ひとつ前に 憧れに触れた途端に 落ち込んだことを
海に似てるなあと 思ったと書いた
そしたら 今日
松村 潔氏のブログ
で ここでも海に例えて書いてあった
先週、新大阪の講座に行った時、主催者の描いた絵が、荒れた海のようで、この感覚、感情の不安定な揺れ動きはどうしたのか、と聞くと、今本を書いていて、この試行錯誤で、大変なんだという話でした。
根底から嵐のようにダイナミックになるのは、本を書いている時の特有の体験であって、
それは書いている人にしかわからないのは当然だ。
果たしてできるのか、いったいどうなることやら、という感じは、その行為の中で、エネルギィを掘り出すことになるわけです。
外部のどこかにいっても、これを手に入れられない。自分で掘り起こすと手に入る。
本を書く時は 荒れた海のような感覚になるのか!
そりゃあ 逃げ出したくなるだろうなあ
でも その不安定な感覚こそが 創造のエネルギーで
逃げるのではなく 自分に向かっていくしかないのだろうなあ
創造のエネルギーは 生命エネルギーでもあり
ワクワクすると思われてるけど
ワクワクだけではなく
ドキドキや イライラなど
自分の感情や感覚が 何かを感じている時は
創造エネルギーが動き出している時なんだろうなあ
何かを得たくて
自分を満たしたくて
外側に探しに行くけど
それは 何かから逃れたくて
逃げ出したくて 逃避してる時にも
もしかしたら 同じことが起きているのかもしれない
大抵は この不安定さにとどまることをせず
誰かのせいにしたり
過去のトラウマのせいにしたりして
すぐに 意識を
過去や未来や
自分以外の人や出来事に
逃避させてしまう
だけど これをしている限り 何も得ることはできない
この不安定な感覚から逃げずに
自分の内側に向かって行くしかないのだろう
自分には何もないと思い込んでいるけど
掘っていくと 海のような感じなのかもしれない
海にもぐるように
自分に向かっていく時
手に入れることができるということなんだろうなあ
私が 海に近づいて 波をさわった時
ものすごく落ち込んだのは
もしかしたら 自分自身の内側に触れて
落ち込んだのかもしれない
自分に触れて 自分が 不安になり 怖くなる
あ~ そういうことだったのかもしれないなあ