こんばんわ、灯華道です。
今日は個人セッションに行ってまいりました。
相談者は、50代前半の女性で、生け花の先生です。
この道30年のベテランで、今教えているのは、20~30代の初心者を対象としたコース。
彼女の悩みは、生徒さんとのコミュニケーションがとれないこと。
自分の子供よりも若い子たちに
どう指導すれば (話せば) よいのか分からず
悩み過ぎて
教室開催の日に、体調が悪くなってしまうのだとか。
自信がもてなくなっており、生け花への意気込みすら消えそうなのです。
そんな事情を聞いているうち
心に浮かんできた言葉は
「美は必ずしも言葉を要しない」
というもの。
だから
『先生ね、たぶん、言葉にこだわりすぎなんですよ。』
そう伝えたら、先生は
(;´Д`)
・・・。
それは分かっているんだけど・・の繰り返し(笑)
『いや、もうね、何か気の利いた事を言うとか、必要ないですよ。』
すると先生は
(*'ω'*)
・・・?
え、何も言わなくても良いのですか?
それじゃ、技術的なことを教えるだけになってしまう・・。
『ええ、それで良いんです、伝えるために言葉が必要ですから、でもそれだけいいんですよ。』
先生は少し考えてから
「あ、やだ、何だか恥ずかしいわ」 って微笑まれたのよ。
で、私も
『そう、その感覚です、とっても大切な部分ですよ』
そう言って微笑み返したんだ。
しばし、お互いに沈黙が。
この沈黙、
「心は必ずしも言葉を要しない」
ってなるわけで。
結局、そういうことさ。
先生の心の中で変化や整理ができたんだろうね。
↓↓↓
ああ、そうか。
技術だけじゃなく、生け花の本質的なもの、美しいと感じる心について
そういう
精神的な部分にフォーカスしたかったんだ・・。
そのほうが
普通の年配の女性としてではなく
「生け花の先生」 として迫力がつくから。
だてに年をとってないんだ、ってことを示せるもの。
生け花の美しさ、楽しさ、素晴らしさを、
純粋に教えようとしていたはず。
でも世代間のコミュニケーションという問題を前にして
若さに負けない自分
技術と同じくらい、心が大事だと伝える自分
ベテランだから舐められたくない自分
が、居た。
それで、瞬間的に先生は、恥ずかしいと感じた。↑↑↑
知識や経験豊富で、長年やっているんだから
今さら
コミュニケーション不足とか
そんな理由で諦められない。
お稽古事の仲間にも言えない。
(周りの先生は年上ばかりで、尊敬しているけれど、相談できる仲ではないらしい)
だけど生徒からは
【気楽に接することができる憧れの先生】 で居たかった。
それはプレッシャーが強すぎるよね。
会ったことのない、 「架空」 の素晴らしい先生に、自分がなろうとしているなんてさ。
人は、自分が思い描くことができないものには、決してなれない。
最後に私は
『先生、周りの方々に、もっと助けを求めて良いんじゃないかな。』 と伝えたんだ。
先生の先生、そのまた先生たちも
伝統を受け継ぐなかで
似たような壁に直面しているから、ね。
上品に
気高くあるべき
うん、でも限界もあるさ。
だって日本文化の伝統は大事なもので
伝えるのは大変で
何十歳も下の子供に分かるはずないから
はい、でも限界があるよ。
容易に言葉で繋がれないこともある。
言葉が邪魔になることもある。
感覚が命の生け花なら
そもそも言葉に執着しなくていいの。
『ありがとうね、今の気持ちが本音なのよね』
『来週からは、先生というよりも、私らしさを大切にしますね』
先生は悩みはどうやら軽くなったよう。
そうだよ、生け花の先生なんだから
その日の気持ちを
一流の手腕で
花を生けて魅せてほしい。
それが本来、この場にふさわしい
コミュニケーションなんだよね。
先生に撮らせてもらったお花の写真が紛失( ;∀;)
ここでアップして格好つけたかったのに(笑)
また探しておきます。今日はこのへんで(@^^)/~~~