小さい頃からずっと疑問に思っていたことがあった。
牛乳について。
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私の祖母の実家は酪農家で、私は毎年夏休みになると長期で酪農の手伝いをしていた。
朝早くから、牛舎を掃除して、サイロに行き、えさやりをして、乳搾りをする。
たくさんの牛が、搾乳機につながれて、規則正しい音を立てながらお乳を出していた。
なぜ、牛は乳が出るのか。
私も子どもを産んで分かったのだけど、
妊娠しないと母乳は出ない。
牛も妊娠していた。
いや、正確には
妊娠させられていた。
牛舎にはもちろん、牝牛しかいない。
妊娠しようがないので、人工的に受精させる。
牝牛は、大きくなるお腹を抱えながらも一生懸命毎日乳を出す。
そして臨月。
牛の出産にも何度も立ち会ったのだけれど、
もうそれはそれは命がけで、お産をする。
人間もそうだけど、牛だって、お腹の中ではぐくんだ命を
この世に生み出すため、白目をむいて、うめき声を上げながら、
命がけでお産をするのだ。
そして、子牛が生まれる。
わらで体を拭かれた子牛は、生まれてすぐに自分の足で立つ。
子牛は、幼かった私にとって宝物のようにかわいくて、
出産の後は興奮で寝付けないほどだった。
次の日からは、子牛のお世話が始まる。
私の出番だ。毎日の乳やりは私の仕事だった。
毎朝、お母さん牛から絞った新鮮な牛乳を、
それはそれは美味しそうな音を立てながら飲む。
私にとって、とても幸せで、今でもほほえましくなるほど
鮮明に記憶に残っている。
けれど、1週間後、子牛を迎えにトラックがやってくる。
子牛は、オスだった。
ドナドナ、という歌を知らない人はいないだろう。
そう、売られていったのだ。
幼かった私にとって、子牛との幸せな日々を奪われる、
毎回悲しい気持ちになる出来事だった。
子牛を市場に出された母牛は、それでもせっせと乳を出し続ける。
乳が出なくなりそうになると、また、人工的に妊娠させられる。
乳牛の一生は、その繰り返しなのだ。
私は幼かったけれど、そのことに、絶望感を持っていた。
あれから二十数年が経ち、私は確信を持って言える。
今日出回っている多くの牛乳は、
牛の、自然な形での、神聖な、妊娠、出産、子育てというライフサイクルが、
人間様の為に、全く無視され破壊されて搾り取られているものだと。
文字通りの「搾取」。
もちろん、今でも自然な形での牛乳が、数少ないけれど存在するだろう。
でも、牛の乳は、今スーパーやコンビニで売られているほど安いことは決してない。
1パック198円ということはない。
19800円でも安いくらいだと思う。
その低価格は、牛の犠牲の上に成り立っている。
私たちは気づく時に来たのではないか。
牛乳さえ飲んでいれば、という刷り込みから解放されるべきではないか。
私は子どものころ、もう一生分というほどの牛乳を飲んできたけれど、
そしてそれは私の体の一部になっているけれど、
牛たちからもらった命をかけて、
これからは、幼い頃私が持った違和感を、
確信に変えて、人に伝えていく仕事がしたい。
神聖な牛の営みを、取り戻せるような日が来るように。