1つ前の記事で書いたように、
※まだの方はコチラからどうぞ。
私は数ヶ月前から占星術に興味を持ち、勉強するようになった。そのおかげで、私は40年近く理解出来なかった母のことを本当の意味で受け入れることが出来たと思う。
「相手を知ること」で、人間関係を円滑にすることができ、無用な衝突を避けることもできる。
空は飛ばないけど水の中はスイスイ泳ぐペンギン🐧
飛ばないし泳がないけど、速く走るダチョウ。
泳がないし、走らないけど速く飛ぶハヤブサ。
はたまた全く動かないハシビロコウ
それぞれ「そういう鳥」とわかれば、
「なんで飛ばないの?」
「なんで走らないの?」
「なんで泳がないの?」
「なんで動かないの?」
なんて責めたり衝突することがいかに無意味なことかわかる。
いざござが起こるのは、お互いが自分や相手のことを知らないから。特に顔の見えないネット社会、SNS上では起こりやすいよね。
占星術は、自分や相手を知るツールの1つとしていい役割を果たしてくれるのかなと思う。
私は、ずーっと「母は私のことをわかってくれない」というモヤモヤを抱えていて、「わかってくれない母が悪い」と思っていた。
ペンギンの私は、ハヤブサの母に対して「なんで一緒に泳いでくれないの?泳ぐ楽しさをわかってくれないの?なんで空ばっかり飛んでるの?」と言って衝突していたのだ。
でも、実際は母が悪い訳じゃなかった。自分と違う性質を理解する力がまだなかったんだ。
いや、正確に言うと自分の中にある異質なもの同士の折り合いがついてなかったんだと思う。
私が不満を持っていた母とは、実は自分のことで、母の中に私を投影していたにすぎない。
それもホロスコープに現れていて、
私のホロスコープの月は、母の太陽の真正面つまり180°オポジションの位置にあり、母の太陽に私のICが0°でコンジャンクションしている。
私は母を写し鏡として見ていて、疎ましく思う反面羨ましくもあり、心の拠り所だったんだと。
さらに、私の冥王星は天秤座にあって、私の太陽と150°インコンジャンクトの位置にある。
そんなところから自分の中での折り合いがついてなかったんだ…と感じた。ホロスコープは他の天体も絡んでるし、全体で見ないとわからないとこもあるけれどね。
もし、私が純粋なペンギンだったなら、ハヤブサの母には、
「泳ぐの楽しいし気持ちいいよ~ 空も楽しそうだね」
と、衝突もしなかったかもしれない。
でも実は私は「飛びたいペンギン」だったんだ。
自分はどんなに頑張ってもうまく飛べないのに、母はスイスイ飛んでいる。自分にないものを常に母に見せつけられ、水の中でいじけてた。それで「泳いでよ」って勝手に怒ってた
私は子供の頃は対人関係や社交的なことは苦手で、人に自分をよく見せようというようなことも嫌いだったのに、何故か接客業で人に見られる職についた。
その後も何度か転職しているけど、いずれもお客さん相手の接客業。
ハヤブサにはまだかなわないけど、今はもう空を飛ぶ楽しさを知っている。
ペンギン🐧だけど、結構飛んでます