宍戸城祉

久しぶりに笠間市(友部)へ行きました。

下矢印宍戸城本丸土塁上に鎮座する 末廣稲荷神社(土塁北端)

この、「ししど じょう」 と いう響きが好きで・・・ すみませんアセアセ

 

茨城県 笠間市(旧友部町)にあります。

ここは、常陸宍戸氏(八田氏系)の故郷です。

 

下矢印神社から100m程南の土塁(本丸土塁の南東角と思われる) 

宍戸氏は 1193年 常陸守護になった 八田知家(はった ともいえ)の四男 家政(いえまさ)

この地に館を構え宍戸を名乗ったのが始まりとされています。

 

実は、広島県の「五龍城主 (安芸)宍戸氏」のルーツもここです。

広島宍戸氏は、茨城宍戸氏の五代目「知時ともとき」の子「朝家ともいえ」が広島へ移ったのが

始まりで、毛利家と対立しながらも、戦国期末の当主 隆家の妻に 毛利元就の娘を迎え、

その後は毛利・吉川・小早川と肩を並べるようになったそうです。

 

でも、今はこの辺りに「宍戸」という地名はありません。

駅名は「宍戸駅」、小学校も「宍戸小学校」なのに、どこが宍戸?

現在の笠間市辺りは、中世 「宍戸荘(ししどのしょう)」だったそうです。 

 

下矢印宍戸城鳥瞰図(江戸時代) ※「余湖くんのお城のページ」からお借りしました

初代宍戸氏は、図の下の方にある「古館ふるだて」辺りに住んでいたと思われます。

上の図に描かれている宍戸城は、江戸時代の姿です。

下矢印古舘付近 (竹林・倉庫辺り一帯)

その後、戦国時代には佐竹氏に従ったようです。

 そして関ヶ原の戦いの後、佐竹氏と共に秋田県へ移りました(茨城県に残った人もいたよう

ですが)。

 代わりに、秋田から秋田実李が 入れ替わりでこの地に来ました。

初めてこの地に来た秋田氏は質素な造りの館を見て・・・

「これは城じゃなくて、家でしょう!」と不満を漏らし、城と城下町の整備を始めたそうです。

(まったく失礼な! でもわかる気もする)

 

下矢印近くの新善光寺跡付近の城塁? ここにも館があったと言われているけど??

 今では、城の面影を留めている所は ごくわずかです。

私のような城オタクでもなければ通り過ぎてしまうでしょう。

 

 

下矢印茨城県の名産品

間違えた!

下矢印こちらが茨城です

下矢印戦国の城が忠実に描かれています。

下矢印こちらは実写版