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<15年前 私 YAHOOで買った衣装>



昨日久しぶりに近所の司法書士の

とこへ遊びに行った。


セブンの珈琲をお土産に持って

話してると彼の故郷 佐渡ヶ島になった

子供の頃 島の人口七万と言ったが

今は五万だそうである。

対岸の新潟市へ人は流出。


彼はお盆に 墓参りに行くと言う

実は私が興味を持っているのは

彼の家系である。

叔父さんは帝国海軍少将、

父は海軍大尉だそうだ。

昔の田舎の島では大出世だったと思う


同じ新潟県出身の山本元帥と学友で

懇意にしていたと、おばあちゃんが

毎日誇らしげに語ったそうだ


昭和二十年四月 二人とも戦艦大和に乗って、

元帥に呼ばれるように沖縄沖で沈んだ

勿論 当時は軍機で大和が沈んだ事は

極密だった。


終戦になって、おばあちゃんは相川町から20キロ

両津の佐渡汽船の岸壁まで、毎日出迎えに

行ったそうだ。半年の続いた



二葉百合子の岸壁の母そっくりだ

昭和二十年の九月頃の話であるから

勿論 舞鶴港の引揚船の波止場の話は、

互いに知らなかったろう。



~♪ 母は来ました 今日もまた

   この岸壁に  今日も来た

   もしやもしやに

   もしやもしやに

   引かされて♪~~


戦後二十年くらい

おばあちゃんは夏になると

息子の白と紺の海軍軍服を

虫干ししたと言う


海を見下ろす丘の上に

墓がある

周りに石垣があって

海軍の紋章を刻んだ門柱

が立っているそうだ。


波濤泡立つ 冬の日本海

その海は大和の沈んだ沖縄に

繋がっている。

(もうひとつ おばあちゃんの昔話)

戦艦大和が沈む時、艦長や主だった

将校は操舵に身体をロープで縛り

着けてもらったそうだ。

もちろん艦と共に沈む為に。

   と語った