全速力で突っ走る!!

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本物、本物アンド本物。

あえて今オリックスの長い低迷期を振り替える奴、その2です。今回は2010年から。



【2010】ついに目覚めた浪速の轟砲、噛み合い始めたチームの歯車 忘れられないあの日

岡田彰布が新監督に就任した2010年。この年は何と言ってもT-岡田の大ブレイク年。昨年焼け野原状態の中、一軍に昇格し7本塁打。覚醒間近と言われていましたが、見事その期待に応えホームラン王を獲得。チームとしては待ち望んだ和製大砲の誕生でありました。

その他にも先発に戻り最多勝を獲得した金子、リリーフに転向し勝利の方程式を築いた平野岸田、クビにした阪神を見返すかのごとく大暴れのバルディリスなどなど…。

トータルの順位は5位に終わりましたが、交流戦を優勝するなど間違いなく手応えを掴めたシーズンでありました。

そんな2010年でしたが、この年を語る上で避けては通れない件がございます。2月5日、小瀬の転落死です。(小瀬の名誉があるのであくまで転落死と記載します)

当時、この知らせを聞いた時の率直な感想はこんなことが起きて良いのかと。昨年規定打席未到達とはいえ三割を打ち今年はいよいよ本格ブレイクだと言われていた期待の星が。何より不思議系キャラでみんなに愛されていた、あんなにいい奴が。もうこの世にはいないんだと思うと悲しさとか悔しさというよりやるせなさを感じました…。

どれだけ凡退しても、どれだけ打たれても、また次のチャンスで結果を出せばリカバーできる。でも命は決して取り返しがつかない。誰もが知っていることではあるのですが、改めてその重みを痛感した一件でありました。

自分としても立ち直るのに時間を要しましたが、最終的には優勝を成し遂げた後小瀬が亡くなった沖縄の方角に向かって優勝したぞバカ野郎と叫ぶというのをモチベーションにまた頑張ろうと心に決め、前を向きました。あれから11年かかっちゃったな結局…。


【2011】浪速の轟砲、おしおきの4番へ 夢と消えた3年ぶりCS

確かな手応えを掴んで臨んだ2011年。その手応えはまやかしではなく、3試合連続サヨナラ勝ちを果たすなどし一時期は2位に浮上。CS争いを優位に進め、誰もが2008年以来のCSを頭に思い浮かべていたことでしょう。

しかし、終盤崩れに崩れ、最終戦で西武に捲られまさかの4位でフィニッシュ。2008年以来3年ぶりのCSは夢と消えました。

試合後、岡田監督は最終決戦の4番を務めたT-岡田をこう称しました。「おしおきの四番よ」と。

この年のT-岡田は体作りの失敗や導入初年であった統一球(通称飛ばないボール)への対応に苦労するなどし、ホームラン数は昨年からほぼ半減。昨年魅せた和製大砲の姿はいずこへ…。そんなTへの岡田監督の嘆きが込められた一言でありました。

最後に地獄に突き落とされた2011でありましたが、上位争いを繰り広げたのは事実。ファンとしては来季の期待も持っておりました。

それをフロントも察していたか、オフには韓国の主砲イデホと西武のセットアッパーミンチェを獲得。この大型補強にオリックスファンはもしかするともしかするのでは…?と期待に胸を膨らませておりました。おりました…。


【2012】新・暗黒時代

スローガンに新・黄金時代を掲げ、優勝の二文字を現実的な目標に設定しスタートした2012年。結果、最下位に逆戻り致しました。どうして。

2010~2011に活躍した選手のほとんどがこの2年より成績を落とす惨状。補強組はというと、ミンチェは開幕カードからいきなり炎上、デホは自身は頑張っていたものの周りの打者がからっきしのためどれだけ打っても打線としては機能せず。何もかも上手くいかない。

そんな泥沼のチームをさらに混沌化させたのが岡田監督の暴走。基本的に自分がどれだけ酷い采配をしても一切謝らず、選手批判。

特に酷かったのがキャッチャーへの批判。毎試合のようにキャッチャーのリードを扱き下ろし、挙げ句の果てには二軍へ落とす。それの繰り返し。伊藤を二軍降格させ鈴木を起用、その鈴木も降格させ日高を起用、日高を二軍にetc...。最終的にはには一軍経験の乏しい横山がスタメンマスク被ってましたねぇ…。

批判の矛先は選手だけに留まりませんでした。投手コーチも次々左遷。その結果どうなるかと言うと、ピッチャーがピンチの時、タイムをかけてやってくるのが何と山田バッテリーコーチ。嗚呼岡田マジック。

結局シーズン終盤に岡田監督は解任、森脇さんが監督代行に就任することになるのですが、この時数多くのプロ野球解説者やプロ野球ファンから岡田は悪くない選手が腐っているだけだなんて批判されましたが、いやいや岡田オリックスを知らないだけだろあなた方と。選手はともかく、この地獄絵図を見て何が悪くないというのかと…。

このオフに西勇輝のトークショーに参加したのですが、森脇監督(シーズン終了直後に代行から正式に監督に就任)になってからのオリックスはどうですかという質問に対しての西の答えが「"今は"楽しく野球できています」。その回答に対してお客さんから沸き立つ歓声。チーム全体としてもう岡田をリーダーとして認めていない、何よりの証拠でしたね…。

阪神では334があったとは言え、優勝に導いた名将。それが数年後には世紀の迷将に変わり果ててしまう。野球って難しい競技ですね、本当…。


色々長くなってしまったので続きは次回に。ではでは…。


オリックス、優勝やぁぁぁぁあ!!!!!(某Youtuber風に)

2021年パ・リーグ、まさかまさかのオリックス優勝ですよ!!!!

