家にいる時間が長いこの頃、過去に録画して未見だったテレビを見て、録画を削除しているのですが、この番組は、消さずに残すことにしました。
「ナチスを騙した男」・・・だったかな(^-^;
メ―ヘレンというオランダの画家が、ナチスの高官、ゲーリングを騙し、フェルメール作だという絵を売りつける、というのがメインだったのですが、メーヘレンの生い立ちから始まって、画家を志すも、数々の障害が行く手を阻み、ついには贋作画家に成り下がる、という経緯も面白かった。
技巧派で写実的な絵をメインにしていて、賞も取ったことがあったメーヘレン。ただ、彼の画風は、当時の画壇に受け入れられず、正当な評価を得られなかった(と彼は感じていた)
彼が贋作を手掛けたのは、そんな画壇で幅を利かせている美術評論家たちに一泡吹かせたいという動機があったのではないかと、解説の美大の先生がおっしゃってました。
彼がターゲットにしたのはフェルメール。
贋作1作目は、フェルメールが存在していた時代には使われていなかった絵具で描いたため、あっさり見破られてしまう。
しかし、2作目からは、フェルメールと同時代の無名の画家の絵を買って、その絵に使われていた額縁を用い、絵具も研究して再現して描いて、見事、評論家を欺くのに成功する。
それが、こちら
《エマオの食卓》
こ、これのドコがフェルメール?って私は思うのですが、1900年代初め頃、フェルメールの研究はまだ掘り下げられてはおらず、「フェルメールが、宗教画から庶民を題材にした絵への移行期(空白期)の絵」というふれこみに、評論家は騙されてしまうんですね。
フェルメールの絵は、宗教画から、庶民を題材にしたものに変わっていくのですが、いきなり変わったのではなく、「変化が見受けられる繋ぎの絵」、もしくは、初期は「もっと宗教や神話をテーマにした絵」を描いていたが、発見されずに埋もれているはずだと、当時の美術評論家は考えたようです。なにせ、作品数が少ないから、あるはずだと考えた未発見の作品を掘り起こせば、それは、「世紀の発見」で、評論家の名声は揺るぎないものになるのですから。
評論家の功名心を突いて、この作品は、まんまとフェルメールの真作だという鑑定がされちゃいます。
この作品は、ボイマンス美術館に高額で買い取られました。
「エマオの晩餐」の題名で、同じテーマでカラバッジョが2枚の絵を書いています。
1601年作 ロンドン・ナショナルギャラリー収蔵
1607年作 ミラノ・ブレラ美術館収蔵
エマオの晩餐とは・・・
エマオへと旅する二人の弟子の前に、復活したキリストが姿を現した時を描いたものです。
当初、キリストは見知らぬ旅人の姿で現れたために、弟子たちは正体を知らないまま、彼を夕食に誘いました。彼がパンをちぎり祝福するのを見て、二人はその正体を悟りますが、悟った時にはキリストの姿はもう影も形もなかった。という聖書のエピソードを元に描かれています。
当時は、照明も暗かったであろうし、顔がはっきり見えない中で、最初は、弟子たちは、キリストに気が付かなかったのでしょう。
そのエピソードからすると、暗めの2枚目の絵の方がテーマに合致している気がします。
この2枚なら、素晴らしいと言えますが、メーヘレンの絵は・・・
でも、この未熟な描き方が却って、初期の作品だという触れ込みの信憑性を確実なものにしたのだろう、と、解説の先生のお話でした。
完成された絵であったら、逆に疑われたんじゃないか、と。
そういうモンなんでしょうか・・・私は、この絵を真正のフェルメールだと鑑定した「評論家」サンの功名心と俗物っぷりのなせる出来事だと思うのですが。
おかしい点があっても、すべては、「真正の作品の発見者になる」という誘惑に勝てず、打ち消したのでは?
