「数字の意味」



7月31日の21時半に神奈川を家族を車に乗せて

大阪に向かって出発いたしました。


日付を越え、、8月1日明け方に大阪に到着し

一先ず身体を休め大阪で有名だと言われている

PL花火大会を目的に家族と1日を満喫する予定

でスケジュールを組んでいました。


体調は絶好調とは言えませんが・・・(汗)

少し気になっていたのは呼吸が重苦しい感じが

ずっとあったり、時々立ち暗みのような感覚もあり

仕事やらで忙しかったのもあれば暑さもあるのか

っと軽く考えてました。



昼には道頓堀付近でお買い物し、、夕方になって

きたので、PL花火が開催されてる会場へと車に

乗って向かいました。

向かう途中急に胸騒ぎと心臓が痛い訳ではないの

ですが、、何故か苦しい感じがしました。



霊体質なので、、(笑)よくある事のひとつだと思って

普通に過ごしてました、、



花火の打ち上げが始まり、車で1km手前になると

路駐してる車がズラッと並んでいてビックリするくらい

人もたくさんいました(ーー;)



そして出遅れて何とか車を道路側に止め8時頃から

打ち上げられていく花火を右手にビデオカメラを持ち

左手には写メを撮っていました(笑)




すると・・・・携帯から着信音が鳴りました。




私「こんな時に、、電話か・・・」



出てみると・・・



父からの電話でした・・・



父「そっちはどう?会ってきたか?」

私「会ったって??」

父「義理父に会って来たんじゃないのか?」

私「会うのは3日だよ

父「あ、、そうなんだ(汗)」

私「何かあったの?」

父「ちょっと・・・話しないといけない事があって

私「ん?なに?」

父「先週の24日に父さんの弟の嫁さんの父が

亡くなったのは、、知ってるよね?」

私「うん、、知ってるけど・・何かあったの?」

父「それなんだけど、、実はさっき連絡があって

父さんの弟の長女が今危篤状態だっていう事

電話がきたんだ」



私「・・・・・」



悲しいという気持ちもそうですが、、それよりも

この時は自分でも止められないくらい涙が溢れ

ポロポロと大粒の涙が頬をつたってました。。


片手に持って撮影していたビデオカメラを下げ

茫然と立ち尽くす私の様子に気付いた主人と

娘が駆け寄ってくれました。。



それから電話でイトコが運ばれた状態を聞きました



父曰く「仕事場で心臓発作を起こして、救急車

搬送されてる最中に、2度の心臓発作を起こして

心肺停止になって息を吹き返したけど、、すぐ心筋

梗塞と脳梗塞を同時に起こしたみたいで意識不明

の昏睡状態だそうだ。。





父との電話の中で・・・ある数字が次から次へと

浮かんできました




それは・・・







「1・・・8・・・3・・・」








当初この数字が何なのか、全く分かりません

でしたが、、自分なりに推測しました。


その日は1日でしたので・・・

連想いたしました。


「8」の数字は8月か8日なのかなっと感じ

「3」は時間の事かな??っと曖昧な感じで

ハッキリと思いつきませんでした。。



そして、、花火もあっという間に終わりまっすぐ

帰りました。



父達は電話の後にイトコがいる群馬へと向かうと

言い電話を切りました。


私以外みんな群馬へと向かっていました。


到着後、、電話をしてみたところイトコは穏やかな顔

で眠ってるかのような様子だと聞かされました。


そして父との電話で搬送された状況ももう一度聞いて

ました。

その会話の中で、、父はイトコが倒れて搬送された

時間が「3時」だったっと聞かされました。。



私は内心驚きを隠せませんでした。。。



自身が見えてた「3」は「3時」だったと言う事だと

感じました。


私が感じると言うより、、危篤状態のイトコが自分の

状況を知らせたのではないかと私は思います。。


心筋梗塞起こした事もあり、、私が呼吸が苦しく感じ

たのも、、もしやイトコのその状態そのものだったの

ではないかと感じました。



父とのやり取りの中でイトコの意識が入ってきたり

していました。

身体から離脱し私達親子に話をしてきました。


イトコ「私の身体は生き返ったとしても・・・持たない

自分は遣り残した事もあるけど、、次にやらなければ

ならない事もあるから、旅立たなければいけない・・」


っと話してきました。





