今現在、二人目が欲しいと望みながらも妊娠しない現実。実は、たぶんこれが障害になっているだろうなという心当たりがある。






私の中で信じている思考…






「4月、5月産まれがいい!」






主犯格はたぶんこれ。もちろん、年齢的にも身体的な面でも他に障害はないとは言い切れないけど、メンタル面で一番邪魔してる犯人はこれ。





最近、引き寄せについてまた考えていて気付いた新事実。





なぜ、4月5月産まれがいいのか?というと、大人になると産まれ月で能力の差はほとんど感じないけど、幼少期だと1年違えば発達具合が全然違う。





運動能力にしても、言葉や知能なんかにしても全然違う。3歳で幼稚園に入ったとして3月産まれと4月産まれでは同じ学年でも4月産まれの方が何でも出来ることが多いんだよね。






だから、4月産まれの方が自己肯定感を高めやすいと思っている。






幼稚園からお受験させるなんていう友達は、産まれ月にこだわっていたし。





かくいう私自身、3月産まれで、子供の頃からのコンプレックスでもあった。何となく、4月産まれさんが羨ましかった。実際、子供の頃は身体が小さめでそのことを言われるのが凄く嫌だったし、運動も出来ないと思ってたから苦手意識が染み付いてしまった。





本当は、運動が出来なかったんじゃなくて、早く産まれた子が伸びる時期が早く来てただけで、出来ないと思ってもそのうち伸びる時期がくるので、「運動が出来ない」と決めつけずにその時にやってれば伸びたんだと思う。







あと、満三歳児クラスで幼稚園に入れようと思った時も、今希望してるところは4月から随時募集して定員になったら締め切るらしい。(園によってルールは違うみたいだけどね)






だから、9月産まれの息子は満三歳で入れるかわからない。4月産まれいいなー。






他にも、やっぱり制度上4月産まれの方が有利ってことが結構あったりする。







一人目妊活の時は、そんなこと考えなかったんだけど、どこかでそんな考えが出てきちゃった。







「そんなの関係ない。自分だって3月産まれで今までやって来た訳だし、自覚もあるから例え遅い産まれ月だったとしても大丈夫。」






それに去年、緊急事態宣言が出てた頃、9月入学の議論が出てたよね?あの時実は、私はそうなればいいのに!って思ってた。





そしたら、うちの息子は得するんじゃない?なんて思って。





今はもうそんな議論も消えてしまったけど。同時に、そんな風にいつ変わるかもわからないことなんだなと、気にしても仕方ないなという気にも少しなった。








頭では理解している。それに、もうそんなことに拘っている余裕はないはず。






ただ、この「頭では理解している」と思う時点でアウトびっくり 心はそう思っていない証拠。だから、今は妊娠したくないかも?って本心があるから、そっちが現実になる。






でも、いざ4月産まれのタイミングになったらきっと力み過ぎてうまくいかないのよにやり





心が信じちゃってるから、頭で「拘るまい!」と抑えつけたところで、モヤモヤして一層気になるだけ。悪循環にはまるだけなんだよね。





どうしたものか。とりあえず、無理に変えようとせずに、ただ「私は4月産まれがいいんだね。」ということだけ受け止めて、放置してみようと思う。





あと、ここに書くことで手放せたりしないかな?とも思う。





いつの間にか意識から消えて、そう言えばそんなことも言ってたねイヒって言えるようになったらいいな。