
イ ランとの戦争の中、入植者達はそれを好機と捉えてパレスチナ人達を襲撃 ~ オーレンとバーゼル
https://www.972mag.com/west-bank-closure-israeli-settler-violence-iran/
シェアさせてもらった記事からの抜粋です。
機械訳なので、ちょっとわかりづらいかなと思った箇所は自分なりに補正しました。
参考資料等の詳細は、元記事様でご確認ください。
その3です。
『オーレン・ジヴとバーゼル・アドラ
2026年3月4日
ドゥマでは、軍が村とその周辺のベドウィン集落を含む地域を1か月間封鎖する軍事区域に指定し、住民以外の立ち入りを禁止した。
住民や活動家達は、この命令は入植者による襲撃が急増する中で現地に滞在している保護活動家を阻止することを目的としていると述べている。
ある活動家は+972に対し、兵士らが数日前にこの地域を巡回し、活動家の拠点の位置を特定したと語った。
活動家が立ち入りを禁じられたため、入植者達は火曜日の夕方までに、滞在先の住居を既に破壊していた。
軍事区域閉鎖命令は、表向きは入植者にも適用されるはずだが、実際には彼らに対して執行されていない。
「月曜日、入植者達が村の電線を焼き払い、使われていなかった鶏小屋を破壊しました」
と、閉鎖前に村を訪れていたイスラエル人活動家のエスティ・レヒト氏は語った。
被害状況を確認するためにパレスチナ人である2人の若者がやって来たところ、
入植者達がATVに乗って現れ、彼らを襲撃しようとしたという。
「入植者達は、2人に催涙スプレーをかけ、
別の若者の頭を棍棒で殴り、
私にもスプレーをかけました。
パレスチナ人の1人を殴り、携帯電話を盗んでいきました」
レヒト氏は、兵士が襲撃の最中に到着したが、
「目の前で若者が殴られているのに、何もしなかった」と語った。
その後、入植者達は彼女の車のタイヤ4本すべてをパンクさせ、ヘッドライトを破壊した。
「彼らは、いつも暴力的です」
と、彼女は言った。
「でも今は、さらに何でも許されるという命令が出されたように感じます。
彼らは、すべてのコミュニティを根絶しようとしている。
恐ろしいことです」
彼女は閉鎖された軍事区域について、
「入植者達は、何でも許されるのです。
しかし、我々は何も許されません。
住民は、保護なしではそこで生き延びるのは難しいでしょう」と付け加えた。
2025年8月23日、ヨルダン川西岸地区にあるアル・ムガイイル村近郊で、イスラエル人入植者と兵士が操作するブルドーザーがオリーブの木を根こそぎにしている。(アヴィシャイ・モハール/アクティブスティルズ)
戦争が始まった土曜日の朝、
ヤセル・アワドさんはマサフェル・ヤッタのア・スファイ村の近くで羊を放牧していたところ、
4人の入植者がATVに乗ってやってきたという。
「彼らはすぐに私たちに石を投げつけ、羊を盗もうとしました」と彼は+972に語った。
アワドさん達は羊を連れて村の方へ退却したが、
別のATVが到着し、さらに3人の入植者が乗っていた。
「彼らは石を投げ続け、家に向かって移動する私達を追いかけてきました。
私達は体当たりで彼らを押し返し、羊を奪われないようにしようとしました」
と、彼は回想した。
さらに多くの入植者が村に到着し始めると、
そのうちの一人が拳銃を取り出し、家のそばに立っていた住民に向けて6発連続で発砲した。
「子供や女性は、恐怖と不安で叫び声を上げていました」
と、アワドさんは語った。
「弾丸の1発が私のいとこのファデル・マカムラの手に当たり、
彼は血を流しながら地面に倒れました」
軍服を着てライフルを持った別の入植者が、
自分の家のそばに立っていた若いパレスチナ人男性に発砲した。
その若い男性は壁の陰に身を隠して、間一髪で弾丸を免れた。
「警察に通報しましたが、その間、警察も軍も来ませんでした」
と、アワドさんは語った。
「パレスチナ赤新月社にも連絡しましたが、近隣のヤッタ市から村へ通じる道路はすべて閉鎖されていると知らされました」
その結果、救急隊員はビデオ通話を通して、住民にマカムラさんへの応急処置方法を指示せざるを得なかった。
救急車は1時間ほど後、荒れた農道を走ってようやくアスファイに到着。
村の入り口を塞いでいた入植者達が救急車の通行を阻み、
