参照資料 英文:目次: https://archive.md/PZYa4 :相対論 特殊と一般の理論
RELATIVITY THE SPECIAL AND GENERAL THEORY:
A. EINSTEIN December, 1916
次はいよいよ「同時性の相対性」を語っている9章とそのまえの8章になるのですが、ここでは
第8章 物理学における時間の概念について: https://archive.md/FOyci :を訳出します。
ちなみに以下の訳はチャットGPTによるものです。
それから訳文にでてくる「堤防」というコトバは駅にあるプラットホームの事です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー後半
8章「物理学における時間の概念について」
以下、前のページからの続きです。
アインシュタイン:
この定義が、二つの出来事に限らず、任意の数の出来事に対しても使用できることは明らかであり、それらの出来事の位置が基準系(ここでは鉄道の堤防)に対してどのように配置されているかにも依存しない。したがって、私たちは物理学における「時間」の定義へと導かれる。
この目的のために、鉄道線路上の A、B、C の各地点(座標系)に同一構造の時計を設置し、それらが同時(先の定義に基づく)に同じ針の位置を指すように調整すると仮定する。この条件の下で、私たちは「ある出来事の時間」とは、その出来事の直近(空間的に)にある時計の読み取り値(針の位置)を意味すると定義する。このようにして、あらゆる出来事に観測可能な形で時間値を結びつけることができる。
ーーーコメントーーー↓
ここでのアインシュタインが言っている『それらが同時(先の定義に基づく)』は『しばらく考えた後、君は同時性を判定するための次のような提案をする。レールに沿って距離 AB を測定し、その中点 M に観測者を配置する。この観測者は、例えば90°に傾けた二枚の鏡を使用し、A および B の両地点を同時に視認できる装置を持つものとする。もし観測者が二つの雷の閃光を同時に知覚したならば、それらは同時に発生したと判断できる。』の事ですね。
例えば「時計Aと時計Bの時刻合わせ」ではその中点に立つ観測者がその2つの時計の針の位置を「同時に一つの目で見て」合っていればOK、ずれていたら「どちらかを基準として他方を合うようにずらす」のです。
これを『同じ針の位置を指すように調整する』と言ってます。
こうやってまずは時計Aと時計Bを合わせる。
次に時計Bと時計Cを「この中点時刻合わせ法」で合わせていくのです。
さてそうできれば『私たちは「ある出来事の時間」とは、その出来事の直近(空間的に)にある時計の読み取り値(針の位置)を意味すると定義する。このようにして、あらゆる出来事に観測可能な形で時間値(引用注:ここで言っている時間値とは時刻の事)を結びつけることができる。』となります。
但しこの事が出来る前提条件は『光が A → M の経路を進む時間と B → M の経路を進む時間が等しくなっている事』であってそれはアインシュタインがいう様な『光の物理的な性質に関する仮定でも仮説でもなく、私が自由意志で設定する取り決め(規約)である』には当方は同意できないのです。
『光が A → M の経路を進む時間と B → M の経路を進む時間が等しくなっている事』という条件はまさしく「光の物理的な性質によらなくてはならい」と言うものが当方の見方、認識となります。
それに対してアインシュタインは「静止系、運動系に関係なく」「A → M と B → M の光の伝播時間が等しいとするのは、光の物理的性質に関する仮説ではなく、私が同時性を定義するために自由に設定できる約束事(規約) である。」ので「A → M と B → M の光の伝播時間は等しいのである」と言っているのです。
さてそうであればこそ「距離が離れた2つの場所で起きたイベントAとBが同時であるかどうか」を判断するには「それぞれの場所に於かれた上記方法で時刻合わせが済んだ2つの時計の時刻を確認すればよい」となり「その2つの時計が示す時刻が同じ」であれば「同時であるとして良い」となるのです。
それはつまり「アインシュタインの宇宙では静止系、運動系を問わず『同時刻であれば同時である』という宣言」であります。
ーーーコメントの2ーーー
アインシュタインの議論の進め方、ポリシーですが「時計と物差しを使って物事を数値化する」と表現する事が出来ます。
