
パレスチナ関連近況
パレスチナ自治区ガザ地区南部ハンユニスにあるナセル病院に到着し、歓迎を受ける北部のアルアウダ病院院長(2025年10月13日撮影)。(c)Omar AL-QATTAA/AFP
シェアさせてもらった記事からの抜粋です。
『15 Oct 2025
ガザ北部にあるカマル・アドワン病院の院長であるホッサム・アブ・サフィア医師は現在、ヨルダン川西岸とくにあるイスラエルのオーフェル刑務所に収容されている。(AP)
ガザの停戦協定により、
イスラエルは病院襲撃時に拘束した医師、看護師、救急隊員、その他の医療関係者数十人を解放した。
しかし、イスラエルの包囲と砲撃のもとで患者の治療を続ける闘いの顔となった病院長、ホッサム・アブ・サフィヤ医師を含め、
100人以上がイスラエルの刑務所に収監されたままである。
彼の解放を求める声が広まったにもかかわらず、
アブ・サフィヤ氏は月曜日にハマスが拘束していた20人の人質と引き換えに解放された数百人のパレスチナ人拘留者・囚人の中には含まれていなかった。
ガザ北部にあるカマル・アドワン病院の院長であるアブ・サフィヤ氏は、
イスラエルによって10カ月近くも罪状なしで投獄されている。
ガザからの拘束を記録しているHealth Workers Watchは、月曜日に解放されたガザからの拘束者のリストに、31人の医師と看護師を含む55人の医療従事者が含まれていると述べた。
同団体によれば、少なくとも115人の医療従事者が拘留されたままであり、
イスラエルの刑務所で死亡した4人の遺体もある。
アル・アウダ病院のスタッフは、
釈放された院長のアハメド・ムハンナ氏を肩に担ぎ、歓声を上げた。
ムハンナ氏は、
2023年末にガザ北部の同病院への襲撃で拘束されて以来、イスラエルに約22ヶ月間拘束されていた。
「アル・アウダ病院は再建され、スタッフは自分たちの手で再建する・・・
私たちがやってきたこと、そしてこれからやることを誇りに思う」
とムハンナ院長は歓待する人々に語ったが、
ソーシャルメディアに投稿されたビデオによれば、その顔は拘束前よりも明らかにやつれたものだったという。
アル・アウダ病院は、大部分が破壊されたジャバリヤ難民キャンプの複数の攻撃で被害を受け、イスラエルの最新の攻撃で避難を余儀なくされた5月以来、閉鎖されている。
アブ・サフィヤ氏(52歳)がまだ釈放されるかどうかは不明である。
イスラエル当局はコメントを求めたが、すぐには返答しなかった。
彼の家族はソーシャルメディア上で、
”釈放の時期についての詳細は確認されていない “と述べ、
釈放された拘束者たちは彼を “健康で元気である “と述べたと付け加えた。
イスラエル軍によると、アブ・サフィヤ氏はハマスに協力したか、ハマスのために働いていた疑いで調査されていた。
彼と協力していたスタッフや国際援助団体はこの主張を否定している。
2023年11月、イスラエル軍はガザ市のシファ病院長モハメド・アブ・セルミヤ医師をハマス幹部と断定して拘束したが、
7カ月後に釈放した。
小児科医であるアブ・セルミヤ氏は、ジャバリヤ、ベイトラヒヤ、ベイト・ハヌーンといった周辺地区へのイスラエル軍の攻撃中、カマル・アドワン病院を85日間包囲して指揮を執った。
(みなるん注:元記事チェックしてみましたが、機械訳だと、
小児科医のアブ・サフィヤ氏は、
ジャバリーヤ、ベイト・ラヒヤ、ベイト・ハヌーン周辺地区でのイスラエル軍による攻勢中、カマル・アドワン病院が85日間包囲されていた際、
同病院を率いた。
となってました)
サフィヤ氏が公開したビデオは、
彼のように、負傷したり家族が殺されたりしながらも、包囲下で働き続けたガザ中の医療スタッフの決起集会となった。
12月27日に軍隊が病院を急襲したとき、
映像には、患者の避難について話し合うため、瓦礫の通りをイスラエル軍の装甲車に向かって歩いていく白衣姿のアブ・サフィヤ氏が映し出された。