警察と兵士が約15分後に到着するまで、さらに足止めされてしまった。
その後、ようやくマカムラさんはマサフェル・ヤッタの病院に搬送された。
事件後、軍は入植者の協力を受けて、約20人の若いパレスチナ人男性を拘束した。
そのうちの一人、アミール・アワドさんは、
4日経った今もイスラエル軍の拘留下に置かれている。
イスラエル軍は+972の要請に対し、イスラエル市民とパレスチナ人の間で「激しい衝突」があったとの報告を受け、兵士を現場に派遣したと述べた。
さらに、イスラエル市民1人が「空に向けて発砲した後、容疑者の1人に向けて発砲した。その結果、容疑者1人が負傷し、治療のため搬送された。また、パレスチナ人の容疑者1人は現場で部隊に拘束され、警察の取り調べのため移送された」と付け加えた。
月曜日の午前2時頃、軍は再び襲撃を行い、家々を捜索してアワドさんの兄弟と叔父を逮捕した。
アワドさんによると、兵士の一人が彼の母親を脅迫し、
「息子が来なければ、家を焼き払い、お前をガザに送るぞ」
と言ったという。
彼は、弟(みなるん注:兄?)が軍用車両内で兵士達に激しく暴行され、その後、軍の基地内でも再び殴打された後、
キリヤット・アルバの集落にある警察署に移送され尋問を受けたと述べた。
彼とアワドさんの叔父は後に釈放されたが、当局は弟の身分証明書と携帯電話を押収した。
軍は+972に対し、「逮捕と虐待に関する申し立てについては承知していない」と述べた。
近隣のスシヤ村では、火曜日、
14歳のモアタズ・ナワジャさんが羊の群れを放牧していたところ、
入植者達がパレスチナ人の私有地に侵入した。
住民によると、入植者達はナワジャさんにひざまずくよう強要したという。
村の他のパレスチナ人が近づき、ナワジャさんを解放するよう求めたところ、入植者の1人が実弾を発砲した。
現場にいた軍は、ナワジャさんと他の住民4人を逮捕したが、数時間後に釈放した。
入植者の逮捕者は出ていない。
軍報道官は+972に対し、数人のパレスチナ人が「入植地に近づき、立ち退きを拒否した」との報告を受け、部隊を派遣し、「彼らを解散させる試みの一環として発砲した」と述べた。
また、この事件は「調査中」であると付け加えた』
イランとの戦争の中、入植者達はそれを好機と捉えてパレスチナ人達を襲撃 ~ オーレンとバーゼル
https://www.972mag.com/west-bank-closure-israeli-settler-violence-iran/
シェアさせてもらった記事からの抜粋です。
機械訳なので、ちょっとわかりづらいかなと思った箇所は自分なりに補正しました。
参考資料等の詳細は、元記事様でご確認ください。
その2です。
『オーレン・ジヴとバーゼル・アドラ
2026年3月4日
ヨルダン渓谷北部では、入植者達がサムラ村をほぼ毎日襲撃している。
日曜日には、別の入植者グループがアル・ハディディヤ村でポグロムを実行。
兵士達は現場にいたものの、介入するどころか、活動家達が現場に駆けつけて支援するのを阻止した。
ヨルダン渓谷活動家協会に所属するイスラエル人活動家、アミール・ペリー氏は、
住民の要請を受けて、入植者によるパレスチナ人村落への攻撃を抑止、あるいは少なくとも記録することを目的としたボランティア活動「プロテクティブ・プレゼンス(保護活動)」の一環として、すでにアル・ハディディヤに滞在していた。
彼が到着した時、イスラエル兵は、投石容疑でパレスチナ人を逮捕していた。
兵士らが彼を連行した後、入植者達が村に侵入した。
2026年3月1日、アル・ハディディヤ地区でパレスチナ人男性を拘束するイスラエル兵軍。(ヨルダン渓谷活動家提供)
「ヒルトップユースの若い入植者達が大勢、コミュニティの反対側に向かって走っていくのが見えました。
その中には、過去の事件で顔見知りの者もいました」
と、ペリー氏は語った。
「私は、彼らの後を追いました。
彼らは貯水タンクをすべて開けましたが、私は閉めました。
彼らは家々の間を通り抜けて家の中に入り込みましたが、私は彼らが家に入るのを阻止しようとしました」
同氏によると、グループの一部は複数の家を破壊し、電気系統を損傷させ、テレビを壊し、イフタール(断食明けの食事)のトレイをひっくり返し、寝室の毛布やシーツを散乱させたという。
