和漢文化LABO ブログ

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日本伝統文化のルーツ・渡来・受容・日本ナイズ

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東洋香文化史家の千葉光柏(香麗志安 和漢香文化研究所主宰)です。

 

新元号「令和」の典拠の話題は4月1日を賑わしましたね。

『万葉集』が出典といっても、中国古典はついてまわります。

これも和漢文化。意味を掘り下げるためには中国古代へ。

 

「令和」の典拠を耳にしたとき、季節感、情景、色、香りを即座に
感じました。
しかも、連想できる香りは3種類、細かく数えるとなんと十種類以上!

白梅については多くの方が関心を寄せられていますが、他の香りの

要素はまだ注目されていませんので、中国、日本の香文化研究家

として一般向けの省略した内容で少々、解読してみたいと思います。

ちなみに、読み解くには中国と日本の当時の香文化ばかりでなく、
歴史的背景と文化人の共通認識を理解する必要があります。

 

『万葉集』巻五 梅花謌卅二首并序

于時、初春月、氣淑風披鏡前之粉、薫珮後之

時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、
蘭は珮後の香を薫らす。

 

◆蘭が指す植物

まず、「古典の蘭」は唐代まではラン科ランではなく、フジバカマ

を代表としたキク科の特定の種類の香草を指すと認識されています。

筆者は「古典の蘭」について昔から研究しており、他の香草も含まれ
ると考察しています。

 

古典の蘭については、多くの注釈者が多くの名称を記しているため、

古来、しばしば議論されてきました。植物分類学が確立していない

時代に種類を特定するのは困難ですし、今の私たちが似ている

植物を正確に判断するのも難しいですよね。

どの植物かひとつに特定するのではなく、

「フジバカマや、フジバカマに様子や香りが似ている香草」

とするのがよいと思います。

ただし、日本の奈良以降では、蘭はフジバカマに対応しています。交雑
しやすいので近縁種も含まれますが、基本的にフジバカマと訳してよい
でしょう。

 

具体的な植物としては、日本で秋の七草として同じみのキク科の

フジバカマEupatorium fortunei)や近似種のキク科ヒヨドリ

バナ属のサワヒヨドリ、ヒヨドリバナ、ヨツバヒヨドリ

(自然交雑しやすいので、現在園芸店で販売されているフジバ

カマはサワヒヨドリ等と交雑しているものが多いとか)が挙げ

られます。どれも芳香成分クマリンを含むことも特徴です。

筆者はその他、特定の香草も候補に挙げています。

 

中国初の文学小説『楚辞』には、蘭という字を含むラン科石蘭(石斛)や
キク科馬蘭が登場しますが、香りが良い蘭とは異なります。

クマリンは今満開の桜の葉にも含まれていますので、桜餅のような
香りと表現することが多いです。

私は自宅の庭でフジバカマを育ててチンキを毎年作っています。

本当に良い香り。(下の写真は東京都薬用植物園)

フジバカマ精油(カリス成城)も販売されています。

 

   

 

宋代になると世の中が安定し、園芸にも力を入れることができるようになり
ました。蘭の栽培も進み、いつの間にか蘭は地味なフジバカマから華やか
なラン科ランに取って代わられたのです。

「四君子」は梅(冬)・蘭(春)・竹(夏)・菊(秋)ですが、これらが描かれる
ようになったのは宋代以降。描かれている通り、この蘭はラン科ランです。

今回、令和の典拠となった序の中の蘭について、蘭はフジバカマだが、
これは東洋蘭、という先生もおられます。
梅と一緒に咲いているなら、秋に咲くフジバカマではないと思われるかも
しれません。

 

たしかに、この大伴旅人の邸宅で催された梅花の宴は天平二(730)年の
正月13日、新暦では2月8日あたり。蘭の葉はまだ出ておらず、ラン科の
春蘭などもまだ開花していない時期です。

この蘭に対して、その場に咲いているわけではなく単なる「文飾」とされる
先生もいらっしゃいますが、筆者は異なる意見を持っています。

◆「蘭薫珮後之香」の「蘭」とは?
筆者は、この蘭は二つの意味があると考えています。
①乾燥させて香袋に詰めたフジバカマの葉
②君子を表している

①現実=(誰かが)身に着けた香袋のフジバカマが芳しく香っている
②たとえ=君子が身に着けた香袋の香りが芳しく香っている
  (香袋の中身は貴重な薫香原料、のイメージ)

