生きていると、さまざまな壁にぶち当たる。
 

 
 
私たちは、肉体という物質に宿って物質社会に生きているのだから、動けば何らかの抵抗を感じる(壁にぶち当たる)のは当たり前のことなのかもしれない。
 
 

 
スピードが速ければ速いほど、大きく動けば動くほど、車でスピードを出せば風の抵抗を受け、車体が揺れるように、しっかりとブレない軸が必要になってくる。

 
 


より速く走ろうと思えば、それに適した自分になる(車に乗る)必要がある。
沢山の荷物を運びたければ、また選ぶ車も変わってくるだろう。人によって時によって適した車は違う。
 
 
 

どんな車で走っていても、何かにぶつかって怪我するかもしれない。怪我をさせてしまうかもしれない。下手したらそれは致命傷になるかもしれない。
 
 
 

 
そんな時、苦しかったり辛いと感じたり。もう投げ出したい、逃げ出したいと、心が折れそうになっちゃうこともある。
 
 
 

だけど、そんな目の前に現れるは、他の誰でもない自分が動くことによって引き寄せているもの。
 
 

 
目の前に現れるものはすべて自分自身が創り出しているのだ。
 
 
 

 
そんなをどのように捉えるのか。
 
 

 
 
心がどうしても「嫌だな」とネガティブに感じるなら、本当にその壁を乗り越えることを望んでいるのか見直してみてもいいと思う。「乗り越えなければ!」という思考が湧いてくるのであれば、望む方向とは違う方向に進んでいるのかもしれない。
 
 
 
 
「この先乗り越えたら楽しそう!」とワクワクしてポジティブに感じるなら、壁を乗り越えることにさほど抵抗は感じないだろう。
 
 

 
目の前に現れるとは、自ら進んで楽しく乗り越えるもの。
 
 
 

そう、例えるならスーパーマリオゲーム
人生は、テレビゲームで遊んでるのと同じなのだ。
 
 
 

目の前に現れる敵を倒し、避けながら進んでいくのは楽しい音譜
 
 
 

なかなかクリアできないところがクリアできると嬉しいし、果敢にチャレンジするよね。
 
 

 
どうしても手強くて、諦めたくなったら一旦中断して、コインコインがいっぱい取れたり、1UPキノコがいっぱいあるような楽なステージでエネルギーチャージして、再チャレンジしたらいいよねウインク
 
 


 
楽なステージも楽しいけど、でもそればっかりじゃやっぱり飽きちゃうのだ。
コインばっかり取ってる人生もありだけどねウインク
 
 


そして、その目の前に現れる敵は、実は自分で創り出したもの。
 
 

 
私たちが生きている人生、遊んでいるゲームは他の誰かから与えられているのではなく、自分で創り出したもの。
 
 


 
やってるのは、「スーパーマリオメーカー」なんだ爆笑
 
 


 
困難にぶち当たったら、「うわビックリマーククッパ出てきたビックリマークなんだこのクッパは?どうやって倒すんだ?」ってワクワクしながら立ち向かえばいい。
 
 
 


そして、より心が躍るゲームを創って思いっきり遊びつくせばいいウシシ