ここしばらく 一度完成したものを

もう一度 納得のいかない基準でやり直す作業をしている


上司が 受注者に 3回も電話で変更しなくてもいいように粘ってくれたけど

結局 やり直すことになった


自分の中では 一番いいのを作ったつもりだったので

それをやり直すのは 後ろ向きの作業に思えてしかたなかった


大量にある

でも 急ぎの仕事ではないので

他の仕事を優先して ぼちぼちやっていた


なので何日も 何日も それをすることになり

さきほど それをしながら つくづく

「めんどくせ~~~」と思った



そう思いながら

「めんどくせ~~~」と思ってることに

初めて 気がついた


へ~~~私って この仕事をめんどくさいと思っていたんだ~~~~

なんだか 気づいてみると 新鮮だった


それまでは この仕事やめたいなあ~とか

さっさと終わらないかなあ~とか

後ろ向きの仕事は嫌だなあ~とか

この仕事が嫌だ!としか 思っていなかった


めんどくささを 感じなくするために

この仕事が無くなればいい!と思い

どうやったら なくなるかな?にばかり意識が向き


でも やるしかないので 諦めていた


なんだ めんどくさかったのか~と 気づいたので

だったら そのめんどくささを感じてみようと

体の中の めんどくささの感覚を探してみた



お昼休み しばらく目を閉じて めんどくささを意識してみる

なんかしらんけど 気持ちいい


意識して見て

その感覚を味わうだけなので


良い悪いの判断を下す訳でもないので

これが 慣れると気持ちがいい


痛い所をさするのに似ている



なんだか 胸の奥の背骨の中あたりが

むず痒くなってきた


めんどくさい でも やらなければいけない 

だから 仕方なくやる


やめたい だけど やめられない

だから 仕方なくやる


めんどくさい!なんて 言っちゃダメ!と

無意識のうちに 否定してたんだな


めんどくさいを 味わってほしかっただけなのかもしれない

だから めんどくさいことが 次々にやってきていたのかも



感じると 満たされる

自分の感覚を 無視すると

虚しさや 欠乏感を感じることになるけど

それを埋めるには 自分の感覚を味わうしかないのかもしれない

他人では 満たせないのだ




お昼休みは しばらく 目を閉じ

背骨の辺りや

肩甲骨の周りで

固まっていた何かが 動き出したのか

えらく 気持ちいい時間となった



で お昼からの仕事が 不思議と嫌じゃない

あれ?

と 思うほど 普通にできている


めんどくささ 感じてみると 終わっていた