参考とすべき文献はういきに公開されいます。
英文:目次: https://archive.md/PZYa4 :
RELATIVITY THE SPECIAL AND GENERAL THEORY:相対論 特殊と一般の理論
A. EINSTEIN December, 1916
ここでは「同時性の相対性」を語っている9章を解読します。
9 章 「同時性の相対性」: https://archive.md/UmhpO :
ちなみに以下の訳はチャットGPTによるものです。
それから訳文にでてくる「堤防」というコトバは駅にあるプラットホームの事です。
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9 章 同時性の相対性
アインシュタイン:
これまでの考察では、特定の基準系として「鉄道の盛土(=プラットホーム)」を用いてきた。今、非常に長い列車が、図1に示される方向へ一定の速度 v でレール上を走行していると仮定する。列車内の人々は、この列車を剛体の基準系(座標系)として利用し、あらゆる出来事を列車に対して考察する。
図1(: https://archive.md/UmhpO :参照のこと)
このとき、線路上で発生するあらゆる出来事は、同時に列車上の特定の点でも発生することになる。また、同時性の定義は、堤防に対して行ったのと全く同じ方法で、列車に対しても定義できる。しかし、このことから、次のような自然な疑問が生じる。
ーーーコメントーーー
『また、同時性の定義は、堤防に対して行ったのと全く同じ方法で、列車に対しても定義できる。』<--アインシュタインの立場
静止系で行った同時である事の判断方法=左右から来る光を真ん中で見た時に同時に見えれば左右を出た光は『同時にそこを出た』と判断する方法の事。
これは前の章で定義した方法です。
そうしてこの方法は「静止系であっても静止系に対して運動している系であっても全く同じように使える」がアインシュタインの主張です。
さて「何故その様な主張が可能となるのか?」といいますれば「慣性系は全て物理的に同等である」がアインシュタインの相対性原理の基本スタンスであれば「一つの慣性系で成立した『同時についての判定方法』は他の全ての慣性系でも同じように成立する、という立場をとるから」がその答えとなります。
ーーーコメントの2ーーー
ここで注意すべきは『これまでの考察では、特定の基準系として「鉄道の盛土(=プラットホーム)」を用いてきた。今、非常に長い列車が、図1に示される方向へ一定の速度 v でレール上を走行していると仮定する。列車内の人々は、この列車を剛体の基準系(座標系)として利用し、あらゆる出来事を列車に対して考察する。』の記述です。
さて何故「非常に長い」と言ったのか、といいますれば「それは列車の先頭部と後端が見えない列車である」という事で、そうなりますと「列車内からホームを見ても動いているのは列車なのかホームなのか見分けがつかない」とアインシュタインは言っているのです。
そうであれば図1では「列車もホームも長く描かれている」のです。
そうしてここで「今まではホームを基準系(=静止系)としてきたが、今後は『非常に長い列車』を基準系(=静止系)とする」と宣言しているのです。
それはまた「相対性原理に従って『自由に静止系の変更が出来る』がアインシュタインの立場である」という事の表現でもあります。
さてそうであれば今度は運動系がホームであれば『また、同時性の定義は、堤防に対して行ったのと全く同じ方法で、列車に対しても定義できる。』となるのは必然なのであります。
さてその立場にたちますと「雷は運動系であるホームからみてホームの離れた場所AとBに同時におちた」となる訳です。
それを「今度は静止系である列車の中から見たらどうなるのか?」とアインシュタインは聞いているのです。
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アインシュタイン:
鉄道の堤防(=ホーム)に対して同時である二つの出来事(例えば、雷の閃光 A と B)が、列車に対しても同時であると言えるのか? これについて、否定的な答えを示すことができる。
雷の閃光 A と B が堤防に対して同時であるというのは、雷が発生した地点 A と B から放たれた光が、堤防上の長さ A→B の中点 M で出会うことを意味する。しかし、出来事 A と B は、それぞれ列車上の地点 A および B にも対応している。列車が走行している間の長さ A→B の中点を M ′ としよう。雷の閃光が発生した瞬間、この点 M ′ は堤防上の点 M と一致するが、その後、列車の速度 v で右へ移動する。
もし列車内の観測者がこの速度 v を持たなかったならば、彼は常に M に留まり、A および B から放たれた光は、彼の位置で同時に到達するはずである。しかし、実際には(堤防から見た場合)、観測者は B からの光の波面に向かって進んでおり、同時に A からの光の波面から遠ざかっている。したがって、観測者は B からの光を A からの光よりも先に受け取ることになる。列車を基準系とする観測者は、この結果から、雷の閃光 B が雷の閃光 A よりも早く発生したと結論する。
このようにして、次の重要な結論に達する。
堤防に対して同時である出来事は、列車に対しては同時ではないし、その逆もまた然りである(同時性の相対性)。 各基準系(座標系)は、それぞれ固有の時間を持つ。したがって、時間の記述をする際には、どの基準系に基づいたものなのかが明示されなければ、時間の記述自体に意味がない。