一方、メーヘレンは、一生生活に困らないお金を手にし、自分を認めなかった評論家の欺瞞に勝利したのに、この1作だけで、贋作を製作するのをやめず、さらに描き続けた。
彼もまた、自身の贋作能力を発揮する誘惑に勝てなかった。
ただ、人を騙すことと引き換えに、メーヘレンの精神と生活は荒み、身体は病魔に蝕まれていく。
解説の先生は、「そこに彼の画家としての良心があったのかなって思いたい」っておっしゃってました。
時代は、戦争へ。
第1次世界大戦から、第2次世界大戦。
オランダは、ナチスドイツの占領下に。
ナチスドイツの高官にゲーリングという美術収集家がいました。
戦争による占領地域から収奪したり、強引に(安価で)買い取った作品をコレクションしていた。
あまたの名画を所有していましたが、フェルメールだけは持っていませんでした。
ボス、ヒットラーは持っているのに、ボクは持ってない~~~クヤジー(個人の想像によるゲーリングのココロの声)
ちなみに、ヒットラーが所持していたのはコチラ。
《絵画芸術》 ウィーン美術史美術館所蔵
【この絵は19世紀以降、ウィーンの貴族ツェルニン家が所有していたが、1940年に当時の当主ヤロミール・ツェルニン伯爵が、ヒトラーに165万ライヒスマルク(1925-48年のドイツの通貨単位)で売却した。
ツェルニン家は1960年代に同作品の返還を要求しているが、この時は、売却は当主の自発意志によるもので売却価格も適正だったとして、要求は却下されている。
この点について、ツェルニン家の委託をうけた専門家集団はこのほど、売却は強制されたものだったとする報告書をまとめた。同家の弁護士は、Der Standard 紙に対し、「家族の安全を守るため、当主には絵画を売る以外の選択肢はなかった」と話している。
フェルメールの作品は世界に30数点しか現存していないこともあり、この「絵画芸術」は、かなりの価値があるとみられ、ウィーン美術史美術館のサビーネ・ハーグ館長は「(手放すとしたら)非常に大きな喪失だ」と話している。】
と、ネットに書いてありました。
占領地オランダで、埋もれていたフェルメールの作品が見つかったと聞いて、ゲーリングは、小躍りします。
「うれしー、アドルフちゃんのより、ずっと価値のあるフェルメールの絵が手に入るんだぜえ~~~」
(↑ ↑ ↑ 勝手にココロの声)
新たに発見された、初期のフェルメールの絵ですから、画壇の評価も高かった。
でも、見つかったというフェルメールの絵、実は、メーヘレンの手による贋作でした。
《キリストと悔恨の女》または、《姦通の女》
う~~~ん、やっぱり違和感があります。
最も、私はこの絵が贋作だと知って観ているのですから、違和感があると言っても、私に真贋の見極め能力があるということではないのですが。贋作だとは知らずに、「真作フェルメール」って言われちゃったらどうなんでしょう?
メーヘレンの贋作作画の手法は・・
当時の真贋判定方法で主に用いられていた、アルコールを浸した綿で絵画の表面を拭く、という方法を回避するため、絵の表面にフェノール樹脂を塗り、炉で一定時間加熱するという手法を編み出した。また、絵を描く際に用いるキャンバス(および額縁)はフェルメールらと同じ17世紀の無名の絵画から絵具を削り落としたものを使用し、絵具、絵筆から溶剤に至るまで当時と同じものを自ら製作して使用し、さらに絵の完成後にキャンバスを丸めてクラクリュールを作り、墨を塗るなどして古びた色合いを出すなど、その贋作の手法は徹底していた。このようにして製作された『エマオの食卓』(1936年)は、当時のフェルメールの研究家たちから「本物」と認められ、ボイマンス美術館が54万ギルダー(4500万円程。今の通貨価値ではもっと高い)で買い上げた。(ウィッキペディア参照)
この《キリストと悔恨の女》を描いた頃のメーヘレンは、かなり精神と身体を病んでいて、この贋作手法も十分にできておらず、出来上がりは相当質の悪いものであったにも関わらず、ゲーリングは騙されてしまう。
質の悪さが、保管状況が悪く劣化したためだと判断されて逆に価値を高める要因になった、なんて・・・
