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 天皇陛下のお言葉集『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(矢部宏治著・須田慎太郎写真 小学館)によって、戦後から現在まで一貫して平和への思いをつむぐ、82才の天皇陛下のお人柄を知りとても感動しています。天皇・皇后両陛下の崇高で美しい魂は、今希望を失いつつある日本にとって、かけがえのないものであり、日本の最も誇れる宝だと思います。
 この本はお言葉とその時代背景や行動、美しい写真とともに、文字も大きくて読みやすく書かれています。

 
  『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』から (太字は天皇陛下のお言葉、細字は著者矢部宏治氏の文章) 

 「はじめに」

 象徴天皇という大きな制約のもと、折に触れて発信される明仁天皇の考え抜かれたメッセージ。その根底にあるのは、「平和国家・日本」という強い思いです。
 心の中で願っていればかなうものではなく、ときには我が身を危険にさらしながら、日々くりかえされる大変な努力の果てに、ようやく実現されるものだということを、それらのメッセージは教えてくれています。
 そうした長期に及ぶ思索と大変な自己犠牲の中からつむぎだされた「光もつ言葉」の数々を、ひとりでも多くのみなさまに知っていただければと思います。

 Ⅰ I shall be Emperor.
 Ⅱ 慰霊の旅・沖縄
 Ⅲ 国民の苦しみと共に
 Ⅳ 近隣諸国へのメッセージ
 Ⅴ 戦争をしない国
 Ⅵ 美智子皇后と共に

 Ⅱ慰霊の旅・沖縄編から

*”払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地(沖縄)に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません”ー昭和50年/1975年/7
月7日/文書による「談話」

 うちなーぐち(沖縄の言葉)でよまれた歌
花ゆうしゃぎゆん  (花を捧げます)
 ふぃとぅ(人) 知らぬ魂  (人知れず亡くなった多くの人の魂に) 
 いくさ(戦)ねらぬ世ゆ  (戦争のない世を)
 ちむ(肝)に願て  (心から願って)住民、軍人、日本人、アメリカ人の区別なく、3万5000人もの身元不明者の遺骨を収めた沖縄で最初の慰霊碑「魂魄の塔」についてよまれた琉歌

 1975年初回沖縄訪問
*”石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民のなかに入っていきたい” 1975年沖縄初訪問直前のお言葉

 

 Ⅲ国民の苦しみと共にから

*”政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すのに最もふさわしい在り方ではないかと思っています。私も日本の皇室のあり方としては、そのようなものでありたいと思っています” -昭和59年〔1984年〕4月6日/血痕25周年の記者会見

 

 Ⅳ近隣諸国へのメッセージから

*”貴国(中国)と我が国の交流の歴史は古く、とくに7世紀から9世紀にかけて行われた遣隋使、遣唐使の派遣を通じ、我が国の留学生は長年中国に滞在し、熱心に中国の文化を学びました。両国の交流は、そのような古い時代から長い間平和裡に続き、我が国民は、長年にわたり貴国の文化に対し深い敬意と親近感を抱いてきました。
 しかし、この両国の関係の長きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し、多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終った時、我が国民は、このような戦争を再びくり返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました”ー平成4年〔1992年10月23日/楊尚昆国家主席主催晩餐会/北京/人民大会堂

対馬より 釜山の灯 見ゆといへば 韓国の地の 近きを思ふ-美智子皇后の歌/平成2年〔1990年〕/題「島」

*”ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います”ー平成27年〔2015年〕4月8日/パラオ共和国/歓迎晩餐会
                    
                     以上『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』から 

 

 先の戦争で天皇の名において犠牲になった名もなき多くの人々を追悼する明仁天皇。誰よりも、何よりも重たい十字架を背負っているのかもしれません。日本国民はそのことを肝に銘じて「戦争しない国」を未来永劫継続しなければいけないと思います。NHKが天皇陛下のお言葉をカットするのはとんでもないことです。