冬の終わりだった。
成田空港のガラス窓に映る自分の顔を見ながら、彼はぼんやり考えていた。
「またどこかへ行きたい」
それは逃避ではなかった。
むしろ逆だった。
日本で生きることに、息苦しさを感じていた。
社会人になって三年。
安定した仕事。決まった時間。決まった人間関係。
毎月振り込まれる給料。保険。社会的信用。
誰かに言わせれば、それは十分「幸せ」だった。
けれど彼の心は、いつもどこか遠くを見ていた。
電車の窓から見える灰色のビル群。
コンビニの同じ音楽。
同じ言葉、同じ空気、同じ価値観。
その中で生きていると、自分という存在がどんどん小さく、平面的になっていく気がした。
世界はもっと広いはずなのに。
知らない街があって、知らない人がいて、知らない感情があるはずなのに。
彼のエネルギーを作っているものは、いつだって好奇心だった。
知らない国へ行きたい。
知らない言葉を聞きたい。
知らない人生に触れたい。
だから旅をした。
気づけば世界を歩き始めて四年が経っていた。
シンガポールの蒸し暑い夜。
中国のビル。
香港の竹だらけの通路。
ベトナムのバイクの上。
ネパールの知らない屋台で食べた料理。
翻訳アプリ越しの会話。
たった数時間で親友のようになる旅人たち。
その一つ一つが、自分を生かしていた。
そして、中国だった。
初めてその国に長く滞在した時、彼は衝撃を受けた。
街の速度が違う。
人々の熱量が違う。
昨日まで存在しなかった店が今日できて、来月には消えている。
日本のような「完成された安心感」はなかった。
その代わり、むき出しの生命力があった。
地下鉄では誰もがスマホを見ながら忙しく動き、カフェでは知らぬ若者たちが楽しそうな話を大声でしていた。
成功も失敗も、全部が速い。
不安定だった。
でも、生きている感じがした。
そこで出会った彼女は、彼を「少年」と呼んだ。
笑う時、少しも目が細くはならず大きな瞳を持った人だった。
彼女といると、自分の知らない価値観に何度も出会った。
家族への考え方。
恋愛への距離感。
仕事への熱量。
そして彼は思うようになる。
「この国で働いてみたい」
もちろん怖かった。
今の仕事を辞めたらどうなるのか。
中国で本当に生活できるのか。
保険は?⇨日本に帰れば大丈夫
言葉は?⇨そのうち覚える
給料は?⇨1300元でやすくても貯金しよう
ビザは?⇨エージェントがやってくれる
もし失敗したら?⇨また仕事を探そう
誰も保証してくれない。
友達が離れていくかもしれない。
孤独になるかもしれない。
日本にいた方が楽なのはわかっていた。
けど、中国を知らずに生きるのは退屈そのものだって
それでも、心が前へ進もうとしていた。
彼は知っていた。
自分は「安全だけの人生」では、生きている実感を失ってしまう人間なのだ
挑戦は、時に無謀に見える。
けれど無謀と呼ばれる道の先にしか、自分の知らない景色はない。
ある夜、中国のホテルの窓から街を見下ろしながら、彼は考えた。
この世界には、自分の知らない人生が無限にある。
日本で生まれ、日本で働き、日本で老いていく。
それも一つの幸せだ。
でも、自分はきっと違う。
もっと広い場所で生きてみたい。
知らない文化の中で苦しみたい。
言葉が通じず、孤独になり、それでも前に進いてみたい。
それは不安だった。
だが同時に、強烈に美しかった。
「宝宝とも一緒に暮らしてみたい」
その願いもまた、彼を前へ進ませた。
異国で誰かと暮らすこと。
文化の違いに戸惑うこと。
喧嘩をすること。
理解し合えない夜があること。
それでも同じ部屋で眠り、朝を迎えること。
簡単ではない。
むしろ難しい。
けれど、だからこそ意味がある気がした。
彼はまだ何者でもない。
世界旅行をして四年。
社会人三年目。
知識も足りない。
語学も完璧じゃない。
将来も見えない。
わからないことの方が、ずっと多い。
それでも彼は歩く。
たとえ孤独になろうとも。
たとえ友達が減ろうとも。
たとえ失敗して笑われようとも。
狭い世界で小さくまとまるより、傷つきながらでも広い世界を見たかった。
冒険すること。
それが彼にとって、生きるということだった。
だから叶えてくれ、今年の9月に働き始める。
7月には仕事をやめる。


