タイトルとは関係ないけど、実は関係があります。

 

アイコンですが、一応、常に意図があって変えています。

 

もしかしたら、まだ「こっそり」と

このブログを見に来ている人がいるかもしれない。

その人たちの類推力に頼るしかないんですが、

気づける人は気づくかもしれない。

 

私はドイツで生まれました。

でも、生まれたときから国籍は日本ですし、

今でも心も体も日本人です。

 

この年代にしては外国生まれが珍しかったので、

少し自慢げに人に話していたこともありました。

 

小学生の頃、アルファベットを目にして、

「たぶん、私は英語が好きになる」と直感し、

そのとおりになったけど、未だにリスニングは苦手です。

 

翻訳関連業務に携わるようになってから、

つくづく自分は英語のネイティブからは程遠い、

日本語のネイティブなんだと実感する日々です。

 

ましてや行ったこともない国、

話したこともない言語の地域に対しては…?

 

だからこそ、「憧れ」たり、

「推し」たりするのは理解できますが、

私はそれを行動に移すことが苦手だったので、

追っかけやファン活動(今で言う押し活)もしたことがありません。

 

アイコンにスターバックスのロゴを使うようなこともしませんが、

これの前のアイコンは、ロゴこそ入っていませんでしたが、

意図的にスタバの入り口の画像を使いました。

不快な思いをされた方には申し訳ございませんでした m(_ _)m

 

で、目的はすぐに果たせたので、

アイコンを変えるつもりでしたが、

次のアイコンがなかなか決まらず…

 

でも、ある日、私は日本人だから、

日本人らしいアイコンにしようと思い立ったわけです。

 

自分のフィールド(ブログやSNSなどの自分のアカウント)では、

国家の法律や規約に違反しないかぎり、

「自分が法律」であり、自分の言葉で語る権利があります。

 

しかし、自分のフィールドに他人を取り込むとき、

自分のフィールドでは、

相手が圧倒的に不利だということを忘れてはなりません。

 

たとえば、いくら社長とウマが合わなくて、

しかも、おかしいのは社長だから、

社長の態度や性格を改めさせたくても、

雇われている労働者の立場ではほぼ勝ち目がありません。

 

結局は、ほとんどの場合、労働者が会社を去るしかないのです。

 

とんでもないブラック企業であっても、

現状を変えることができず、

退職代行会社を使う人もいるほどです。

それは仕方のないことです。

 

だからこそ、その場を去ろうとしている人が、

これから去ることを予告し、

そのための挨拶をするのも、

本人にとっては少し(場合によってはだいぶ)辛い作業となります。

 

同じことが起きていても、

自分に対しては違う理由をつけて「許可」するのに、

他人に許可しないのは、

ダブルスタンダードであり…

 

たとえば、Aさんが自分のフィールドにBさんを取り込んで、

Bさんに何かを教える立場にあるとき、

AさんがBさんよりも一時的に上の立場に立つことはあります。

Bさんが教えを乞うているのですから、当然そうなります。

 

でも、Bさんが「Aさんの法律」を一生適用され、

ダブルスタンダード的な圧をかけられたら、

Bさんの神経が少しでも正常に作動していれば、

逃げることも、出過ぎた言動に出ることも、

疑問があっても、それをそのまま口に出すことも

恐ろしくてできなくなります。

 

逆に、自分のフィールドにダブルスタンダードを持ち込めば、

相手を束縛し、なかなか逃げられないようにするのは

いとも簡単な作業と言えるでしょう。

 

私がかつて、気づけば入らされていた

ヤバい新興宗教(カルト)もこのような手法を用いていました。

 

その宗教を去った人は「私は脱会した」と言っていましたが、

「脱会」もなにも「入会届」すら書いた覚えがないのに、

「宗教」と知らされることもなく、

気づけば入会させられていて、逃げる手段も封じられ、

 

「堕ちたら(逃げたら)、死後に霊界であなたの先祖や、

最後はサタンが出てきて、あなたを讒訴し続ける。

堕ちた人は非業の死を遂げている」などと言われます。

 