いや、誰が予想していましたか、この奇跡。僕自身も今年はAクラス争いに割って入ることができれば御の字かと…。

こんなに早く宮城が台頭してくるとは、ラオウがアラサーでホームラン王になるとは、福田宗が一二番に定着するとは、紅林が二桁ホームラン打つとはetc...。何が起こるか分かりませんね、本当に。

そんな嬉しい誤算だらけの2021年でしたが、これまでの年は真逆の悲しい誤算だらけでした。あえてその悲しき惨劇の歴史を振り返ってみようかなと…。

自分がファンを名乗り出したのはBW末期。ただ、今くらい熱狂的に応援し始めたのは2006年なのでそこから振り返っていこうかなと思います。あくまで自分の記憶だけを頼りに書くので間違っている箇所多々あるかもですが、ご勘弁を。

【2006年】
清原 is God⇒神は死んだ

清原、清原アンド清原なシーズンでしたね。クルーンから逆転サヨナラ満塁ホームランを打ったり成績以上にインパクトを残しておりました。だがしかし、いつの間にか怪我で消え去り…。その後は打線の希望は三割打者村松と二桁ホームラン相川くらい。今思うとよく最下位にならなかったなこのチーム。

あとルーキーだった平野が大投手に見えておりました。川越の次のエースが決まったなとその時は確信していましたね…。

【2007年】
ローズラロッカとゆかいな仲間たち 監督コリンズ
一年のブランクを経て復帰したローズとヤクルトから移籍してきたラロッカが大活躍。けれどもあとが続かず…で無事最下位。学校で散々オリックスは外人頼り!て煽られましたね。正論過ぎて言い返せなかった。

監督にはコリンズが就任。なかなかの迷将でしたね。今でも記憶に残ってるのが甲子園の阪神戦。8回まで完璧な投球をしていた平野を100球近いからと交代させ、加藤大輔投入。案の定追い付かれなお満塁で慌てて高木に交代、その結果死球でサヨナラ負け。子供ながらにやべーぞこの監督と戦々恐々としておりました…。

そんな不憫な思いも味わった平野でしたが、この年は何と言うか良いのか悪いのか判別がつかない内容。完璧な投球をした翌週に大炎上、そのまた翌週完璧な投球、またまた翌週大炎上と好投と乱調を交互に見せるある意味安定した投球だった記憶。川越の次のエースのはずなのに、なのに…。

そんなこんなで絶望的なシーズンでしたが、大引、金子、岸田と若手が台頭し始めてもしかして来年いけるんじゃね?と思い始めたシーズン終盤でもありました。

【2008年】
平野、岸田、デイビーはどこ…?⇒なんかキターーー!!!!!

開幕前に平野、岸田、デイビーが続け様に離脱してどないすんねん今年のローテという愚痴から始まった2008年シーズン。終わってみればなななんと2位。

開幕投手を務めた金子、ひらがなワールドこんどうかずき(近藤一樹)、慶応卒インテリ左腕山本省吾、そして何と言っても二年目の覚醒、新人王がキターーー小松聖。この4人による二桁カルテットが開幕時の不安を書き消してくれましまた…。

打線では昨年大活躍のローズと西武から移籍してきたカブレラが3番4番で打ちまくり。そして昨年とは異なり、坂口大引下山後藤など周りの打者も繋いでいったんですよね。終盤はもうビハインドでも負ける気しなかった。

そんな快進撃のオリックスを率いたのがシーズン途中で休養したコリンズに代わって監督代行に就任した大石大二郎。監督が代わるだけでチームはここまで変貌するのかと驚愕した当時。

大石采配の集大成と言えるのがCS進出がかかった西武戦。延長10回一死三塁バッター小瀬のところで大石さんが出したサインはスクイズ。ただ、西武ベンチもスクイズは読んでいて最大限の警戒をしての投球。なかなか小瀬は決めきれない。でも大石さんは選手を信じスクイズのサインを出し続ける。結果、小瀬はスクイズを成功、これが決勝点となりCS進出。見てるかコリンズ、これが名将だ。

CSは経験不足故か二連敗で敗退しましたが、これは間違いなく黄金時代が到来する、そうオリックスファンの誰もが確信しておりました。確信しておりました…。


【2009年】
そして誰もいなくなった

始めにこの年の順位を述べます。最下位です。さようなら黄金時代。

先発は二桁カルテット+怪我から復帰の平野岸田で磐石の筈が、小松はKO松化、山本近藤も昨年より成績を落とす、平野は逆流性食道炎で激ヤセ、結果を出したのは岸田と金子くらい。その岸田金子も、岸田は一時故障で離脱、金子は終盤何故か守護神転向。結局この6人が万全の状態で揃うことはなくフィニッシュ。

もう一つの大石オリックスのウリだった打線はと言いますと、みーんな怪我しました。ローズもカブレラも、この年取ったフェルナンデスも、復活を期待されたラロッカも骨折。

下山も怪我、大引も怪我、後藤も怪我。フォローする筈の選手も次々離脱。笑うしかない。

終盤観戦しに来たものの楽天藤原に準完全試合をくらいご立腹の宮内オーナーが大石監督に代打とか使えよと批判したのに対し、大石さんが「じゃあ誰を使うんですか!」と激昂したのが印象的。いやほんと正論。

そんな大石さんもこの年のオフに退任。こうして黄金時代到来と思われたチームは焼け野原に逆戻りましたとさ。

次の監督にはそらそうよが口癖、334とVやねんの立役者のあの男が就任。そして、激動の2010年へ…。


長くなったので、続きは次回に…。