抜毛症と親 | 抜毛症の日常

抜毛症の日常

抜毛症患者の自分の日常。闘病日記。
現在社会人。小学校二年生の時に抜毛症、食毛症に。日常の日記とともに抜毛症の記録をつけます。
抜毛症改善。今は髪も染めてショートヘアです。
抜毛症が改善した理由という記事参照。
質問などあれば気軽にどうぞ

Twitterで抜毛症と親子関係について見て「それな」ってなったので殴り書いちゃおうと思います。

あくまで「わたし」の場合です。
家族の形なんて家族の数だけあるし、親から生まれてても、家族じゃないって思うんならそれでいいと思うので…。ありえん親だっていると思いますしね。あくまで私の場合です。



うちの家は母親がありえんほど厳しくて、父親は優しいけど、母優先でした。過去形な。今はそうじゃない。

叱られる時は、叩かれたし蹴られたしものを投げられたし。ピアノをやってたんだけど、親が料理中にピアノ練習してて。失敗すると包丁でまな板叩いて、「テンポ早いよ、もっとちゃんと弾きなさい」って怒られてさあ。姉も自分も、ピアノ弾いてる時に親が野菜切ってる音に反射でびびって弾くのやめたりしてた。
虐待って言われたらそうかも知れんけど、それを受けたうちが虐待とは思ってないのでセーフにしといて。


めちゃくちゃ覚えてるのは小2の時の写生(教科書の文章を綺麗にノートに写すやつ)のノートを親に見せた時。7歳の私は写生の意味をわかってなくて、クラスで一番に教科書を写し終わったのを褒めてもらいたくて、「写生一番に終わったの!」って言ってノートを母親に見せて。
「一番に終わったのすごいね」って言われると思ってたら

「なんでこんなに字が汚いの!?!?もっときれいに書きなさい!!!綺麗に書けるまで、練習するよ!!」

って死ぬほど怒鳴られてさあ。ノート投げつけられて。叩かれた。
うちは褒めてもらいたかっただけなんだけどね。

そっからまあ。
学校から帰ってきたら横に親がずっっっっっとつきっきりで字の練習。夕方4時から晩ご飯の6時まで。ご飯食べ終わったらお風呂に入ってそっから親が横につきっきりでノートに字を写す。美文字の教材をやる。休憩とかもなしでずっと。22時とかすぎてたかなあ。日付変わる直前まで。小学校2年生で7歳で。
そんな生活。

寝たら怒られるし適当にやっても怒られる。実際字が汚かったのは自分が悪いし。
お母さん怖かったから素直にやったさ。
それにプラスで、折り紙とか塗り絵も下手だったからやらされたりした気がする。

姉もそうだった。2つ上の姉が走るの遅すぎて、子供会の駅伝で恥をかいた。その年から、土日は毎朝5時に起きて家の近くの田んぼの周り1キロぐらいを母親と姉と三人で走らされた。朝起きれない姉妹だったから母親の怒声で朝5時に起きて。走るの嫌いなのに泣きながら走らされた。
夏休みは毎日小学校のグランドを10周走ってた。泣きながら。小1小2の頃の自分。

話それたけど。
写生のノートも綺麗になってきて、親はつきっきりだけど、字を書くのに慣れてきた頃に、なんとなく頭が痒くて。一本を抜いた。
昔っからアトピーでかさぶたが絶えなかったし、かさぶたをめくったり爪を噛む癖は3歳とかそんぐらいからあった。だから自分でもその程度って思って一本抜いた。
抜いた髪はなんとなく、自分の頭に乗っけた。床に落としてはダメかもってなんとなく思ったんだと思う。何日か後に姉に、指摘されたけど適当に受け流した。


そっからは早かった気がする。ものの三日ぐらいで、勉強してる椅子の周りに髪の毛が落ちまくって、椅子のキャスターに髪の毛が巻きつかれすぎて、機能しなくなった。じぶんの頭頂部はツルッツルになってた。

親もさすがに気づいたんだと思う。あんた髪の毛ないよ。って。初めはツルッツルになった頭頂部を見て驚愕してた。脱毛症かもしれないと。親が周りの髪を頭頂部でチョンボして隠してくれてた。毎朝学校行く前は親を呼んで結んでもらってた。

数日で親も勘づいたのか自分で抜いてるよねって聞いてきた。何も言えなかった。
「なんで抜くの!!!どうして抜くの!!やめなさいって言ってるでしょ!!!」
って言われて殴られるたびに
「やめられなくてごめんなさい、悪いのは抜くじぶんですごめんなさい。」って思ってた。泣きじゃくりすぎて言葉にはできなかった。


3日に一回は死ぬほど怒られた。トイレで抜くようになった。親にバレてトイレに行くたびに「抜くなよ」って釘を刺された。
トイレに行くたびに抜いた。
戻ってくるたびに「抜いてない?」って聞かれた。
聞かれるたびに「抜いてない」って嘘をついた。

