<小夜が待っていた転害門・袖塀が「なで肩」なのが美しい>
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奈良盆地を旅して 方角に迷ったら山を見るがいい
二上山の麓には當麻町、葛城山の麓には御所市、
三輪山の麓には桜井市、そして畝傍山の山麓には橿原市
がある。 (幻想引用)
この「箸墓幻想」は 他の浅見シリーズとは文体が違う
缶珈琲とネルドリップで入れた珈琲くらいの違いがある。
桜井市のホノケ山古墳で「画文帯神獣鏡」が出た
これが卑弥呼の鏡ではないかと騒がれた。
近くのマキムク遺跡では 卑弥呼の宮殿らしき物が
発掘されている。
これらの事実を下敷きにしてやはり近所の
前方後円墳の「箸墓」を卑弥呼の墓として
物語は進む。
ここらへんの展開が事実とあいまって
ぐいぐいと引き込んでいく。
橿原考古学研究所の描写も立教の
研究室で縄文土器を石膏で復元作業を
したのを思い出す
数年前のGW、 三十年振りに奈良に行った
妻はハルピンに帰省中とて
私一人だった。
桜井市の箸墓付近まで踏み込まなかった。
<奈良奥まで行く心の準備ができなかった>
だから観光客が溢れる東大寺のみ
実は「東大寺の江戸建築」は見たく無かったのだ
鎌倉建築の南大門、奈良期の転害門は見た。
大仏殿は二度焼けた
最初は平重衡が源平時代に焼いた
今の1.5倍の規模があった
それが美しいのである、今のは小屋掛けのように
品が無い。 (これは江戸期とて 止むを得ない)
奈良期の大仏殿を心の中で想像して、楽しんできた。
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西の境界にある<転害門(てがいもん)>創建当時の唯一残った門だ。
岩井三四ニ(みよじ)の描写に 転害門にやぐらを組んで
転害門の前の道で盾も並べて
平重衡の軍を迎え撃った。
と言う記述があった
(その時はまだ 創建当時の大仏があった
数時間後 大仏が焼失する)
安土城が焼ける、大阪城が焼ける
私にとってそんな出来事ではない
この場面は平成の今 胸が痛む
岩井三四ニの小説 「南大門の墨壺」
消失と再建の物語である。
私は大仏殿の左へそれて行った
戒壇院の方だ
転害門がある
<ここは唐招提寺方面から来る佐保路が突き当たる所だった>
京から攻めて来た平重衡の軍と戦った場所でもある。
南大門を建てた大工の娘 ”小夜”が待っていた場所でもある
そこに居た可愛い高校生に
心で呼びかけた <小夜!>
同じ場所だ
箸墓幻想があらぬ方向に行ってしまった。
(終わり)