前回の記事下矢印


に引き続き、水瓶座&魚座目線で敢えて他人事として書いていきたいと思います。
※はじめに言っておきますが、個人的には戦争は起こって欲しくないし、嫌ネガティブです。平和がいいです。




 
       





これはずっと前から漠然と思っていたことですが…





当たり前のように言われてる「戦争は悪いこと」「人を殺してはいけない」というようなことって、すごく主観的な感覚で、実は普遍的な真実とは違うんじゃないかと。
※個人的には戦争も殺人も肯定はしないし、嫌なことです!念のため。





私達って日常的に殺生をして生きています。小さな戦争を毎日引き起こしていると思うんです。それは悪いことでしょうか。





今飼っているメダカを初めて死なせてしまった時にふと気付いたこと。この小さな命を亡くした時、私は泣きました。でも、メダカよりはるかに大きな釣った魚を普通に捌いて食べるのです。




それは私一人だけの感覚で、他に誰一人私のメダカの死を悼む人はいない。





それは魚でも人でも同じことが言えるでしょう。守りたい人とそうでない人。




守りたいと感じる命と、何とも思わない命。その感覚の基準って自分だけが持つ独自のもので、他人や社会が持つものとイコールではない。




星よみを学びはじめて、一人一人違う独自の「感覚」を持っていることが、自分の中でストンと腑に落ちたように感じます。





「善悪の基準」って、一人一人違っていて、必ずしも絶対的なものではない。





「善悪の基準」で人と繋がろうとすることは、月意識に流されているからなのではないか、と思うのです。





「~しなければならない」
「~であるべき」
「~は許されない」




こういう、土星的な思考は不安や恐怖といった月意識が元になっている気がします。





良いもの、良い人、悪いもの、悪者を決める。そういう「正義」って何だろう。





多様化していく人間社会において、善悪の概念も国家の概念も、民主主義社会も、だんだんと意味を失っていくように思います。





大切なのは、善悪ではなく、望むか望まないか。自分が好きか嫌か、その感覚を信じて判断すること。それが太陽を生きることであり、魂が望む生き方であると思うのです。