外側から見ると、馬鹿げた脅し文句なんですが、

入会させられてしまった人には「真実」に聞こえます。

 

誰かを伝道するためなら、宗教であることも隠して、

嘘をつくことも人類を救うための「善なる嘘」と教えるのですから、

伝道する人に罪悪感はありません。

 

「嘘」は「悪いこと」に分類されるはずなんですが、

取り込んだ相手にダブルスタンダードを用いれば、

簡単に洗脳することができるし、言うことを聞かせることもできます。

 

アイコンの話からずいぶん飛躍しましたが、

あらゆることが繋がっています。

 

少なくとも、一人ひとりに

自分自身で思考し、

行動を起こす権利があります。

 

たとえその思考に落ち度があり、

失敗したとしても、

それは本人が責任を取る領域であり、

その領域には誰も足を踏み入れることはできないのです。

 

責任の分だけ「自由」があります。

自由の分だけ「責任」があります。

 

そして、誰もが何かを学び、参考にし、

最終的には自分のフィールドに戻る権利があるのです。

 

相手のフィールドに取り込まれたまま、

ダブルスタンダードという名の「羽交い絞め」にされ、

戻れなくなることのないようにご注意ください。

 

私がここで語れば語るほど、

不利になるリスクもあることを承知のうえで語りました

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

ここ7年間ぐらい、乱高下の激しい相場ばかり見てきたせいか、

また、日本人口の約5%ほどしか手を付けていないと言われている

分野に投資してきたせいか、

私の感覚がバグってるのかもしれないけど…

 

それにしても、一日の大半を生活費を稼ぐためだけの労働に費やし、

「給料が安い」だの、

「物価が高い」だの、

「税金や保険料が高い」だの、一銭にもならない文句を言いながら、

結局は、我が国の法律のもと、嫌々税金を払っているなら、

 

せめて目の前に落ちている小銭ぐらい、

ちょっとぐらい転んで膝すりむいてもいいから、

自分で歩いて拾いに行けよと思ってしまう。

 

「投資」をギャンブルだと思い込んで、

他人の資産形成の邪魔をしたり、機会損失をさせたり、

「暴落煽り」をして初心者をビビらせたり…

 

まあ、初心者が周囲の声に煽られて、

詐欺のようなものに引っかかったりするのは、

投資家なら誰もが1度は通る道なのかもしれないけど、

(投資界隈では、「暴落煽り」を「雑音」と言っています。)

 

そして、私も数百万円単位でお金を溶かしたり、

ウォレットをハッキングされたりもしたけど、

それでも市場に居続ければ、それを補ってあまりあるほど、

なぜか利益を手にしていたりもする。

 

なぜなら、長期目線だと結局は、市場平均は上がっていくもので、

デフレの時期よりも、インフレの時期の方が長い…というのも、

人類は愚かだけど、一部の人間が思うほど、アホでもなく、

自分自身も企業も団体も、自らの価値を上目線で

上げて行こうと思っている以上、相場が平均的に上がっていくのは当然だから。

 

一時的には乱高下を繰り返すけど、結局は上がっていくものだから。

 

ビットコインだって散々、「オワコンだ」と煽り散らかされて、

それでもアホほど上がり続けている。

 

7年前はただただ「怪しい」としか思われていなかった存在も、

今では資産形成のポートフォリオの一部として組み込む個人が、

そして、機関投資家も増えてきている。

 

これまでは、金融的価値をゴールドで保有していたのが、

今後はデジタルゴールドとしてビットコインに保有する人が増えると思う。

 

7年前にある人が「お金が落ちてますよ~!」と

YouTubeで情報発信していたけれど、

まさにその通りで、散々、暴落や下落、

フェイク情報に踊らされながらも、

荒れ狂う大海原のプランクトンとして生き続けてこれたのも、

 

実は私自身が「ビビり」で、少額の余剰資金しか入れて来なかったから。

 

それでも、生き残りさえすれば、

何百万円溶かしても、資金をハッキングされても、

なぜかプラスになっている。

 

面白い世界だと思う。

今日もまた、下落してるけど、

「ああ、またか」としか思わない。

 

