2006/3/19(日) 午後 9:11 より
発病して4年ほど私は悲劇のヒロインのままでした。
薬が半分ほどに減り(60mg⇒30mg)外見上は発病前とほとんど変わらなくなりました。
でも性格は最悪でした。
こんな私の横っ面を張り倒したのは小学生。
専門医に診てもらう事になり検査も兼ねて大学病院へ入院した時の事。
院内売店を出たところで、パジャマの男の子数人とぶつかりそうに・・・
あぶない!と言いかけ言葉はでてきませんでした。
一人の子がパジャマから出ている部分は火傷でただれ、髪もほとんどありません。
情けない事にその子を凝視したまま固まってしまったのです。
そんな私を見た別の子達が、
『お姉ちゃんも入院?』『どのくらい?』『なんて病気?』
など、矢継ぎ早に質問してきます。
そして『○くんは火傷』『でももう痛くないよね~』
『大きくなったらきれいになおるってよ。ねぇ~』
次々と自分達の病名等をいいはじめます。
火傷の子は話さないものの、うなづいたり笑ったり・・・
しばらく私の周りで騒いでましたが、また走り去っていきました。
皆小学校1~3年生ぐらいだと思います。
普段、大人の無遠慮な視線・言葉に傷付けられきたのでしょう。
私も同じです。同じ事をしたのです。
彼らなりの火傷の子を傷つけない方法なのでしょう。
『火傷だよ。治るんだよ。皆も病気で入院してるけど元気だよ。皆同じだよ』
彼らのほうがぜんぜん大人です、なんていう思いやりと優しさなんでしょう。
涙が止まりませんでした。
私はこの日から、やっと真剣に治療に取り組むようになったのです。
後日火傷の原因を知る事に・・・
空き地においてあるドラムカンにマッチを投げ入れて遊んでいたそう・・
でもその中には、シンナーが隠してあり、引火、爆発。
奇跡的に命は取り留めたものの、重度の火傷。
移植は、ある程度成長が止まってからということ・・・
私を変えるきっかけをくれたのは小学生。
それまでに4年。長すぎますね。反省です。