どうしてもフェルメールが欲しかったゲーリングの足元をみた画商は、とんでもない高値をこの贋作に付けるのですが、高値に怯むことなく、ゲーリングは言い値でこの絵を買っちゃうんですね。
ただ、あまりにも高額だったため、半分をお金で、残りは、その金額に相当する自身のコレクションの中のフランドル絵画の何点かを画商に引き渡す、ということで契約を成立させちゃう。(アホですねえ。冷静になりましょう←ドキュメンタリーを観ていた私の呟き)
この現金と、オランダの画家たちの国宝級絵画との交換という契約が、のちにメーヘレンを救うことになります。
ドイツが敗北し、第二次世界大戦が終わったある日、メーヘレンは逮捕されます。
罪名は、〝国家の財宝(フェルメールの絵)をナチスに売り渡した″というもの。
裁判の過程でメーヘレンは、売り渡したフェルメールは、実は自分が描いたモノだと告白したばかりか、ボイマンス美術館の「エマオの食卓」も自分の作だと告白します。
言い逃れも甚だしいと、最初は信じてもらえなかったので、以下の作品を描いて、自分の贋作制作力を証明します。
罪人は、一転して、オランダの絵画をナチスから取り返した英雄になっちゃう。
判決は、「禁固1年」
でも、彼は服役することなく、この世を去る。長年の不摂生と不養生で弱っていたため、心臓発作を起こし急死しちゃうのです。
この結末に、私は、もう贋作を描く必要もなく、世間を騙さなくて済むようになって、メーヘレンは、自分で自分の人生に決着をつけたように思えました。
最初に彼がオランダの画壇を騙すことに成功した「エマオの食卓」は、今でもボイマンス美術館に展示されているそうです。
「絵画の真贋を一部の評論家の手に委ねるな」という戒めとして。
贋作だとわかっているので、強く観たいとは思わないのですが、絵の背景にある物語を知って、ボイマンス美術館でこの絵を観てみたいと思いました。
でも、ボイマンス美術館には、フェルメールの作品はないし・・・わざわざ贋作を観に行くものなんだし・・・ブツブツ・・・
ブリューゲルの「バベルの塔」は、上野で観たし・・・
ボイマンス美術館のあるロッテルダムって、マウリッツハイス美術館のあるデンハーグと、どれぐらい離れているのでしょう。
行きたいな、でも大丈夫かな、って呟いていたら、主人が、「今は、コロナ禍でヨーロッパには行かれないだろう」と。
確かに。
上野の西洋美術館は、再開して、やっと「ロンドンナショナルギャラリー展」が観られるようになりました。
日本未公開のフェルメールもやってきます。
ナショナルギャラリーが所蔵している2点のうちの、
Johannes Vermeer
ヴァージナルの前に座る若い女性
A Young Woman seated at a Virginal
1670―72年頃
About 1670–72
油彩/カンヴァス
Oil on canvas
左側の絵が来ています。
メインは、ゴッホの「ひまわり」とされてますが。
どちらも一昨年、ロンドンで観てます。
(画像は、私が撮ったモノ)
入館は、完全予約制で、鑑賞時間も1時間が目安だとHPに書いてありました。
(前売り券を持っている方は、予約なしで入館できるし、再開直後は、前売り券、招待券の方オンリーの開催だったようです)
現地で観たものですが、やっぱり上野に行っちゃいます。ってことで、ネットで予約チケットを購入しちゃいました。
今購入できる期間のチケットは、ほぼ完売でしたが、なんとか、いい日時のチケット残っていて、買えました。
会期が長いので、2週間ごとに区切って販売しているようです。
本来なら、もう終了しているのですが、西洋美術館が閉鎖されていたので、後倒しに会期がずれました。
大阪中の島の国立国際美術館での会期が、そのせいでずれています。
(11月3日~1月31日)
コロナがなければ、今の上野での開催期間は、大阪の開催期間だったのですねえ。
でも、また名画たちを観られるのだからうれしい。貸出期間の延長をしてくれた「ロンドン・ナショナルギャラリー」に感謝。