ーーーコメントーーー
『雷の閃光が発生した瞬間、この点 M ′ は堤防上の点 M と一致するが、その後、列車の速度 v で右へ移動する。』<--「列車を基準とする」とアインシュタインはいいながらここではまたホーム基準の表現を使っています。
このあたりがこの説明を分かりにくくしている部分でもあります。
列車を基準とするならば「雷の閃光が発生した瞬間、この点 M ′ は堤防上の点 M と一致するが、その後、点Mはホームの速度 v で左へ移動する。」と表現しなくてはなりません。
しかしながらその様に「運動の相対性を表現する」とそこからの説明が一段と複雑になり「ほとんど理解不能になる」のです。
従ってここは先に「列車を静止系とする」という宣言をしたにも関わらずまた「ホームを静止系にして話すことになっている」のです。
そうして「ホームを静止系に戻すことで」『しかし、実際には(堤防から見た場合)、観測者は B からの光の波面に向かって進んでおり、同時に A からの光の波面から遠ざかっている。したがって、観測者は B からの光を A からの光よりも先に受け取ることになる。列車を基準系とする観測者は、この結果から、雷の閃光 B が雷の閃光 A よりも早く発生したと結論する。』と説明する事が可能になっています。
さてそうであればここでのアインシュタインの説明は「列車を静止系とする」と宣言しながら落雷の状況の説明では終始一貫して「ホームを静止系として扱っている」のです。
それは『観測者は B からの光の波面に向かって進んでおり、同時に A からの光の波面から遠ざかっている。したがって、観測者は B からの光を A からの光よりも先に受け取ることになる。』という「光の波面の部分の説明」にも現れています。
このように光の波面を表現できるのはNT時間軸になっている静止系基準の場合だけである事に注意が必要です。
つまりはアインシュタインは「列車を静止系とする」と宣言しながら落雷の状況の説明では終始一貫して「ホームを静止系として扱っている」のです。
さてそうであればその説明はあくまで「ホーム基準」であって「列車基準ではない」という批判が出来ます。
その様に批判が出来るにも関わらずアインシュタインは『列車を基準系とする観測者は、この結果から、雷の閃光 B が雷の閃光 A よりも早く発生したと結論する。』と最後に至ってまた「実はこの説明に於いては静止系は列車なのだ」と主張しています。
さてこの状況はまた「もう一つのアインシュタイントリック」と言うべき説明の仕方であると言えそうです。
ーーーコメントの2ーーー
さてこのように「相当に無理やり感がある状況説明の結論」としてアインシュタインは『堤防に対して同時である出来事は、列車に対しては同時ではないし、その逆もまた然りである(同時性の相対性)。 』を持ってきています。
それでここの部分で言っている「同時」を「同時刻」と解釈するのであれば「その表現は納得できるもの」となります。
しかしながら「いやそれはあくまで『同時刻は同時である事である』」とするならば「そこにはまだ多くの議論の余地がある」という事になるのです。
さてその「同時についての議論」とは別に「アインシュタインの時間についての主張『 各基準系(座標系)は、それぞれ固有の時間を持つ。したがって、時間の記述をする際には、どの基準系に基づいたものなのかが明示されなければ、時間の記述自体に意味がない。』」には特に問題は無いように見えます。
そうであればそのような「同時についての議論の問題」をのぞいても「時間についての相対性を認識した事」が「アインシュタインが特殊相対論構築の足掛かりを得たポイントである」という主張には同意できるのであります。
ーーーコメントの3ーーー
とはいえ実は『 各基準系(座標系)は、それぞれ固有の時間を持つ。したがって、時間の記述をする際には、どの基準系に基づいたものなのかが明示されなければ、時間の記述自体に意味がない。』というアインシュタインの主張は「相対性原理=すべての慣性系は物理的に同等である」からの帰結として「すべての慣性系の時間軸はNT時間軸になっている」も含まれています。
そうであれば『各基準系(座標系)は、それぞれ固有の時間を持つ。』とアインシュタインが言ったときは「それぞれの慣性系はそれぞれ固有の一つの時間をもつ」=「それぞれ固有の一つのNT時間軸をもつ」という主張になっています。
そうして「ある慣性系から別の慣性系を観察すると、その慣性系のNT時間軸にある時計の進み方は遅れて観測される」となるのです。
さてそうであれば「アインシュタイン流の同時性の相対性の話の中」にはBT時間軸が登場する事はないのです。
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アインシュタイン:
相対性理論が登場する以前、物理学では暗黙のうちに時間の記述が絶対的な意味を持つと想定されていた。つまり、時間の概念は基準系の運動状態には依存しないと考えられていた。しかし、今見たように、この仮定は最も自然な同時性の定義と両立しない。もしこの仮定を放棄すれば、光の伝播の法則と相対性原理(第 VII 節で展開される)の間の矛盾は消失する。
ーーーコメントーーー
この仮定=時間の概念は基準系の運動状態には依存しない=従来の物理のとらえ方
最も自然な同時性の定義=前のページでしめしたもの=中点で同時に光を見る事
ここのアインシュタインの表現には注意が必要です。
「最も自然な同時性の定義」という表現には「なにやら個人的な感性の匂いがするから」ですね。
