ふと思いついて、雨の金曜日、帰り道に先週の新聞の片隅に載っていたギャラリーを訪ねてみることにした。
帰り道にあること。
フィギアを使った写真展であるのが、心のどこかで自分の世界を表現したと思っている私の気持ちをひきつけたのだ。

清澄庭園前で降り、ひたひたと降る雨の中をギャラリーを探して歩いた。
ちらっとネットで確かめただけのあやしげな記憶に頼ってのギャラリー探しは、まるで探索そのもの。

ギャラリーは思わぬところにあった。
大きな倉庫の最上階。しかも、いくつかの現代アートのギャラリーもある。
倉庫用の大きなエレベーターにのり、着いたのは、真っ白な壁のギャラリー。
ゆったりととられた空間がとても落ち着く。写真の数は思ったものより少なかったけど・・・。
倉庫とギャラリーの中でのギャップが私の好奇心をとても満足させてくれた。

また、帰り道、寄り道したい場所が増えたと思うととてもうれしい。
ほんとうに何年ぶりかにかっての仕事仲間たちとデートした。
最期に一緒に仕事をしたのは、20年ほど前になるのだろうか?

すごく親しいというわけではないが、たまに各々電話で近況など話合う。でも、一同に会ってごはんするのは、珍しい。
4人の中、独りを除いてまだ働いている。
そのひとりも趣味の絵で時々個展を開くので忙しい。

会うときのは、お約束は、せっかくだからおしゃれして・・ということ。
ごはんもおしゃれに・・ということで、コーディネイトを引き受けた私は、最初は、噴水公園レストランを予定したものの、土曜でパス。
結局、丸ビルの日本料理店にあいなった。
女性客でほぼ満席のその店、最上階ということもあり、ロケーションはまあまあ。お料理は、こぎれいな盛られ、量は適度でまあ、星3ぐらいかな。

さて、それぞれのおしゃれは・・・。さすがに現役バリバリのときとは違い、シックだったかな。
でも、デザイナーの彼女は、さすがで、ちょいと男装の麗人風で小粋。

私は、いつもの仕事着のジーンズというわけにいかず、ひさかたぶりにマーメイドラインのスカートなどはいてみただけで、街着というよりは、リゾートぽいスタイルだったみたい。

近況から、仕事の話、想い出話、そして、私たちの世代に欠かせない健康と老後の話と・・・盛りだくさんの話題でおもしろかった。
次回は、おいしい天ぷらを食べにいくことになった。
楽しみだ。
ついでだから、季節ごとの例会にしようと提案してみようと思う。
あいかわらず、映画には出かけるし、DVD鑑賞も怠らない。
映画鑑賞ってある意味ラクチンだからねえ。だって、受手でいればいいのだから・・・。

最近見た映画で印象的だったのは、
*闇の子どもたち
*この自由な世界で
*未来を写した子どもたち

『闇の子どもたち』は邦画。タイの小児売春とマフィアにおける臓器移植を扱った映画。原作はヤン・ソギル。もちろん、フィクションだけど、ベースとなるものは現実に存在する。
同じく、『未来を写した子どもたち』もまた、インドの売春地帯で育つ子ども達ノンフィクション映画。そして、『この自由な世界で』はケン・ローチの作品で、イギリスの貧しいワーカークラスに属するシングルマザーの話だ。

3本に共通するのは、貧しいものは、更なる貧しいものから搾取することで這い上がろうとするのか・・という思いだった。闇のこどもたちも、未来を写したの中の子どもたちの悲惨さに手を差し伸べたという気にはなる。でも、経済の底をあげない限り、親に売られる子どもたちはなくならない。

人は、平等であるとか、人の人権がなどという余裕は本当の貧困のなかではありえない。

3本の映画は、私にエチオピアで会った表情のない目をもつ少年を思いださせた。
いつの間にか、連休も過ぎ、私の大嫌いな季節がもうすぐやってくる。
サクラを愛で、季節を感じているはずだったのだが、この間、ひさしぶりに私のベストフレンドとチャットした時、
「ねえ、もう暗くなるから、ショッピング大丈夫?」と聞くと
「いや、今の時期は9時ごろまで明るいから・・・」という答えに
はじめて、季節が夏に近づいているのだと実感した。
北欧の季節の移り変わりを聞くことで、実感する私の季節感とは一体何なんだろうか?
と白夜のスミレ色に輝く空を思い浮かべながら思った。

そう、年のはじめから、季節を横目で見ながら、
心は、どこかほかを彷徨い続け、時間だけが足早に過ぎていく。
なにかをなし得たわけでもないし、なにかに囚われていたわけでもない。

ほんのささかやなその出来事で、自らの人生を垣間見た気がした。

そういつだって心ここにあらずの私なのかもしれない。
なにげに季節を過ごし、なにげにさまざまな本や映画や音楽に親しむものの・・・
たぶん、それは一過性のものに過ぎない。
私の心はどこにあるのだろうか?

そう、これから、どのように生きていくのだろうか?
不透明な時期に入り込んでしまったのかもしれない。
不安がないといえば、ウソになる。
だけど、不安というより、もっと漠然とした言葉にできないものが
心の中で澱となる。




いつの間にか、サクラの便りが聞こえてくる季節になっている。
年初めからあっという間のようにも思えるのは、幸田文氏に言わせれば、ただ慌しげに日々を送っているからにすぎないのだろう。
その通りかも・・・と彼女がほぼ私と同じ年ごろに書いたと思われるエッセイを読みながら、うなづく。
日々を愛しむということなく、目の前にある物事を心置かずに処理していく日々は、
必要以上にスピード感を増すのかもしれない

ブログ・・・を書くという何気ないことさえ、置き去りにして走っている。
もっとも、私にとって、ブログというのは、どれほどの意味をもつのかよくわからない。
たわごとや、ひとりごとなぞ、なにもネット上で発信するほどのことでもないのに・・・と苦笑するもうひとりの私がいる。