そう・・・イトコからお別れの挨拶です




霊感が強いと、、こういう世界が見えるので・・・

現実で肉体は生かされていても、、本人はほとんど

離脱状態で、、しかもこうしてお別れの挨拶をして来

るので・・・誰よりも悲しみを先に感じ


本人の肉体が尽きる頃には周りは悲しみに暮れます

が、、、私のような人間は先に感じているので・・その場

では平然としているとように思われてしまいます。。



話は戻しますが、、1日のPL花火を見終えて、、2日には

主人のお母さんとお姉さんの子供達を交えて夜に食事

してきました。

食事の最中に父から電話があり、、脳梗塞起こしてから

24時間内に意識を取り戻して手術をしないと見込みが

ないと言われており、、すでに24時間経過していたので

ほぼ脳死状態と診断されました。




この時・・・頭に「4」という数字が浮かびました。。




数字の意味が取りきれず・・・いました。




そして、、3日に会う予定だった主人の父とは都合が

付かないと聞き、、父からイトコの事もあり・・・その日

夜に群馬に行く決心しました。



神奈川から5時間弱かけて大阪に到着し、、滞在時間

は40時間1日半でしょうか・・・

姉夫婦も弟の家族も主人の父とも会えず後ろ髪を引か

れるような思いで大阪を後にし群馬へと600kmの道

のりを車で出発いたしました。


そして、、休憩を十分に取りながら10時間かけて昼前

に群馬の病院に到着しました。


イトコがいる集中治療室へと足早と向かいました。




穏やかな顔で眠ってるかのような感でした。




涙をぐっと堪えて手を握り話しかけました。






私「逢いにきたよ。。遅くなってごめんね。。」





私達家族が到着するまで何度か体温が下がったり

心臓が止まりそうになったりとしていたそうですが、、

私が着く事には安定を取り戻したそうです。。



きっと私達を待っていてくれてたんだね。。っと家族

で話し合ってました。



イトコの身体はフル稼働してる機械で生かされて

ました。



医者が言うようには1週間くらいしか持たないっと

告げられました。


病院を後にし私達家族はその日の夕方16時に

神奈川へと返りました。



それから数日ですが、、変化もなく過ごしてきました



今朝の3時から珍しく主人がわざわざ私を起こし

イトコの話を仕切りに話してきました。


昨日の6日は私は仕事中に何故か虚しさと重苦しさ

に襲われてました。。

途中意識が飛んだりと涙がでそうになったりと・・・

変な一日でした。


実家に子供達を預けていたので・・実家に行くと

母からイトコの事で連絡あったっと聞きました。


その連絡とは「状態が悪化し、、体温も下がり

とても不安定だから、、今日明日が山場と・・・」

との事でした。


その話を聞いてる最中に「7・8」の数字が浮かんで

きました。



いよいよなのかな・・・っと感じました。



このブログを朝の6時から書いてますが、、7時前

に母から電話いただきました。






午前4時に息を引き取ったっと連絡でした。。






母からその時間を聞いた瞬間、、「4」っと出ていた数字

を思い出しました。




「4」の数字は亡くなる時間だったんだっと分かりました




「7」の数字は今日の日付けで、、、



「8」の数字は8月かと思ってましたが、、母の話で

父が早出で5時半に仕事に出たから今日は行けない

から明日行くと話していました。


それと、、明日は火葬する斎場がお休みと言う事でお別れ

が出来るのは7と8の今日と明日だけだそうです。。



私の中でこの数字は偶然なのか必然なのか、、よくわかり

ませんが、、、あまりにも一致する事が多く不思議で仕方

ありません。。。




でも、こうして自身にこのような予知力があって何らかの

形で人を救う事が出来るのであれば、、とても有難い力

なのではないかと思います。



自身整理がつかない部分もたくさんありますが、、

イトコの死によって自身の能力を受け止めいく事覚悟を

心に決めましたm(__)m




彼女の冥福を深く祈っています。






最後までお付き合いくださり有り難うございました





m(__)m
















































2013年8月4日(日)


3日の土曜には群馬県に



「1」は1日?かと