私の引き寄せの師匠というかお手本となったのは赤ちゃん。





鬱でどん底だった時に産まれた姪っ子。






「死にたい」にとりつかれていた私とは対照的な「生きたい」の塊が、突然目の前に現れた。






「何も出来ない」と、ただ泣いていた私。
「何も出来ない」ただ泣いて訴える姪っ子。






「こんなことではダメだ!誰にも認められない。頑張らないと。」と自己否定する私。

何も出来なくても、みんなに認められて頑張らなくても欲しいものを与えられる姪っ子。






自分が人の迷惑になっていると気に病む私。

人の迷惑という概念すらなく、昼夜問わず堂々と自分の欲求の為に泣き叫ぶ姪っ子。





そんな姪っ子の存在を見ていると、
「あー、私もかつてはこんな風に、何も出来なくても存在を認められて育てられてきたんだな。人間って、これでいいんだ。どうせ同じ何も出来ないんなら、私も姪っ子と同じ赤ちゃんからやり直そう。」と、






そんな風に思うようになった。ある意味開き直ったのだ。






そこからは早かった。






姪っ子は、身体も脳もまだ未熟。だけど、私は当然自分で寝返りも座ることも立つことも歩くことも走ることも出来る身体を持っているし、日本語だって話せる。計算したり、想像したり、人の言うことを理解する能力もある。






お腹が空けば、姪っ子のように泣いて訴えるのではなく、言葉で伝えたり、自分の足で食べたいもののところに行き、自分の手で食べることが出来る。泣く必要はどこにもなかった。





姪っ子と違って、私の「何も出来ない」は、ただ自分を受け入れてもらえないという思い込みがあっただけ。





「自分は何も出来ない」から「自分は何でも出来る」に意識が変わっただけで何でも出来るようになった。








姪っ子は完全に「自分軸」で生きていて、私は完全に「他人軸」で生きていた。





姪っ子のように、「自分軸でいいんだ。」と気付いただけで、急に動けるようになった。楽に生きられるようになった。






「完全自分軸」で生きる姪っ子は、自分の「快」か「不快」かという感情だけを感じて、それを発することで、自動的に周囲を動かし、自分の望むものを確実に手に入れていた。





正に引き寄せマスター。





これよこれ!お手本にすべきは。







ユーミンの「やさしさに包まれたなら」という曲。





音譜小さい頃は神様がいて 
不思議に夢を叶えてくれた





この神様って、「親」のことだったんだね。




産まれたばかりの赤ちゃんには、まだ自我がない。親(特に母親)と自分の区別がつかない。親は自分と認識する。





それが、だんだん脳が発達して自我が芽生えてくると、親と自分の存在を切り離して自立する。




そうなると、今度は夢を叶えてくれる神様は自分になる。





自分の思考が現実化するようになる。






自分の思考が「他人軸」なら他人の望みが現実化し、「自分軸」なら自分の望みが現実化する。





もし、「他人軸」で生きていたら、自分の心が教えてくれる。何かモヤモヤしたり、つらくなったり苦しくなったり。





だから自分の心の声である感情、気持ちに素直に従って、自分を心地よくしてあげれば「自分軸」で生きられるようになる。





そして、自分の望みが現実化するようになる。





大丈夫。




音譜優しい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても奇跡は起こるよ