その後、さらに多くの入植者が到着した。
「突然、周辺地域の前哨基地からピックアップトラックやATVが村に押し寄せてきました」
と、ペリー氏は続けた。
「彼らは、住民を挑発し始めました。
混乱と衝突が勃発し、石が投げつけられ、棒による攻撃や殴り合いになりました。
それまでずっと傍観し、何も対策を講じなかった軍隊が介入し、
村のパレスチナ男性のほぼ全員を逮捕し始めました」
ペリー氏によると、
兵士達がパレスチナ人を拘束した際、入植者達が手錠をかけられた拘束者の1人を襲撃し、暴行を加えたという。
「軍が介入し、彼らを引き離し、
パレスチナ人だけを連行しました。
入植者の1人が軍に対し、家の中にいる別のパレスチナ人男性を探しに行くよう指示していました」
ペリー氏によると、約7人のパレスチナ人男性が逮捕され連行された後、1時間足らずで釈放されたという。
異例な短い拘留時間だった。
入植者の逮捕者はいなかった。
ラマラ東部の地域でも、同様の光景が繰り広げられている。
月曜日、入植者達はアル・ムガイール村への唯一の入り口を封鎖し、パレスチナの旗を引き裂き、羊飼いを襲撃した。
現場に到着した兵士達は、
村と、入植者を押し戻そうとする住民に向けて、催涙ガスを発射した。
翌日の夕方、ラマダン明けの断食明け直後、
入植者と兵士が村の入り口に検問所を設置した。
検問所で足止めされた55歳のパレスチナ人男性は、
兵士が見守る中、入植者に棒で殴打された。
男性を治療しようとした医療関係者も暴行を受けたが、兵士によるものか入植者によるものかは不明である。
男性は、頭部に10針縫う怪我を負った。
軍は+972の問い合わせに対し、「そのような報告については承知していない」と回答した。
近隣のカフル・マリクでは、
月曜日に入植者達が羊飼いを襲撃し、村に隣接する土地で放牧されていた羊を盗もうとした』
イランとの戦争の中、入植者達はそれを好機と捉えてパレスチナ人達を襲撃 ~ オーレンとバーゼル
https://www.972mag.com/west-bank-closure-israeli-settler-violence-iran/
シェアさせてもらった記事からの抜粋です。
機械訳なので、ちょっとわかりづらいかなと思った箇所は自分なりに補正しました。
参考資料等の詳細は、元記事様でご確認ください。
その1です。
『「ヨルダン川西岸地区がイスラエルによって完全に封鎖された今、
入植者達はそれを好機と捉えている」
イランとの戦争の最中、
イスラエル軍はパレスチナ人の移動を制限し、パレスチナ人達を攻撃するイスラエル人入植者を支援する中、
入植者は、パレスチナ人2人を殺害し、数十の村を襲撃した。
オーレン・ジヴとバーゼル・アドラ
2026年3月4日
2026年3月3日、ヨルダン川西岸地区、カリュート村で、イスラエル人入植者によって射殺された住民2人の死を悼むパレスチナの人達。(オーレン・ジヴ撮影)
イランとの戦争激化に世界の注目が集まる中、
イスラエルはヨルダン川西岸地区を全面的に軍事封鎖した。
軍の支援を受けたイスラエル人入植者達は、
10月7日の直後に実行したように、この機会を捉えて、さらに多くの農村部のパレスチナ住民を土地から追放しようとしている。
土曜日の朝に戦争が始まってから数時間以内に、
イスラエル軍はヨルダン川西岸全域の検問所を閉鎖し、都市と村を結ぶ道路を鉄製の門と土塁で封鎖した。
さらに、これまでゲートがなかった場所にも、新たに鉄製の門を設置。
入植者達は掘削機を持ち込み、イスラエル軍がガザ地区での虐殺開始以来、道路を封鎖してきた地域で、パレスチナ人が過去2年半かけて切り開いてきた仮設通路を塞いだ。
日曜日、兵士らは複数の地域でパレスチナ人にビラを配布し、軍が「ユダヤ・サマリア地方全域に予防的な治安封鎖線を敷いた」こと、そして「追って通知があるまで」ヨルダン川西岸の異なる地区間の移動を禁止することを告知した。
ラマラとその周辺の町や村の住民にとって、
ヨルダン川西岸の他の地域へ通じる主要道路へのアクセスは完全に遮断されている。
「ここから出るのは不可能だ」
と、ある住民は+972に語った。
「市に入るために使われている反対車線から検問所を出ようとしたのですが、
兵士に捕まり、拘束され、車と身体を捜索されました」
ラマラの東部のドゥマ村では、
