6月18日(土)のマヤ暦

・中心を決め、輝かしい自分の未来をイメージする

・とにかく紙に書き出す

・周りを巻き込みながら

・何かが目覚める…かもしれない

わたしは寝る前に、翌日のマヤ暦に意識を向けます

逗子でやりたいことリストを作りました

書いたことで必要なものが見えてきた
『逗子を楽しむために
 バイトを頑張るてへぺろてへぺろてへぺろ

​父の命日でした

2008年6月17日

13時過ぎに、父は旅立ちました


前の年に蝶形骨洞に悪性の腫瘍がみつかり、

手術ができなかったので、放射線治療の後、抗がん剤治療で闘病していました


がん発覚までの経緯も色々ありましたが、


大学病院の一室(ドラマなんかでよくみるドクター同士のカンファレンスで使うようなだだっ広い場所)で、人の絵が描かれたものに緑色の点々があり、たくさんの数値を見せられて、まだ残暑の厳しい9月に「年は越せないと思ってください」って言われた記憶が残ってる


まるで24時間テレビで使われるようなドラマのワンシーン


そこからは、離れ離れだった家族がどんどん一つになっていった


そして2008年6月17日、

離れ離れにされていた父と祖父が会えた日、

父は旅立ちました


父はKin173の黄色い人×白い犬(e3)

思えばホント、自由な人だった

いろんな人に慕われている人だった

家族には「なにくそ!」って思われてたけど笑い泣き笑い泣き笑い泣き(まぁ、その話は、またいつか)


父が亡くなった少し後に、


「お父さんにはお世話になったのでお参りさせてください」


って、大きな花束持ってきた、当時高校生だった男の子がいたそうです(そんなの初めて聞いたびっくりびっくりびっくり


父がその子にどんなお世話をしたのか、さっぱり分からないけど、


昔から人のお世話をメチャメチャする人だった

(子ども会の会長やら、PTAの会長やら、率先してやってたし、選挙の世話人やら、母子家庭の方のお世話とかもしてたみたい)


わたしが高2になるタイミングで、表向きは早期退職(実際はリストラ)した父は、アルコール性の躁病になった


そんなこんなで、家族をかえりみず突っ走る父だったけど、父の通夜・葬儀は人が溢れかえるほど集まった


父が亡くなった日はKin120の黄色い太陽×白鏡(e3)


あれはまさに、未知体験だった


実家の紫陽花

今年も咲き乱れていましたラブラブラブ

帰省中のため、トマトちゃん情報はお休みです

夫が水やりしてくれたみたいですチューチューチュー


それでは良い1日を音譜音譜音譜

最後までお読みくださり、

ありがとうございましたラブラブラブラブラブラブ