お酒を飲むとお話ししたくなります。
1週間前に祖母が入院して、祖母と父と私の3人暮らしなので、現在、父と2人暮らし中。
家事全般は全て祖母に頼りきりだったので、父も私もご飯はコンビニ弁当、洗い物は溜まりっぱなしの日々が続きました。
それも、今日で終わり。明日は、祖母が退院するので、コンビニ弁当の日々も卒業。かなり嬉しい。
そろそろ、私もお料理出来るようになりたいお年頃です。でも、やっぱり祖母の作るご飯が何よりも美味してくて甘えてしまいます。
そんなこんなで、父との1週間の2人暮らしも今日で終わりだったので、お家でサシ呑み。
最近の、父の悩みは職場の20代の同僚のヤル気が無さすぎる事らしく、私の最近の悩みもポンコツ後輩の教育についてだったので、2人でお酒片手に討論会。
最終的に、最近の若者はもはや、別の生き物だと思ってた方がいいという結論に到達しました。
だいたい私たちの年代だと、”ゆとり”と呼ばれるのが一般的ですが、現在、私たちとあまり年が離れているわけでは無いのに、少し考え方の違う人たちが増えてきています。
私は、その人たちを”さとり”と呼んでいます。(世間一般で使われてるさとり世代とは少し違うかも知れません。)
私自身としては、ゆとり世代だと括られる事に抵抗があったので、年齢だけでゆとり世代だの、さとり世代だのとジャンル分けをされるのは、あまり好きではありません。
しかし、さとり世代は、ゆとり世代である事を認めています。
他人に、「君は、ゆとりだから」を枕言葉に嫌味を言われたとしても、なんとも思いません。
なんなら、「私は、ゆとりなんで」を枕言葉に自分から話を進めて行ったりもします。
つまり、”さとり”とは、”ゆとり”を超越した(と本人は思っている)存在なのです。
決して、それが悪いと言っているわけではありませんが、一緒に仕事をしていくとなると結構厄介。
仕事を教えてもなかなか覚えません。覚える努力がありません。何度も同じ事を、聞く度に初めて聞くような態度で聞いてきます。真面目に働くのが嫌いなので、ちょっと顔にニキビが出来たのも、仕事のストレスだと言い張りますし、仕事態度に対して注意をしたら、「だって私ゆとりなんで」と言い出す始末です。仕事に対しても、その仕事を教えている私たちに対しても、思いやりが無いのです。ちょっと、もう手に負えません。
こちらは、その子のためにと、仕事を教え、注意し、思いやりを持って接してきたつもりでしたが、待てど暮らせど、この思いやりが全く還元されません。
思いやりに見返りを求めるのはおかしいのかも知れませんが、やはり、こちらもいたわってもらいたいものです。
特に難しい事を教えているわけでも無いのに、何度教えても、「初めて聞きました」と言われ、わからないならメモをするよう促すと、「大丈夫です」と言われ、結局大丈夫じゃなくて、また同じ質問をされるのです。私も、かなり疲れますし、全然意思疎通が出来なかった事に対して、割と傷つきます。
始めは、その態度にイラついていましたが、次第にどうでもよくなってきました。
私に対して思いやりの無い人に、いたわり、傷つき、イラつくこの体力、正直無駄だなって思ってきたのです。
なんか色々一周してしまいました。というか、疲れました。
散々、愚痴ってしまいましたが、この”さとり”ちゃんとの付き合い方は、付かず離れずな距離感で、人は人、私は私の根本的な考え方を、常に頭に入れて、接していこうという結論に至った今日この頃です。(ここにめちゃくちゃ愚痴を書いてしまった時点で、まだまだ、頭の中ではこの結論に到達していないのでしょうが、この境地に辿り着けるよう日々精進致します。)