作者は「蘭薫珮後之香」を現実の様子を詠むことで、連想できる
風景も意図したのではないでしょうか。

◆「蘭薫珮後之香」の「香」とは?
「珮(佩)」は、珮玉など腰に下げる装飾品を指すときに使用する漢字です
ので、香袋(香嚢)を想像させます。
蘭は「佩蘭」と表現されることがありますので、序はそれも意識しているはず。

盛唐の様々な文化を携えて帰国したのは、まず天平六(734)年帰国の養老
の遣唐使たち、すなわち、吉備真備たちなのですが、この梅の花の宴は
天平二(730)年ですから、新しい香文化が入ってくる直前にあたります。
正倉院宝物の中に美しい小香袋が収蔵されていますが、これは梅の花の
宴より後に日本へ渡来したものではないかと考えています。

薫香原料は舶来品で貴重なもの、平安時代にはステイタスも意味しました。
天平時代は貴族の中でもまだまだ一般化されておらず、香袋は下げる
風習はあっても、現実的には香草を詰める方が現実的だったと思われます。
当時は日本で育てたフジバカマを利用したのでしょう。

このあたりの時代背景の研究は、『香文化録』第3号の
『薫集類抄』みえる中国由来の香方について―伝えられた香文化―
に詳しく書いています。

◆梅の宴で実際に漂った香り
筆者なのか招待客の誰かがフジバカマの香袋を下げていたので、
宴会では、白梅の香りとフジバカマの香袋の香りが合わさってとても良い
香りだったのではないでしょうか。

◆蘭=君子=招待客
さらに蘭が君子を表すため、その場にいる招待客を暗喩していると
考えています。梅の美女に対して、蘭の君子なのです。

中国古典の中で蘭は、香りがよいばかりでなく、その生き様(生え様?)
から、高貴な香りとされていました。
『楚辞』の中ではまとわりつくつる草、トゲ、臭い草は悪草=悪い官吏、
良い香りの香草は、善草=君子の隠喩です。

梅花の宴に招かれた貴族たちは、このくらいのことは常識でしょう。

君子の象徴である蘭にたとえられていると考えれば、この序は
すんなり読めるようになると思います。

フジバカマを育ててみれば中国古代人の気持ちがわかります。
寒くて雪が降っても葉をなかなか落とさない。まっすぐに茎を伸ばした
姿は清廉潔白な人物に見えたのでしょうと。
困難な状況にあっても志は変えない、というような。まさに屈原ですね。
寒さを乗り越えて花開く梅にも似ています。

後世の詩人たちは皆、『楚辞』を土台に蘭を擬人化して詠み込んでいます。
   蘭は山奥で誰もいなくても一人芳しく香ってるさ。
   (自分の境遇、志を語っている)

中国古代では蘭は「佩蘭」というように、蘭の香りを佩びる習慣があり
ましたが、君子を象徴するわけですから誰もが下げられたわけではあ
りません。他の香草を佩びます。

また、枕に蘭を詰めたり入浴剤にするなど、日常生活で今のハーブの
ように使用していました。

蘭の良さはそれだけではありません。芳香成分のクマリンは糞尿を
消臭する効果があるのです。昔は特にありがたい。

◆「蘭亭序」の連想
蘭を選んだことにはもう一つ理由があると思います。
蘭を加えることで「蘭亭序」と関連付けたいという思惑もあったのではな
いでしょうか。
この梅花の宴の開催は「蘭亭序」の「曲水の宴」を意識しているようです。
「蘭亭序」の「天朗氣清、惠風和暢」は「氣淑風和」のお手本のひとつでしょう。
梅花の宴に惠風を使うにはまだ早いですね。
張衡の『帰田賦』の「於是仲令月、時和気清
の影響もあるでしょう。
なお、「氣淑」は後世の俳句で用いる「淑気」とは異なります。

というわけで、中国古典に通じている教養ある序の作者が、良い香り
でかつ君子の象徴としての蘭を参加者に重ねて選んだのでしょう。
まさに文化人の証です。

序を読んだ参加者もすぐにわかって「なかなかいいねぇ」と感じたはず。
もちろん共通認識でしょうし、何より、参加者たちが蘭にたとえられた
ような気分になるからです。

では、上記の考察を踏まえて訳してみます。
「香袋」は本来のお香の意味と、その場に香る白梅の香りもかけている
と考えました。

*******************************************************
『万葉集』巻五 梅花歌三十二首并序 
【千葉光柏による意訳】  
時は新春の令月、空気は澄み、風は和らいでいる。
梅は美女が鏡の前で白粉をはたいたように白く咲き誇り、
蘭(フジバカマ類・君子)は身に佩びた香袋から雅な香りを漂わせている。