アブ・サフィヤ氏と患者やスタッフを含む数十人が捕虜となった。
「アブ・サフィヤ氏は最後の瞬間まで病院にいた。
彼が去れば、そこの医療サービスはすべて崩壊してしまうからだ。
ホッサム医師は本当に偉大な人です」
と、アブ・サフィヤ氏と29年来の知り合いであるガザ市の患者友愛病院医長のサイード・サラー医師は語った。
包囲の間、アブ・サフィヤ氏は病院閉鎖を求める軍の要請を何度も拒否した。
彼は、負傷したパレスチナ人の波の治療に奮闘するスタッフのビデオを頻繁にソーシャルメディアに投稿した。
病院の物資が底をつく中、彼は国際的な支援を懇願し、患者やスタッフに負傷者や死者を出し、病棟を損傷させたイスラエル軍の建物への攻撃を報告した。
2024年10月、無人爆撃機による空爆で、
息子のイブラヒムさんが病院の入口で死亡した。
「私は病院を出て患者を犠牲にすることを拒んだので、軍は息子を殺すことで私を罰したのです」
と、彼はその後のビデオで泣き崩れながら語った。
その翌月、ドローンの破片が事務所に座っていたアブ・サフィヤ氏を負傷させた。
(みなるん注:元記事では「ドローンの爆発による破片」となってました)
「負傷していても、彼は患者の間を歩き回っていた・・・
彼は患者の間で寝たり、食べたり、飲んだりしていた」
と、米国の医療援助団体MedGlobalの栄養技術顧問であるラナ・ソボー医師は語った。
アブ・サフィヤ氏は、
前任のアフメド・カールアウト医師がイスラエルの襲撃で拘束された後、2023年末に病院長に就任した。
カーロウト氏もまた、ハマスのメンバーであるとしてイスラエルに拘束されている。
アブ・サフィヤ氏は、甚大な被害を受けた病院の再建に取り組み、集中治療室と小児病棟を復活させた。
ソボー医師は彼と協力して栄養失調病棟を立ち上げ、何百人もの子どもたちを治療した。
彼は「素晴らしい医師です。彼は無から有を作り出したのです」
12月27日、軍隊が施設を包囲した。
病院に入院していたアブ・サフィヤ氏の息子エリアスさんによると、
父親は警官と話をするために外出し、その後戻ってスタッフに患者、スタッフ、家族など全員を中庭に集めるよう頼んだという。
ある者は他の病院に避難させられ、
またある者は拘束された。
MedGlobal社のZaher Sahloul社長によると、軍隊は病院の放射線科と手術室を破壊し、人工呼吸器を破壊したという。
イスラエル軍は、ハマスの戦闘員が病院で活動していると主張し、職員に何度も警告した後、襲撃を開始したと述べた。
アブ・サフィヤ氏が拘束された数日後、
74歳の母親が死亡したとエリアスさんは語った。
「拘束されて以来、泣き止まなかった」
と彼は言った。
アブ・サフィヤ氏は現在、ヨルダン川西岸地区にあるイスラエルのオフェル刑務所に拘留されている。
9月に彼を訪問したイスラエルの人権団体「フィジシャンズ・フォー・ヒューマン・ライツ-イスラエル」は、
彼は裁判官の面前にも連れてこられず、尋問も受けておらず、なぜ拘束されたのかについての情報もないと述べた。
アブ・サフィヤ氏は、自分も他の被拘禁者も不十分な食事と医療を受けていると言い、
拘禁以来体重が約25キロ減ったと付け加えた。
同団体によると、
アブ・サフィヤ氏は独房の捜索中に看守が定期的に囚人を殴っていたという。
イスラエル人は「彼がガザの象徴であることを知っていた」と、カマル・アドワン病院襲撃でアブ・サフィヤ氏とともに拘束されたフリージャーナリストのイスラム・モハメッド氏は語った。
彼は一時期、スデ・テイマン刑務所でアブ・サフィヤ氏と同じ時間帯に、独房は違えど拘束されていた。
彼と他の被拘禁者はしばしば殴られ、看守は侮辱的な言葉を浴びせたという。
「拘留中から釈放されるまで、非人道的な扱いを受けていました。
殴打という言葉では言い表せない。」
イスラエル当局は、囚人の扱いに関する法的基準に従っており、刑務所の職員による違反は調査されると述べている』