本音を言って親を不幸にさせるより、嘘をついて、幸せな時間を長くしたほうがいいと思ったから。
すぐバレてまた死ぬほど怒られて殴られた。
あまりにも嘘をつきすぎて母さんが泣きながら崩れ落ちて、廊下でただ泣きじゃくる母さんを見て私も泣く日があった。

あまりにも嘘をつきすぎて母さんが私を力任せに殴ったり蹴りそうになった。父親が身を挺して母さんの暴力を受けた。私は泣きじゃくってごめんなさいということしかできなかった。今でも覚えてる父さんが私抱きしめて母さんが父さんの背中を力任せに殴っていたのを。



学校から帰るのが憂鬱だった
ベッドの下に隠した大量の髪の毛がバレてるのではないか。今日こそは怒られる。

何も言われなかったら安堵した。

毎日夕方になるとバレてるかも知れないとしんどくなった。


あまりにもハゲすぎて、バンダナをして学校に行くようになった。いろいろ言われたけど頭を気にしなくていいのは嬉しかった。

あとから知ったが、親と姉はありとあらゆる人から
「妹さんなんであんな風なの」
と聞かれていたらしい。私は知らなかった。

中学に上がって1ヶ月ごろ。私はハゲを隠すために10個ぐらいパッチンどめ(ピン)つけていた。

姉が泣きながら中学から帰ってきた。どうしたんかと思ったら
「なんで妹あんなにピンつけてんの。変な髪型っていろんな人に聞かれた。辛い」と言って泣いていた。

姉が泣いているのを見て私も泣いた。迷惑をかけていたのかと。なぜ何も関係ない姉を苦しめているのかと。姉のことは嫌いだったけど好きだったから。泣いた。親には怒られた。


姉は強かった。私よりももっと厳しい躾をされていた。姉はそれでも普通だった。

私は姉より確実に甘やかされていた。だけど髪の毛を抜いていた。

それも何百回と言われた。
「あんたは髪の毛を抜くから、厳しく言ってない。お姉ちゃんの方が辛いはずなのになんであんただけ」
「なんで抜くの」
「なんでやめないの。」
「なんで」

言われるたびに
「なんで私は抜くのだろう。」
「抜く自分が悪い」
「こんなに治らなくてごめんなさい」
そう思って泣いた。

小2から中学3年ぐらいまでこんな日々が続いた。

高校になって少しはゆるくなったが、勉強してなかったら勉強しなくていいのと聞かれる毎日。髪を抜いて怒られる日々。殴られたりするのは減った。


親が嫌いだった。私のことを理解もせず、なんでなんでと叱るから。「あんたは何言っても髪を抜くから怖い。爆弾みたい」と言われて泣いた。「愛されていない、私はいらないのだろう。」そう思う日もあった。


高校で好きな先生ができた。

相変わらず抜毛症で叱られる毎日。

ある時、Twitterで「またハゲた」と言ったらフォロワーに「ハゲてるってどういうこと?」って聞かれた。なんとなくごまかさずに言おうと思って一生懸命140字以内で伝えた。


その時に抜毛症についてもう一度調べようと思った。そして信頼してる先生にこの事実を伝えようと思った。

中学の時、世界仰天ニュースで髪の毛を抜く少女、が取り上げられていた。親はあんたと一緒ねと言いながらそれを見ていた。辛すぎて私は見ていない。

それを見ながら親は精神科に行ったシーンで「やっぱり。精神科に行くと医者に「お母さん、何か心当たりは?」って聞かれるのよ。私のせいにされる」と言っていたのを覚えている。精神科に通わせようか親も迷ったようだが、私は精神科に行ってはダメだと思っていた。私ではなく親のせいにされると思ったから。


高校で、改めて調べて、好きな先生に話した。泣きながら話したがちゃんと聞いてくれたし、アドバイスもくれた。そっから2週間に一回ほどカウンセリングごっこをしていた。先生に
「親は40年以上その性格で生きてる。お前はまだ高校生。折り合いをつけるには、お前が許してあげよう。お母さんを認めてあげな。」

と言われた。

「なぜ私が。」

好きだった先生の言葉だけど、家帰って泣いた。


好きな先生に精神科を勧められた。「風邪ひいて病院行くのは普通だろ?心が風邪ひいてるんだからクリニック行くのは普通じゃない?」と言われて。

そこで、通っていた皮膚科の先生に中学の頃、髪の毛のことを一回だけ相談して、行く気があるなら大きい病院を紹介すると言われていたことを思い出した。その時は断ったが、高校3年の時に精神科の話を皮膚科の先生にした。タイミングよく1ヶ月前に近くにメンタルクリニックができたという話を教えてくれて紹介状を書いてくれた。もう行くしかなかった。