一日の大半を生活費を稼ぐためだけに、

お金よりも価値の高い時間を投資

(↑寿命を全うするまでの時間を切り売り)しているにも関わらず、

余剰資金を価値の上がりそうな企業やプロジェクトに投資する人を

「守銭奴」や「金の亡者」とみなすのもなかなか面白い視点だと思う。

 

相場に魔物が棲んでいることぐらい、

何年も相場にいれば肌で感じて分かっている。

 

リスクを取りすぎて、

いい気になりすぎて、

破産して離婚までしてしまった人を何人も見ている。

 

だから私は、小銭を拾いに行くぐらいの感覚で、

相場にいることにしている。

 

 

【免責事項】
・投資などの行動は、自己責任でお願いします。
・本記事の内容については正当性を保証するものではありません。 
・本記事を利用して損失を被った場合でも一切の責任を負いません。 

 

※一定期間を過ぎたらこの記事は削除するかもしれません。
 

こんにちは。

 

「孤独死したくないから婚活する」って

インタビューに答えている高齢者を見ていると

つくづく想像力がないなと思ってしまう。

 

高齢だから自分たちの子供はもう望めないだろうし、

相手の家族と積極的に暮らそうと思う人もそうはいないでしょう。

ならば、2人で仲良く同時にあの世へ旅立たないかぎり、

いずれどちらかが1人になることは必然。

 

ならば、孤独死の可能性はフィフティー・フィフティーということだ。

 

そもそも生まれてくるときは平気で一人で産道を通って出てくるし、

双子以上だとしても、二人同時には出てこないでしょう。

 

一人で生まれたから一人で死ぬ。

 

ただそれだけのことなのに、

「死」となると人間はこれを特別視して

それこそ、「必死」であらがおうとする。

 

そもそも「孤独死が恐い」というのは建前であって、

女性の場合は「経済的不安を解消したい」からという

漠然とした思いがあることが多い。

 

実際、男性は低収入であったとしても、

無職のひきこもりでないかぎり、何とか独身のまま生きれるが、

年金未払い無職」の女性も多いらしく、

そういう女性が婚活に活路を見出そうとするケースもあるらしいので、

健康なのに自力で収入を得ようとしない女性は、

全員収容所にぶちこんで働かせろよ」と思う。

 

「孤独死」を特別のように扱って不安を煽るのも、

迫りくる恐怖や、思うにまかせぬ宿命をどうにか捻じ曲げようとする

人間の「抗い」を利用すれば、いくらでもビジネスが成立するからだ。

 

高齢者に婚活させるのも、

貯蓄に励んできた高齢者からブライダル業界に

金を引っ張ってくるという目的もあると思う。

 

話が飛んでしまったけど、

「孤独死」なんて特別なものでもなんでもない。

(アパート暮らしの場合は大家さんに迷惑をかけてしまうけど…汗)

 

一人で生まれたから一人で死ぬ。

 

当たり前のことです。

 

 

p.s. 動植物は、「生」にも「死」にも

偏見を持たずに受け入れているような気がします。

 

 

こんにちは。

 

前回で最後の記事にするつもりでしたが、

ここは私のブログなので、

後ろめたい気持ちで誰かに背中を向けて、

逃げる必要はないと思い直しました。

 

誰かが何かを決断したとき…

 

Aさんから見たら「闇落ち」

Bさんにとっては「新たな出発」

 

[独り言]そう言えば、私があるヤバい新興宗教に在籍していたとき、

その宗教を脱退した人を「堕ちた人」と言っていました。

そして、「堕ちた人は非業の死を遂げる」など、

証拠も示さずに、さも真実のように語っていました。

当時の私はそれを真に受けて、自分も脱退したらそうなるんだと怯えていました。

その後、無茶苦茶な要求が続いたので無理矢理やめて、

しばらく怯えていましたが、今現在、私に「非業の死」はまだ訪れていません。

 

話を戻します。

 

このような正反対とも思える解釈の違いなんて、

いくらでもあります。

他人を思うように動かせないのは、

他人と分かりあうのは相当難しいということです。

 

