昨日から受態画面を変えた
鎌倉の大仏さんの写真があったので、入れてみた。
PCの拡大した画面で大仏さんを見ると、
また違った感想があるものだ。
四年前だったろうか
妻と二人で湘南を旅した
ありきたりの観光スポットを巡り、大仏さんに来た
大仏さんをバックに妻を撮ろうとすると
「仏さんは写真に撮るもんじゃないよ」
大仏さんの前に立たないのだ。
仕方がないので斜め横から大仏さんだけ
撮影したのがこの写真である。
拡大で見ると鋳物の継ぎ目が分る
そして蓮華の組手の親指の間から
雨水が流れた跡がある。
明応(1241の大地震は8メートルに達し大仏殿を押し倒した
手のひらに雨水が溜まることを想定していたのだろうか
親指の穴が無ければ、水溜まりになって、
もっと破壊だ進んだろう
。
半眼の目は 鎌倉幕府の滅亡を見つめ、
戦国時代の上杉謙信が越後から出てきたのも
見ていた。
そして昭和の初め、山本五十六が鎌倉材木座に
マイホームを建てて、お礼に御参りに来たのも
見つめた。
私が写真を撮ったのなんか、800年の長い時の
ほんの瞬くときだった。
これからしばらく パソコンの画面で
大仏様にお会いする。
私の小説・鎌倉物語第四章 Tunami
の主人公「真魚」は昼のおにぎりを
喰っているとき 津波に遭遇して
とっさに大仏さんの膝から肩へ登り
耳に足を掛けて頭のてっぺんにたどりつく。
黒い波が大仏さんの胸を洗う
倒れた柱が浮き上がり、長谷の谷の奥の方に
流れていった。
その津波も見ておられた。