吐きそうになりながら親に報告した。
意外とOKだった。絶対に行くなと言われると思ってた。正直母親は良い顔をしなかったけど。


2週間に一回クリニックに通い、カウンセリングをうけ3千円払って薬をもらう。一年半通った。


高3卒業式で、好きだった先生のおかげか、薬のおかげかわからないけど、髪の毛が生えたので、髪を切った。親は泣いていた。先生もちょっと泣いてた。
大学に上がると同時にクリニックは行かなくなった。


大学1年になって。グループに属していたが、うまくいかなくなった。死ぬほどハゲた。親は昔のようには叱らなかったが抜かないでねとは言われた。

初めて親に、「もう一回クリニックに行こうか迷う」と抜毛症に関する相談をした。
高校には頼れる先生がいたし、高校の友達は優しかったから、家に頼らなくてもやっていけた。


大学には信頼できる人もいなくてグループにはハブられた。家に帰っても気が休まらない。限界だった。どこかに居場所がないと。そう思って思い浮かぶのは親しかいなかった。


この辺ぐらいから親との付き合い方が変わってきた。


「あんたが行きたいと思うなら行けばいい。私には正直わからんけど、行きたいと思うんなら行ったほうがいいんじゃない?」

なんとなく怒られると思ってたので、落ち着いた反応に驚いた。
私のことを考えてくれているのかと実感して、クリニックに行くのはやめた。辛いことがあったら、親に言って見るのもありなんだなと思った。

私が大きくなったのもあるが、親が歳をとって丸くなったのもあると思う。

この出来事から私は今まで「親が嫌い」だったのではなく、「私の欲しい愛情と、親の与えていた愛情が食い違ってただけ」なんだと気づいた。

嫌いは好きの裏返しだとも。
好きなのに欲しいものが貰えなくて嫌いだった。

私はお母さんに褒められたかった。お母さんが嬉しそうな時が嬉しかった。そうじゃなかったら嘘ついてまで幸せな時間を引き伸ばそうとしない。悲しむ顔が見たくなさすぎて、抜いてないと嘘をついた。


親は私に嘘をつかせたくなかったんだと思う。だから嘘をついたら叱った。私はそれなりに勉強ができた。だからもっと勉強したらいいのにと思って「勉強したら?」と言っていた。

私には負担だったけど。

親に相談したことで、親も私も恐る恐る接さなくていいんだと気づいた。お互いがお互いの存在にビビりすぎてた。


食い違いに気付いてからは自分から欲しい愛情をもらえるようにした。親と行く買い物が苦手だったが、好きになった。お母さんと腹を割って話さないようにしていたが、いっぱい出かけるようにした。周りが親に対して友達のように接しているのが羨ましかったからそれを真似した。親に甘えたかった昔の自分を思い出して大学生になってから親に甘えるようになった。買い物や、ご飯が楽しくなった。親も楽しかったんだと思う。純粋に嬉しかった。




大学3年に上がる直前の3月。盛大に失恋をした。
別に告ったわけでも付き合ってたわけでもない。

もともと恋愛体質で好きになっては、片想いで勝手に失恋するタイプだった。付き合ったことはない。

その失恋は結構盛大だった。
ウキウキで出かけたのに帰ってきたらテンションが低い私を見て親は何も言わなかった。

次の日、私は一日中動画を見ていた。20歳にもなっていたので親はこの頃には朝遅かろうが、何をしてようが何も言わなかった。

こっからは前に書いたブログと似たような内容なんだけど。


何十回何千回、動画見てる時間でアレもこれもできたのに、また動画で無駄にした。と自己嫌悪に陥っていた。

けどふと、これだけやめられないということは大好きなだけでは?と気づいた。

大好きなことを辞めるのは無理だし、大好きなことを好きなだけしたいとおもった。親に毎回怒られるわけでもない。(時々怒られたけど。)
死ぬほど動画みよ。と思った。
そんでやりたいことやりたいだけやろうと思ったので、親とご飯に行ったり、友達と遊んだり。人生で一番遊んだ。気づいたのが大学3年生になる直前でほんとによかった。大学1、2年は単位とるのに必死だったけど大学3年は就活もなく、単位も余裕があってイッチバン遊べる時だった。

3月という春休み期間もあって、私は「自分」との付き合い方も学んだ。連日遊びまくってたら、遊んで楽しいはずなのに動画を見れないことがストレスで髪を抜く時もあった。私は遊びは「遊び」であって「休み」ではないと学んだ。
それからは週に二日は何もしない日を無理やり作った。
動画を見たり、自分がしたいと思ったことをする日。

そんな日々を続けて3ヶ月。大学3年の6月。
私は抜毛症を改善して髪を切った。

親が嬉しそうだったので私も嬉しかった。




そんなこんなで今に至る。