だからこそ、他人にわからせるために使う手法のひとつが

画像やイラストですね。

あれは「印象づけ」には有効な手段です。

 

ところで、

私がアメリカの大学で学んでいたとき、

日本の教育との違いに少しびっくりしたことがあります。

 

日本の教育は正解を自分の中に求めるのではなく、

先生や教科書が教えてくれる答えを「正解」と認めて、

試験ではそれに則した解答をしなければなりません。

アメリカでもそういう試験はあると思いますが、

それに加えてアメリカでは自分で仮説を立てて検証して、

レポートを書かせることがよくあります。

(日本でもあるとは思いますが…)

 

教授が言うには、

自分の仮説が正しいか間違っているかは関係なく

あくまでも自分の仮説が正しいという前提に立って、

それが正しいことをを裏付ける証拠を集めて、

その起承転結をレポートにしなさい、というものでした。

 

つまり、先に「ゴール(結論)」を設定して、

それを裏付ける証拠を集めて「正しい」ことを証明するんですね。

 

ここで重要なのは

自分の仮説(出そうとしている結論=ゴール)が

正しいか間違っているかは関係なく

という教授の言葉です。

 

自分で決めた仮説やゴールであれば、これでいいと思います。

失敗や誤りに気づいたら100%自己責任と捉え、

学べることもあるからです。

 

しかし、他人に決めさせられたゴールって、

心底、腹落ちし、納得できないかぎり、相当難しいです。

 

誰かが出した答えではなく、自分で出したい答えを決めて、

それを自分で裏付けるというやり方は、

自分自身の思考力を鍛えることになり、

今の日本人に圧倒的に欠けている教育法でもあります。

 

しかし、実生活で「他人が良しとした答え」に向かって

それをやって大丈夫なの?と思うことがあります。

 

何かを証明するために自分で仮説を立てる分には問題ないですが、

他人から太鼓判を押された「答え(これはOK、あれはダメ)」を目指して、

それを裏付ける事実や証拠を集めて「正しい」ことを証明(発信)し続けるって、

時として、とても危険なことです。

 

自分で答えを決めるのではなく、

他人に太鼓判を押されて、

あー、そうなのか、なるほどね…と

鵜呑みにしてそれが正しいことを発信する…

 

今振り返ると、ヤバい宗教やカルトのやり方もそんな感じでした。

 

そして、目的のためのは手段を問わず、

嘘をつくことも「善なる嘘」と教えるのです。

(↑あくまでも極端な例であって、

すべての宗教やスピリチュアルがそうだと言っているわけではありません。

まぁ、宗教やスピリチュアル関連はもう懲り懲りですが…)

 

今回、私が敢えて「公開処刑台」に立ったのには、

それなりの理由がありました。

その理由は、、、実はまだ怯えている部分があって、

はっきりと書くことができないビビりでごめんなさい。

 

しかし、頭の良い方なら、

気づいていただける可能性もあるので、

見世物になる覚悟で自分の思いを綴りました。

 

今、私が味わっているこの感覚は、

そのヤバいカルト宗教団体を離れたときと

まったく同じです…滝汗

 

でも、やっと自分の言葉で語ることができるので、

妙に筆が進みます。

 

不快な方はフォローを外された方がよろしいかと思います。

 

読んでくださってありがとうございました!

 

p.s. それと他人を叩くときは、

常に「他人は自分の鏡なのに…」と思われるリスクと

隣り合わせであることを自覚しないといけません。

特に身近な人、身近だった人を叩くときは、

それを引き寄せる要素が自分にもあったということです。

そういうことは、誰にも指摘されない環境にいると

ついつい忘れてしまいがちですし、

人としての正常な感覚をどんどん失っていきます。

自戒を込めて。

 

 

2024年11月16日朝(追記)

 

おはようございます。

 

さっそく、この界隈で絶大な実力を誇る

あのお方が私のブログのフォローを外されたようです。

その方が賢明です。

さすが!お仕事が早いです。

あと、その方の門下生もいなくなっていますね。

 

失礼ですが、朝の目覚めが少し軽かったんです。

お互いにしがらみを外した方が良い相性だったのかもしれません。

それでも、あのお方の努力の量には敬服します。

 

