最後の移植の判定日…





を前に生理が来た。これはどう見ても生理だわ。クリニックに電話をすると、判定日は必ず来て頂くことになっていますので…と言われ、一応通院。




いつものように待合室で結構待ち、生理が来たことと治療は終わりにするということを伝えた。





こうして私達夫婦の不妊治療はあっけなく終わりを迎えた。






勉強していい学校に入って、いい大学に行って、いいとこに就職、いい人と結婚して子供を産む。今になって思えばそれは母が敷いたレールなのだが、私はそのレールにのった人生を必死に歩んでいた。




就職までは何とかそこそこのところで達成した?のだけれど、結婚で大きくつまづくショック




35歳くらいの時、これはもう結婚も出産も無理だと思い、何度も諦めかけた。それでも諦め切れずにやっと結婚まではたどり着いた。





あとは出産を残すのみ。だけど、もうこれ以上は無理だった。治療はもうしない。自然妊娠の望みはゼロではないが、通院生活は終えて、通常の日常生活に戻る。





この日、産まれて初めて私は母の敷いたレールを降りた。目指すべき場所が突然なくなった。その時の心境は意外と清々しいものだった。





これからは、レールの上ではなく、好きなところに自由に歩いていけばいいんだ。無意識にどこかで縛られていた呪縛から解放された。こうしなければ!ということが一切なくなった。完全な自由を手にいれたゲラゲラ と思った。





子供にお金をかけることもないし、稼ぎは全て思い通りに使えばいいキラキラ  夫婦二人健康でいる限り、そんなにお金困ることもないだろうし、悠々自適に好きなところに行って、好きなことして、食べたいもの食べて。好きなように生きたらいい。ってなんて素敵な人生なんだ音譜







恐れていた最後の判定日。生理が来た時にはさすがに泣いたけど、意外にもその後の楽しみに対するワクワクラブの方が勝っていた。







その後、自然妊娠したため、この時に思い描いた夢のような日々は幻となった訳だが、この時の解放感は忘れられない。大げさかも知れないけれど、あの時初めて私は本当の意味で自立できたのかなと思う。






そして、今ではあの解放感が味わえたことが本当に良かったと思う。不妊期間があって良かった。全ては無駄じゃなかった。





もし、不妊期間なくすぐに妊娠していたら…と思うとゾッとする。私はきっと息子に同じレールを敷いて、私もまた今だにそのレールの上を必死に歩んでいただろう。