

もう一個 柿の実を頂いて

二人で分け合って食べたなぁ・・。」

 

 

老婆の眼から光るものが落ちた。

 

平次は言った。

 

「それだよ・・・。

花扇が聞きたいのは

そんな話なんだ。

 

気取らんでええ・・。

背伸びせんでええ・・。

 

ありのままを伝えてやるだけで

良いんだよ。

 

その時の柿の甘さを・・。

その時感じた秋の風を・・。

その時交わした言葉を・・。

その時触れた肌の温かみを・・。

 

それを教えてやりゃあ良いんだよ。

 

あんただけが花扇にそれを

教えてやれるんだからさぁ。」

 

 

 

平次の言葉に、

老婆は筆を取った。

 

手が震え、筆を上手に走らせる事は

出来なかったが、

それでも何とか読める字を書いた。

 

大粒の涙が手紙を濡らす。

 

老婆の想いが文に宿る。

 

 

 

長年の重しがようやく取れた・・・。

 

平次はそう感じた。

 

「この手紙を花扇に見せるから。

そんで、

花扇さえ許してくれるなら、

お母さんも江戸にくりゃいいさ。

幸い、わしの屋敷にゃ

余ってる部屋がいくつもある。

そこで機織りでもしながら、

花扇の年季(ねん)が明けるのを

待つがいいさ。

あと、3年もすりゃぁ

花扇は遊郭から出られる。

そしたら

一から やり直しゃぁええ。

 

そんで

二人で仲良う暮らせる様、

償えばええ。

 

なっ?

そうすりゃぁええ・・。

その歳でこの雪国での

一人暮らしは何かと不便じゃろ?

花扇にこの手紙を見せたら、

またここに来るから

考えといてくれな・・。」

 

老婆は手紙を書き終ると、

涙を流しながら、

平次を見上げ、

「娘を頼んます。

娘を頼んます。」

何度も頭を下げた。

 

 

平次は思った。

 

きっと、

この老婆は薄々

気付いていたのだろう。

 

村の者達からだって、

色々聞かされただろうから・・。

 

でも、

それを受け入れる事が

出来なかった・・・・。

 

知らずに作ってしまった罪を

認める事が出来なかった・・・。

 

だから、きっと、

村人たちから頑固者と言われ、

村八分となってしまったのだ。

 

もしそうなら

この老婆もまた

辛い20年を

過ごしてきたのだろう・・・。

 

己の罪を認められず

夢の中で生き続けたこの20年は、

この老婆にとって

どれほど辛い人生だったか・・。

 

平次は頬を伝う涙を拭き、

老婆から手紙を受け取ると

江戸に帰った。


続く。