【千葉光柏による状況解説】
時は新春のめでたい月。空気は澄みきって風は穏やかにそよいでいる。
庭の梅は美女が鏡の前で白粉をはたいたように白く咲き誇り、
蘭(フジバカマ類)は香袋から香りを放ち、宴に招かれた高貴な方々(君子)
は身に着けた香袋から雅な香りを漂わせている。
○梅=美女。蘭=フジバカマ類(近縁種を含む)、君子を象徴=梅花の宴の招待客。
○梅と蘭、粉と香は対句。
********************************************************

香りをイメージしにくい方は、
白梅満開の庭、桜餅のような香り、ふんわり甘めなお香の香り 
ではどうでしょう。 

この梅花の宴の序は、巧みにつくられていますので想像力が膨らみ
ます。当時の人達の漢籍の知識レベルがにじみ出ている文章とも
いえます。

自然を心から愛でた日本人に文化的素養が加わってこそ、このように
大伴旅人の庭の情景を伝えることができたのですね。
そして、千数百年を経て、この情景から「令和」を抽出し、新元号として
採用できる日本はまさに奥深い文化を有していると思いました。

元号の背景として、開花した白梅の前に和やかに集う天平人が想像で
きるとは、なんとすばらしいことでしょう。
令和は五感を気持ちよく刺激できる元号だと思いませんか?

書きたいことは山ほどありますがだんだん複雑・難解になってしまう
ので解読はここらへんで。

新元号・令和にまつわる豊かな香りにも注目して頂ければと思います。
そして、令和の代はフジバカマを再生できればよいですね。


勝手に令和にまつわる香りの商品化を考えてみました!

旅行業界
梅関係に加えて、準絶滅危惧(NT)のフジバカマ生育地の保全・復元に
関連するツアーを組む

アロマ業界
フジバカマの精油は高価ですが、J-aroma として安定すれば、栽培

も盛んになるでしょう。

お香業界
令和の香りは六種薫物の梅花がイメージ。フジバカマの葉を配合
すると、さらに令和らしい香りとなる。

匂い袋にフジバカマの葉を配合する。

お菓子業界
令和の香りは「重厚な甘酸さ」  干し梅を塩漬けの桜葉で巻いたり、
白餡にねり梅を混ぜる、というような味がイメージ。
練り切りなら、梅やフジバカマの模様を。

CiNii千葉論文
漢武帝時代の香草・香木に関する論文で蘭に触れています。

『東洋文化』復刊第114号(無窮会、2017年)に以下の論文が掲載されました。

 

「李夫人」詩における反魂香の典拠と香り

―漢武帝の「香」逸話をたずねる―

 

香麗志安 和漢香文化研究所 

千葉 恭子

 

以前、国立台湾大学で発表させて頂いた内容を整備したものです。

 

日本では、『源氏物語』において暗喩され、能、謡曲「花筐」、浄瑠璃、歌舞伎「傾城反魂香」、

落語「反魂香」などで親しまれている反魂香。

 

白居易が少年時代に建立された有名な碑には、西域の不思議なモノたちに並んで、すでに

「返魂香」という文字が刻まれています。唐の多くの詩人たちに詠まれていた返魂香ですが、

白居易は構想を壮大にして、反魂香をみごとに詩の中に練り込みました。

 

白居易のおなじみ「長恨歌」では、玄宗皇帝は使いを異界に送って、楊貴妃からみやげを

間接的に受け取ったのですが、

「李夫人」詩では、漢武帝自身が愛する寵姫・李夫人の姿を見たような、見ないような・・・・

方士が反魂香を焚くのがミソ。

 

そもそも、漢武帝と李夫人の悲恋ストーリーは『漢書』にありますが、その元は『史記』に

あります。拙稿では『史記』と『漢書』の内容を比較検討、王夫人の逸話が李夫人に

すり替わった点も指摘しています。

 

骨になる素材を華麗にデコレートしていく白居易。そのデコレーションのひとつひとつ

にはしっかり典拠があります。その典拠を紐解いていきました。

 

今のように情報過多ではない古代の巷です。有名な話は庶民の誰もが知っている。

時代を経て尾ひれ背びれはつきほうだい。

 

ですから、「李夫人」にちりばめられた「小道具」に、読者はいちいち「あー!あれね!」

とすぐに合点する。共感を得やすいのです。「らしさ」の使いこなしがすばらしい。

 

方士らしさの霊薬、玉釜、金炉、豪華さの象徴である昭陽殿。

妖しい世界、あこがれの宮殿内。読者は空想の世界にゆらゆら。

とにかく、白居易の編集力には魅了されます。

 

漢武帝と李夫人にまつわる植物と香の逸話も実は多いのです。

白居易はそれで反魂香を採用したと考察しています。彼が生きている時代は

すでに煉丹術の丹薬の害は知れ渡っていますから、主人公の漢武帝に丹薬を

飲ませるわけにはいきません。そこで編み出したのが、錬った香を焚くこと!

