続・大阪で働く | 風を感じて

風を感じて

アラカンに突入。セカンドライフ、ぼちぼち行こか。

2度目の転職からちょうど3ヶ月。
再転職と貫太のことが重なって、この3ヶ月はなんだかふわふわと仕事をしてきた感じです。
それでもなんとか3ヶ月の試用期間を終えて、今月から正式に正社員として採用となりました。

それにしても梅田はやっぱり遠い。
ドアtoドアで70分ほど。
でも通勤だけでも毎日9,000歩前後は歩くので、ま、健康面を考えれば良しとするか。

賑やかな梅田の街中を通り抜けて通う日々にも少しは慣れてきたかな。



雨の日、暑い日はホテルを通り抜け。涼しい。


おばちゃんが乗る大抵のママチャリの前カゴには、ひったくり防止カバーが付いていたり、会社の近くにある消防署と警察署は毎日フル稼働で、なにかしらのサイレンが日常的に鳴っていたり、夜になると大音量と電飾看板と共に「体入」(体験入店)募集のホストクラブやキャバクラのリクルートトラックが走り回っていたり。
スーパーにほんの数分立ち寄った隙に自転車が無くなる街・・・それが大阪。と会社の同僚が言うてました。
やっぱりはんなり京都とは全然違います。

てな感じで、体は馴染んできましたが、気持ちはなかなか大阪についていけていません。


仕事のほうは、WEB制作のコーディングから離れて、3Dモデリング専任となりました。実働部隊のメンバーはボクと中国人の学生アルバイトの二人だけですが。
コーディングはもう3か月以上離れてしまい、すっかり忘れてしまいそうです。スキルは維持したいのですが。

今は毎日、依頼の写真から人物やペットをフィギュア化するための3Dデータなんぞを作っています。

先日、赤ちゃんのフィギュアを作ってほしいとの依頼がきました。その赤ちゃんの写真は鼻にチューブの入った姿で、明らかに障害がある様子。
しかもダウン症のような顔つきでしたが、21トリソミーとは少し違う感じで、18トリソミーとか、とにかく重い障害のように見えました。

実はその赤ちゃんは亡くなっていて、それでも可愛らしい明るい表情で、歯も生えて、髪もくくれるほどに伸びていたので、1歳を迎えたくらいだったのかもしれません。
貫太とも重なって、そのへんのおっちゃんのフィギュアを作るよりも気合いを入れました。
そして3Dプリンターで出力したものを納品しました。
ご両親はとても喜んでくれたそうです。
ちょっぴり悲しい仕事でしたが、家族の慰めや思い出になれたことが本当に嬉しかったです。

今までの世界のあちこちを歩き回っていた仕事とは正反対で、内にこもって没入感のあるちまちました作業ですが、ボクにはこのほうが性に合っているみたい。それで喜んでくれる人がいるなら、60手前にして良い仕事に出会えました。

今の仕事は基本的に在宅でもできる仕事なので、会社を辞めたあとでも、元手が無くても、PCとあとは自分の労力だけ、頭と指先が動く限りは続けていけるんじゃないかと思います。
そのうち、こういう手間暇かかるちまちました作業は、生成AIに取って代わられるかもしれませんが、あと何年か、自分が働けるうちは大丈夫かな。

年金が貰える頃には、孫っちのお小遣を稼げる程度に独立をしたいなと思います。