吉原の遊女・花扇の物語

春をひさぐ
 

 

 

愛する人に何を残しますか?

 

あなたの人生にとって重要な

その答えが

この物語の中にある

 

 

春をひさぐ④桜散る頃

 

 

「見ておくれなんし・・・。

もう桜が散り始めましたなぁ・・。

ほんに、綺麗・・・。」

 

花扇(かせん)は

そう言って外を眺めていた。

 

ぼんやりとした明かりに照らされた

舞い散る花びらが美しい。

 

 

「この桜達ももう終わり・・。

可哀想に・・。

そろそろ

引っこ抜かれちまうんだなぁ・・・。」

平次が言った。

 

 

「ほんに、惨いことですわいなぁ・・。」

 

「いくら遊郭(ゆうかく)を

華やかに魅せる為とは言え、

早咲きの桜が散れば

引っこ抜いて遅咲きの桜を植え、

遅咲きの桜が散れば

今度は菖蒲(しょうぶ)でも

植えるのか・・・。

桜だって

根付きたいだろうにのぉ・・。」

 

 

 

「ほんに・・・。

 

でも

ここは嘘で塗り固められた

夢芝居の舞台上・・・。

 

わちき(わたし)も桜も

芝居道具の

ひとつに過ぎぬ。

 

それが芝居道具の定め。

 

虚仮の世界に取り残された

 わちきを・・・。

 

満たしてくれるのは

ぬし(あなた)だけでござんしょう。」

 

 

「花魁の誠と卵の四角はねぇ

って言うが・・・。

嘘も方便。

有難く受け取らせてもらうとするか・・。」

 

そう言って平次は笑った。


「つれない事言わんでおくれなんし・・。

ほんに、わちきが気を遣ったのは

ぬしだけでありんすよ。」

 

「ハハハ・・。」

また平次は笑った。

 

花扇は

どうせ信じては貰えないだろうと

それ以上は言わなかったが、

これはけっして嘘では無かった。

 

”気を遣(や)る”とは、

絶頂に達すると言う事。

 

花扇は平次にだけは心を許せた。

心を開いて枕を交わす事が出来た。

 

何故だかは自分でも分からない。

 

ただ、

懐かしい匂いがする。

とでも言うべきか。

 

平次に抱かれれば、

身体は一瞬、

満たされるのだった。

 

 

それでも所詮、

川の淀みに取り残された花筏。

 

花扇の心に自由はない。

 


 

 

平次と自由に

泳ぎ回る事を夢見ても、

ただ虚しいだけ。

 

心を殺していなければ

切なさに身を焼かれてしまうだろう。

 

花扇は出来るだけ、

平次が登楼(とうろう)する時は

心を閉ざすようにしていた。

【登楼・・客が店に来ること】

 

さりとて心は自然と開いてしまう。

 

心が開けば

自由になりたいと言う欲が

逆巻く。

 

そして、

満たされぬ欲に虚しくなる・・・。

 

心うらはら・・・。

 

花扇は平次の顔を観る事が

辛くなっていた。

 

 

続く。