降霊に香を使うのは常識ですし。西王母をお呼びするのと同じ。

 

反魂香の典拠は今までにも指摘されていますが、それらを詳細に分析、整理し、

さらには唐楽『蘇合香(そこう)』との関連を考察しました。白居易はこの唐楽に

親しんでいた証拠があります。インドの王様は蘇合香という草を服用したことに

よって病気が治るんです。霊力ある草ですね。

日本では今でも『蘇合香』が公演されています!

 

さて、反魂香の正体は。魂を呼び戻せる香はあったのか?呼び戻せそうな香はあった

かもしれませんね。それはそれとして、白居易がモデルとした香を列挙しました。

 

モデルは単一の香料かもしれませんが、複数の香の可能性も高いと思われます。

当時の人々にとって西域からもたらされる香料はさぞミステリアスだったのでしょう。

エキゾチックな香りは未知の世界を想像させます。

といっても、読者の唐の庶民にとっては高価な舶来品の香料なんて縁遠いもの。

反魂香って、どんな香りなのだろう?皆それぞれに想像したことでしょう。

 

愛する人の魂を呼び戻したい・・・・民族、国を越えて誰もが願う普遍のテーマ。

だからこそ、日本でも時を越えて翻案され続けてきました。

 

白居易が推敲を重ねて作った作品、反魂香の話は、日本でみごとに花咲きました。

今日も落語「反魂香」を聞いておなかを抱えて笑っている人もいるはず。

そのエッセンスは、紀元前の漢代なのです。

まさに、和漢文化ですね。

 

 

香の「香餅」 Q&A 第1回

日本香文化学会発行『香文化録』創刊号には香餅に関する論文を
掲載しています。そこから一般の方にもわかりやすいように要点のみ
解説していきます。

 

和漢文化の一品

香餅は中国で誕生し、日本では江戸時代から作られるようになりました。

 

Q1
香餅をネットで検索すると、おまんじゅうなどお菓子が出てきますが、
お香にもあるそうですね。

A1
はい。「こうへい、こうべい」などと呼ばれています。
日本ではあまり知られておらず、現在(2016年)は市販されていません。
しばしば、「印香」という小さく薄い香品と混同されることが多いのですが、
実は別物です。

 

もっとも古い記録は中国の北宋時代の書物に記載されています。
最初は「香炭団」(こうたどん)として開発されました。
その後、数百年かけて、香餅は香り、色、形、紋様、艶、弾力ある
美しい香品に発展したのです。


香餅は、香品の中でも非常に重要なものです。
なぜなら、それは香丸(薫物、煉香)と線香の間をつなぐ秘密を有して
いるからです。

世界の中の日本美術―過去から未来へ―

デモンストレーション 王朝装束

田中潤先生 有職研究家

 

王朝装束は継続してきたわけではなく、いったん途絶え、

考証によって復活したのは江戸時代末、

おなじみのおすべらかしは、なんと幕末からなのだそうです。

 

大学院生に束帯を着付けしているのはもしや、後輩?

解説だけでなく実際に着付けもなさるんですね。

十二単は肩に重さがかかるので立っているだけでも大変。

実際には膝行で移動していたようです。

美しいお内裏様とお雛様の実物大にうっとりでした。

着装していたご本人が着物をたたんでいる、すばらしい!

 

世界の中の日本美術―過去から未来へ―

ギャラリートーク 座敷飾り

島尾新先生 学習院大学教授

 

金閣寺には、実は会所・天鏡閣が存在していたそうです。

しかも、かなり大きい。NHKのCGは実物さながらの映像です。

 

唐物がここに1000点もあったとは驚きますね。

唐土では土足、日本では座敷。当然使い方も変わってきます。

 

といっても、私自身、畳の部屋に大きなテーブルとイスが配置

された風景に慣れたのはつい最近のような気がします。

最初は「畳が傷む・・・」と心配したり。

正座を避けられる年配の方のためのライフスタイルの変化。

 

前を歩かれているのはもしや、繭山龍泉堂さんの「川島さーん!」

今回、唐物飾りを提供して下さったので、ご説明にいらしたのだそう

です。龍泉窯青磁の壺、重厚な端渓硯、西アジア風小型水差し、

個人的には小さな徳化窯の觚(清朝)が好みでした。