それと、一応、潜在意識が破壊された自覚症状はあります。

以前と感覚が違うことから自覚できるだけかもしれません。

 

それともうお一方の指導者のMさんは、やさしい方ですね。

この方の優しい波動のサブリミナル画像も好きでした。

今となっては記念品になってしまっていますが…

(潜在意識が破壊されたら効果がないサブリミナルなので)

 

正直言えば、私は、最初の頃(2021年後半~22年前半)の雰囲気が好きでした。

幸福を感じるハードルを下げて植物の波動を感じたときの

あのときの至福の時間は今でも目に浮かびます。

 

闇落ちした私でも、お世話になったことについては

感謝と少し申し訳ない気持ちもあります。

 

(追記は以上)

 

 

私が綴った日本語の意味やこれまでの経緯を

詳細に解説させていただきます。

 

さっそく「過程を重視するな」と聞こえてきそうですが、

これは「喧嘩を売る」ためではなく、

事実を記載したものです。

 

「過程だから」と切り捨てるのはアンフェアです。

どうか、落ち着いて、フラットな気持ちでお読みください。

 

 

~上記記事より一部抜粋~

先日、ジョージ・オーウェル著の「一九八四年」(*1)を読んでいると、

目を覆いたくなる(*2)ような拷問のシーンが描かれていました。

私はそれすらも直視して読み切ることができなかったので、

数行ずつ飛ばして読んで(*3)しまったほどです。

 

(*1)ジョージ・オーウェル著の「一九八四年」を読んだキッカケは、

TSさんから薦められたからです。

拷問のシーンが描かれていることは想像もしていませんでした。

(私は以前、この本を読んだことがあるかもと思いましたが、

別の本と勘違いしていました。)

 

TSさんからいただいたメッセージは、

メモ帳に貼り付けていますので一部抜粋いたします。

2024年7月後半の記録です。

 

 

この本ですが、audibleで聴くことができます。
amazonのプライム会員だと7月22日まで3ヶ月無料体験でき、
一般会員は30日間無料体験できます。
私は2ヶ月無料の時に利用して、その後1ヶ月課金してその後退会しました。
無料体験されるようでしたら聴いていただきたいタイトルがいくつかあります。
新世界秩序の世界観が描かれている1984年や苫米地さんの本です。

 

 

(*2)「目を覆いたくなる」=こんなシーンは読みたくなかったという意味

(*3)「数行ずつ飛ばして読んで」=情を入れたいシーンならじっくり読みます。

 

そして、私はこの本を買ったことさえ、一瞬、後悔しました。

それでも、TSさんに薦められた本だから読了しました(一部の拷問シーン以外)。

 

ちなみに…、

私はこの界隈では誰にも喧嘩を売ったことはありません。

 

ただ、単に、一部の優秀な方々よりも「抽象度が低い」がために、

ドリームキラーになってしまっていますが、

それは私が意図したことでも、自分から望んだ立ち位置でもありません。

 

それでも、ここに留まれば、

私が何をしても

何もしなくても

何を言っても、言わなくても、

全部私が悪いということになるのでしょう。

(「被害妄想」、「悲劇のヒロイン」、

「自己卑下」は言いっこなしでお願いします。)

 

さまざまな画像のイメージから、

私は墓場まで連れて行かれ、

「屍」扱いもされましたが、

それでも感情的になって喧嘩を売ったりはしませんでした。

 

そして、最後の記事では、

界隈で出会った人々を「素晴らしい方々」と呼び、

お礼まで言いました。

 

受けたサービスには対価を支払い、

機会があれば応援の意味で上乗せまでしてきました。

 

そのうえで自分の道を選択しました。

 

 

なのに、反省や謝罪を促される意味とは…?(笑)

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

p.s. この記事に「いいね」は非推奨なので、

ボタンを非表示に設定しました。

 

前回の記事は「いいね」が極端に少ないわりに、

アクセス数が多かった…

ということは、「反面教師(見世物?)」として

役立てていただけているということで

おかげさまで現在もアクセス数が

増え続けています。

 

誠にありがとうございます。