1月17日は阪神・淡路大震災が起こった日なんですね…
日本は3月11日、そして1月1日と、次々と悲しい記念日が増えていく…
当時、関西出身の知人の中には家が全焼したり、屋根が落ちたとか、ご家族が犠牲になったという話を人伝てに聞きました。
昔は今ほどSNSが発達していなかったから、ニュース映像や写真が頼りで、リアルタイムでの恐怖は今ほど、伝わっていなかったと思う
英国ではその後、自然史博物館で神戸の地震を元に体験できる小さなアトラクションが作られたけど、実際に体験しないと地震の怖さは伝わらないと思ったよ…(−_−;)
今年は特に能登半島地震が起こったこともあって、複雑な思いです。
備えろと言われても、どこで地震にあうかもしれないのに、限度があるよ。
個人にできることは限られているんだから、もっと政府なり、自治体が準備をしておくべきだわ
日本国内、地震が起こらない場所はないんだから、”想定外”という言い訳は通じないと思う( ̄^ ̄)
巨大地震が起こるたび、いつも対応が遅れているのは何故なんでしょうね
今回はかなりシビアな内容なので、スルーされたい方はぜひ、回れ右、スルーをお願いします
昨年の11月30日のニュースを見つけて、唖然としました((((;゚Д゚)))))))
だって、未だに過去の原発事故から学んでいないで、防護服を着ないとか、ずさんな管理をしているからo(`ω´ )o
これだから、電力会社のいうことは信用できないわ〜
作業員さんは、被曝してもすぐは健康被害がわからないと思うけど、問題は後から出てくるんですよ
ちなみに現在の福島の放射能で汚染された土地はどうなっているか、というとこんな悲惨なことになっている
美しかった緑の畑が汚染土の小山の連なりになっている…
しかも、今後、どうするかも未定…
こんな土地がこれ以上、増えて欲しくないです
福島第1原発事故に伴う除染で、膨大な量の汚染土が発生しました。原発周辺の農地や宅地、森林を造成し、巨大なすり鉢状の貯蔵ピットとし、処理した汚染土を集中的に最大2045年まで保管するのが中間貯蔵施設です。 動画撮影はできませんでしたが、Googleアースの過去画像とも合わせ、施設のある地域がどう変貌してきたか、ご覧ください。
阪神・淡路大震災を記念して、神戸港の一部を崩壊したままに残してあった。
やっぱり言葉を失った。
この福島の作業員と同じようなずさんな扱いで、臨界事故を起こした東海村JCOの作業員さんの被曝治療のドキュメンタリー、過去記事に書いたリンクが消されていたので、また新しく貼ります
喜んで見たいものではないけど、原発で働いている人たちにきちんと被曝対策をしたり、手順を厳格にしないといつまでたっても、事故は後を絶たないでしょう
原発を一体なんだと思っているんでしょうか
そもそも放射能に対する危機感がなさすぎo(`ω´ )o(わざと教育を徹底していないのかもしれないけど)
東海村原発事故で被曝し、亡くなられた大内さんの人生から、DNAを破壊されるというのはどういうことなのか、考えて欲しい
あまりにも壮絶な最期に担当医、看護士さんは言葉を選んでいるけど、手の施しようのなさに虚しかったでしょうね…(;_;)
この事故を扱った本『朽ちていった命』が新潮文庫になっているようです。知らなかった…
臨界事故が起こった当時のニュース
1999年10月1日 事故発生翌日のニュース
4年前のニュース。
作業員3人が死傷し、周辺住民600人以上が被ばくした茨城県東海村のJCO臨界事故から20年を迎えるなか、東海村の前村長らが参加してシンポジウムが開かれました。 この事故は1999年9月、JCO東海事業所で不正な手順でウラン燃料を作ったために臨界が発生し、作業員2人が死亡、1人が重症を負い、周辺住民約660人も被ばくしました。 東海村・村上達也前村長:「(高濃縮の)ウラン燃料を作るその工場が町の中でよかったのか。この国は何という国かと思いました」 村上前村長はさらに、再稼働を目指している日本原電の東海第二原発について「人口密集地で古い原発を動かすのではなく、他の生き方はないか考えるべきだ」と訴えました。
東海村JCO臨界事故ドキュメンタリー
画面の(watch on You Tube)をクリックして飛んでください。
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