土曜日以来、兵士と入植者達によって唯一の出口が封鎖されている。
住民は、徒歩でも、車両を乗り換えても村を出られない。
これは、ヨルダン川西岸の他の封鎖されたゲートでよく見られる回避策とは異なっている。
「軍は労働者、子供、病人の出入りを阻止しています」
と、ドゥマの市長、フセイン・ダワブシェ市長は語った。
「月曜日には88歳の患者の避難を調整しようとしましたが、軍は拒否しました。
村は入植者に囲まれているため、徒歩で出ることは不可能です」
イスラエル軍の門で閉鎖されている、パレスチナの村アトゥワニ村の入り口。(Mo)
「私の息子は医者なのですが、もう1週間近く村に戻ることが出来ていません」
と、ダワブシェ市長は続け、調理用ガスや食料品の搬入も禁止されていると付け加えた。
「店は空っぽです。
ラマダン中は人々がもっと買い物をするのですが、何も売っていません」
イスラエル軍は土曜日、アトゥワニ村の入り口にある鉄製の門を閉鎖し、
マサフェル・ヤッタを横断する近隣住民が利用する主要ルートを遮断した。
医療を必要とする人は徒歩で避難せざるを得なくなり、
調理用ガス、食料、羊の飼料の輸送もほぼ不可能となった。
パレスチナ人が依然として封鎖状態にある中、
イスラエル人入植者は自由に移動を続け、C地区全域のパレスチナ人コミュニティへの攻撃をエスカレートさせている。
NGOイェシュ・ディンによると、
開戦後最初の4日間だけで、37のパレスチナ人コミュニティにおいて、少なくとも50件の入植者による暴力事件が記録されている。
ほぼすべての場合において、入植者はイスラエル軍の支援を受け、中には軍服を着た入植者もいる。
+972の問い合わせに対し、軍は「地域の安全と公共秩序を維持するため、治安および作戦上の理由から、特定の(ヨルダン川西岸の)道路における移動を制限している」と回答した。
最も多くの死者を出した襲撃事件は、月曜日にナブルス近郊のカリュート村で発生した。
入植者達がパレスチナ人の家の近くに新しい道路を舗装するために、オリーブの木を根こそぎ抜き始めた後(その道路は近くの入植地への通路となる予定だった)、
数人の住民が介入しようとした。
入植者達はまず住民に石を投げつけ、
その後発砲し、ムハンマド・ムアンマルさん(52歳)とファヒム・ムアンマルさん(48歳)の兄弟2人を殺害した。
少なくとも、もう1人の住民が実弾で重傷を負った。
軍が設置した道路封鎖をする検問所のため、救急車は1時間以上村に到着できず、負傷者を搬送ことが出来なかった。
火曜日、軍は銃撃犯が「イスラエル国防軍の現役予備役」であると発表し、彼の武器は押収され、刑事捜査が開始されたと付け加えた。
軍は、その兵士が地域防衛部隊(ヘブライ語でハグマルとして知られる)に所属していたかどうかについては、+972の質問に対して返答しなかった。
地域防衛部隊とは入植者で構成される、自分達の集落を巡回する大隊で、10月7日以降、ガザへの兵力移動に伴い軍が設立したものである。
同村の活動家で医療従事者のバシャール・カリューティ氏は、
銃撃から約1時間後に兵士が到着し、すぐにパレスチナ人の家に向けて催涙ガスを発射したと述べた。
「入植者達は占領軍から完全な保護を受けており、撤退計画も用意されていました」
と、彼は当時を振り返る。
「軍は事件が終わるまで介入せず、
その後、そこにいたパレスチナ市民を拘束したのです」
入植者達はその後、パレスチナ人が石を投げつけてきたため、発砲は自衛行為だったと主張した。
しかし、カリューティ氏はその主張を否定した。
「殉教した2人は、自宅の庭で子供達と家族を守っていたのです」
と、カリューティ氏は述べた。
「入植者側がこの地域にやって来て、
家を石で攻撃し、その後、この地域にいたすべての人に向けて実弾を発砲したのです」
カリューティ氏にとって、入植者達が新たな戦争を利用していることは明らかだ。
「ミサイル警報が鳴り響いたまさにその時、彼らはやって来て発砲を始めた。
それは、計画的かつ組織的な行為でした。
情勢の緊張を受けてヨルダン川西岸で何が起こっているのか、完全に情報が遮断されているからです」
彼は、近隣のジャルードとタルフィットの町や、その隣の村でも攻撃があったと付け加えた。
「私達は、集落に囲まれているのです」』



