息子がまだ言葉が話せなくて、泣いて訴えるだけだった頃は、早く話せるようになって言いたいことがわかるようになったらいいなーと思っていた。
が、大体の簡単な日常会話が出来るようになった今、そうそうコミュニケーションは簡単ではなく、イヤイヤ期の激しさは増している。そして、まだピークは迎えていないんだと思う。
自我が成長するスピードに、伝えるコミュニケーションスキルがまだ追い付いてなくて、微妙なニュアンスを伝えられないことが余計に苛立たせてる感じ。
「なんかたべるー」
と叫ぶけど、「何が食べたい?トマト?」
「イヤー」
「バナナ?」
「イヤー」
あるものを全部聞いても、全部
「イヤー」
(え もう他にはないよ)
何回も聞いてたら、ようやく、
「パンたべるー」
(ほっ。やっと食べてくれるか)
「はい、どうぞ」
「イヤー たべない❗」
と言ってパンを投げる。
(たべない?)
「パンたべるー」
「え?食べるの?はい。」
(拾って渡す。)
「たべない❗」
投げる。
( たべるって言ったじゃん)
「食べなくてもいいけど、投げない❗」
「たべる!」
「たべないじゃん!」
「たべる!!!」
「食べるなら食べる!食べないなら食べない!どっち!」
「たべるーー」
こんなやりとりを何度も繰り返し、何度もパンを拾い、そうこうしているとある時突然食べられて、
(やっと食べたよ)
息子ニコニコ
何だったの?ということがしばしば。
パンはまだいい方で、お茶や牛乳、ヨーグルトをひっくり返したり、外で行く行かないの押し問答になったり。とっても難しいお年頃。
食べたいけど何か気に入らないことがあって、それを伝えられないのか、自分でもよくわからない不快感があるのか。
でもこれってたぶん、大人も普通にやってることなのかも?と思った。
「会社に行きたくないけど、給料は欲しい。でも、仕事は嫌だな。でも行くしかないし…」
(行くの?行かないの?どっち!!)
「結婚はしたいけど、婚活はしたくない。でも、何もしなければ結婚出来そうにないし…」
(結婚したいの?したくないの?どっち!!)
という具合に。
宇宙に望みをちゃんとオーダーしないと、叶えられないよ!というのはこういうことなの?
「パンたべるー」
「はい、どうぞ。」
ぱくっ
ってすんなり受けとれれば、すぐに望みは叶う。
息子を前に、私は宇宙の気持ち?がわかったような気がした。
「もー どっち!!」
と言いたくなることもあるけれど、
「じゃあ、もう食べないね!」
と見放すことはない。
こんな感じで宇宙もきっと、根気強く望みを差し出してくれているに違いない。
そして、息子の宇宙をやっている今、子育てって息子の将来に大きく影響するんだろうなと思う。
こうやって子供も大人も成長して行くのかな。