理不尽な事件、悲しい出来事は、毎日のようにメディアから流される。

ときには、それらの事件などに憤りを感じ、口角に泡を飛ばさほどに怒りをぶちまけることもある。

でも、ほとんどは、一瞬の痛みで、私の中を通り過ぎていく。


だけど、今回、アフガニスタンで殺害されたNGOの伊藤さんの死のニュースは、私に思いもしないほどの衝撃を与えた。

彼の死をニュースが伝えてから、涙がとまらない。

怒りというより悔しさや空しさなのかもしれない。


そして、なにより娘がやはりボランティアで海外にいることがなにより大きい。

アフガニスタンに比べれば、治安は、よい。

でも、それは、明日がわからない治安でもある。

猟師は、「板子1枚下は地獄」ということがあるとなにかで読んだ気がする。それと同じだ。

未だに、国のある地域では、民族紛争があり、国境には、UN軍が常駐する。

首都だって、あちこちにライフルをもった兵士が目を光らせている。

そんな中でのあやうげな治安の良さなのだ。


娘のボランティア仲間たちにも会った。

彼らは、現地語を手繰り、現地の人たちと同じように水も電気も十分でない地で現地の人たちになじもうとがんばっている。話すことは、その国の人たちの未来にどうすればもっと明るくなるかという思いばかりだった。

赴任したばかりのある青年は、

「任地が決まり、赴任するまでは、ひょっとしたら生きて帰れないかもしれないと思った」と語った。

娘もまた、出発する前、私に

「第一の目標はね。五体満足で帰国すること」とつぶやいた。

私もまた、不安を抱いて娘を見送り、彼女の任地を訪れ、少しは安心したものの、決して不安がさったわけではない。

それでも、それぞれの熱い思いがあるからこそのがんばりなのだと思う。


伊藤さんは、娘の任地とは、比べられないほどの治安状態の国。

任地に赴くには、それなりの大きな熱意とどれほどの覚悟がいっただろうか。

そして、ご両親の想いは、いかほどだっただろうか。

「息子を誇りに思う」そう話されるお父様の気持がとてもとても心に染みる。

そう、海外で、その地の人たちのために一所懸命の子ども達を私たちは誇りに想う。

でも、いつも心も片隅の不安は消え去りはしないのだ。

その不安が現実となった時、「受け入れがたい」というより、たぶんそれは「遠い、見知らぬ世界のもの」としてしかとらえられないのではないかと思う。


なにが、伊藤さんの身に実際に起こったのか・・という真実がいつか明らかになるのかどうかわからない。

ただ、ほんとうに人々の暮らしを思ってがんばっていた一人の青年が、イデオロギーの違いにせよ、なににせよ、

無残に殺害されたことが悔しい。


こんなことで、彼が何年もかけてやってきたことが壊されてはたまらない。


さまざまな分野で過酷な条件下でがんばる人々にエールをもっと送りたい。

そして、なにより伊藤さんのご冥福を祈りたいと思う。