高野山へ | 風を感じて

風を感じて

アラカンに突入。セカンドライフ、ぼちぼち行こか。

秋晴れの週末、嫁さんと高野山詣に出掛けました。


ちょっとジジくさいですが、歳を重ねる度に、神仏の世界がより身近なものになってきたように思います。


ちょっと出発が遅くて、すでに紅葉シーズンの高野山への山道は大渋滞。


途中の道の駅で梅うどんと柿の葉寿司で休憩と腹ごしらえ。梅が練り込まれたピンクのうどんと関西出汁の風味に、鯖のお寿司が良いアクセントになってとても美味し。


高野山の門前町を通る一本道もさらに大渋滞。

のろのろ進みながらも一番奥の奥之院の入り口、一の橋近くでようやく駐車できました。


標高が高い高野山では沿道のモミジもすっかり色づいていました。




奥之院の入口から杉木立に囲まれた石畳を進み、一番奥の弘法大師の御廟まで約2km。

少し冷んやりとした空気が漂っています。

写真を撮ると魂が吸い取られそうな厳かな雰囲気です。




参道沿いには有名戦国武将のお墓が点在しています。歴史好きにはたまりません。

どれも苔むした巨大な五輪塔の立派なお墓です。

特に島津家のお墓は立派でした。


明智光秀のお墓は少し小ぶりながら、大河ドラマの影響か墓前に新しいお供物がたくさん置かれていました。

そして、その先には「キリン」の企業墓所がありました。


途中に「姿見の井戸」なる井戸があり、覗き込んで水面に自分の姿が映らなければ3年以内に死ぬとか。


そういえば、3年前に西国三十三霊場参りに行った播磨の清水寺にも同じような井戸があり、自分の顔が井戸に映れば3年は生き延びることができるとの言い伝えがありました。


こちらは映らなければ死ぬという怖さ。

霊験あらたかな高野山だと妙に説得力があります。

そして、怖々覗き込むと、井戸の底にニッコリおやじが無事に映し出され、またあと3年は生き延びられそうです。



御供所で20分ほど並んで御朱印を頂きました。

高野山は西国三十三霊場の番外札所でもあるのですが、番外というよりラスボス的存在です。



御供所からすぐのところに「御廟の橋」があり、この橋を渡ると聖域中の聖域、弘法大師御廟に繋がります。


御廟の手前に「みろく石」と呼ばれる重軽石を納めた御堂があり、石を持つと善人は軽く、悪人は重く感じるそうです。

片手が入る御堂の隙間から石を持ち上げて、御堂の中の上段に置くそうなのですが、この石が重いのなんの。そもそも片手で掴めないデカさ。

これだとトライした人はほぼ悪人決定!

ボクも嫁さんも極悪人でした。



御廟は非常に厳かな雰囲気で、1200年前に入定した空海が今も御廟の中で瞑想されているとのこと。

1200年もの間、毎日2回食事が運ばれているそうです。

そんな仏教界のカリスマの1番近いところにやって来ました。

お線香とロウソクをお供えして、家族の安泰をお祈りしました。

特に貫太とはもう3ヶ月会えていません。何度か病院に電話して元気にしているとのことですが、会えない間、健やかに過ごしてくれることをただただ願うばかりです。


今回はそんな貫太も一緒にお参りに連れてきました。








高野山の閉門は17時。

結局、奥之院だけで2時間ちょっとかかってしまい、残り30分で金剛峯寺を駆け足でまわりました。

お寺ですが、いくつもの立派な襖絵、広間や庭園があり、別荘、宿坊のようなお屋敷です。

ただ床が冷た過ぎる。お坊さんの修行には良いかもしれませんけど。





高野山を出るころには、山道から綺麗な夕陽が沈むのが見えました。


この日は満月ハロウィン。

陽が沈んだあとには東の空から満月が昇り始めていました。


慌ただしかったですが良いお参りができました。