それはつまり「何を持って『最も自然である』とアインシュタインは主張しているのか?」という事であります。
まあその事はさておいてアインシュタインの気が付いたことは『時間の概念は基準系の運動状態に依存する』という事でした。
つまりはニュートン力学で前提となっていた絶対時間、それは「基準系の運動状態には依存しない時間」であり、ガリレイ変換を行っても変化する事は無かったものでした。
しかしながらアインシュタインはこの「相対性の同時性の考察」によって「時間は変化する=慣性系毎に違う時間の進み方でよい」に気が付いたのでした。
ーーーコメントの2ーーー
『この仮定は最も自然な同時性の定義と両立しない。』<--アインシュタインにとってはどこまで行っても「同時である事=同時刻である事」になっています。
さてそうであれば『この仮定は最も自然な同時性の定義と両立しない。』というのは実は
『この仮定は最も自然な同時刻の定義と両立しない。』であって
『この仮定は最も自然な同時である事の定義と両立しない。』ではないのですが、その部分はなかなか理解されない所であります。
そうしてそのスタンスはそのまま「静止系は客観的な存在ではない」という「アインシュタインの相対性原理の主張となっている」のです。
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アインシュタイン:
この矛盾は、第 VI 節の考察によって生じたものであるが、今やその考察は維持できないことが明らかになった。第 VI 節では、列車内を 1 秒間に距離 w だけ進む人は、堤防(=ホーム)に対しても同じ距離 w だけ進むと結論されていた。しかし、先ほどの議論によれば、列車内でのある出来事の所要時間は、堤防(=ホーム)を基準系とした場合の所要時間と等しいと考えてはならない。したがって、「歩行者が 1 秒間で鉄道の堤防(=ホーム)に対して距離 w を移動する」とする主張は、もはや正当化できない。
ーーーコメントーーー
『この矛盾』とは「光がガリレイ変換で成立している速度の加法則に従わない事」でした。
そうして「ガリレイ変換はもちろん時間は変換しない=時間は変換前と後で同じ=時間は変換元の慣性系で進んでいる状況のままに変換後の慣性系でも進む」のです。
しかしながら今や「慣性系毎に時間の進み方を変えて良い」のです。
さてそうであれば「光速が不変になる様に時間を調整すればよい」のであり「その様に慣性系間の座標変換を行えばよい」となります。
こうして「新しい座標変換則=ローレンツ変換の導出」とつなげていったのがアインシュタインの論文のストーリーでした。
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アインシュタイン:
さらに、第 VI 節の議論には、もう一つの仮定が含まれている。それは厳密に検討すると恣意的なものでありながら、相対性理論が導入される以前には物理学において暗黙のうちに受け入れられていた仮定である。
脚注
(堤防(=ホーム)を基準系とした場合の判断である。)
ーーーコメントーーー
アインシュタインがここでいっている「もう一つの仮定」とは「長さと言うものは固定していて慣性系ごとに変わる、ということはない」というものだと思われます。
それに対してローレンツ変換は「動くものの長さは短く観測される」というのです。
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第 VI 節の議論=古典力学で用いられる速度の加法定理
以下 第6章の訳文を再掲示しておきます。
第6章 古典力学で用いられる速度の加法定理: https://archive.md/RYyTO :
アインシュタイン:
さて、おなじみの鉄道車両が一定の速度 v でレールの上を走っているとしよう。そして、一人の人が、進行方向に向かって車両の長さを歩いているとする。その人は、速度 w で歩いている。では、その人が堤防に対して、どれほどの速さで、言い換えれば、どの速度 W で前進していることになるだろうか?
この問いに対して得られる唯一の答えは、次のような考察によって導かれるように思われる。もしその人が 1 秒間静止していたとすれば、彼は車両の速度に等しい距離 v を、堤防に対して進むことになる。
しかし、彼が歩いていることによって、彼はさらに距離 w を車両に対して進むことになり、したがって堤防に対してもこの距離を進むことになる。この w は、彼の歩く速度に数値的に等しい。
したがって、彼はこの 1 秒間に、堤防に対して合計で距離 W=v+w を進むことになる。
この結果は、「速度の加法定理」を表しており…(以下、文は途切れている)
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さて以上でアインシュタインによる「アインシュタインの『列車と雷』の解説」は終わるのですが、このアインシュタインの説明で納得して頂けたでありましょうか?
「分かった」と言う人がいた反面「いや、よく分からん」という声が多数あったのでしょう。
そうであればこそ ういき を始めとしてこの部分の解説記事が多数存在する事になったのであります。
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「相対論・ダークマターの事など 記事一覧」:https://archive.md/LqO4J
「その2:ダークマター・相対論の事など 記事一覧」:https://archive.md/ERAHb