さてそうであれば「距離が離れた2つの場所で起きた出来事=イベントが同時であるかどうか」と言う問題はアインシュタインにとっては「それをどのように数値化するのか」という事になります。
その方向で得られた結論は「イベントが発生したその場所の最寄りの時計が表示していた時刻をもってそのイベントが発生した時刻とする」というものでした。
さてそのように定式化できれば「距離が離れた2つの場所で起きた2つのイベントが同時であるかどうか」については「同時刻であったかどうかを調べればよい」となるのでした。
そうしてそこで言われている「時刻」とは「観測者が立っている慣性系に独自のもの」でありますから「慣性系毎に同時刻であったかどうかの判断が異なるのは当然」となるのでした。
しかしながらここでアインシュタインが見落としたのは「慣性系毎にX軸上に置かれた時計の時刻合わせが済んだ状況は異なる」という事の内容であり具体的には「慣性系が異なる事による時間のずれ=X軸の時間軸がBT時間軸になっている事」を見逃していたのです。
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アインシュタイン:
この規約にはさらにもう一つの物理的仮定が含まれており、それに反する実験的証拠がない限り、ほとんど疑われることはない。この仮定とは、これらすべての時計が同一の構造であれば同じ進み方をする、というものである。より正確に言えば、基準系の異なる位置に静止している二つの時計を、ある特定の針の位置が同時(上述の定義による)となるようにセットした場合、その後も常に同じ「設定」が同時であるということである。
ーーーコメントーーー
『この規約』<--これは『「ある出来事の時間」とは、その出来事の直近(空間的に)にある時計の読み取り値(針の位置)を意味すると定義する。』のことですね。
そのためには「慣性系のどの場所に置かれた時計であってもその時計が時間を刻むテンポは同じである事が必要」と言ってます。
まあそれは当たり前の事であって「そうでなければ時刻合わせをした意味がなくなる」という事になります。
というよりも「それは一つの慣性系を取り上げた時にその慣性系内ではどの場所であっても時間の進む速さは同じである」という「時間そのものの性質の事」を言っていると理解できます。
つまりはそれは「時計が正確に作られたから」ではなくて「物理空間が持っている時間についての性質」と理解されるのです。
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アインシュタイン:
脚注
さらに仮定することとして、異なる場所で A、B、C の三つの出来事が起こり、もし A が B と同時であり、B が C と同時であるならば、A と C の出来事もまた同時である(先の定義による同時性)。この仮定は光の伝播に関する物理的仮説であり、もし私たちが光速度不変の法則を保持するならば、必ず満たされなければならない。」
ーーーコメントーーー↓
『さらに仮定することとして、異なる場所で A、B、C の三つの出来事が起こり、もし A が B と同時であり、B が C と同時であるならば、A と C の出来事もまた同時である(先の定義による同時性)。』
『異なる場所で A、B、C の三つの出来事が起こり、もし A が B と同時であり、B が C と同時であるならば、』そこからでてくる結論は『A と C の出来事もまた同時である(先の定義による同時性)。』で主張している仮定とは
『A と C の出来事もまた同時である(先の定義による同時性)。』
『この仮定は光の伝播に関する物理的仮説であり、もし私たちが光速度不変の法則を保持するならば、必ず満たされなければならない。」』
は
『A と C の出来事もまた同時である(先の定義による同時性)。』
は「了解できる仮定」ですがその後に続く文章
『光の伝播に関する物理的仮説であり』については先に宣言した
『光が A → M の経路を進む時間と B → M の経路を進む時間が等しいというのは、実際には光の物理的な性質に関する仮定でも仮説でもなく、私が自由意志で設定する取り決め(規約)にすぎない。」』と言う部分と矛盾している様に見えます。
ここで『光の伝播に関する物理的仮説』を持ち出すのであれば前段のこの部分
『光が A → M の経路を進む時間と B → M の経路を進む時間が等しいというのは、実際には光の物理的な性質に関する仮定でも仮説でもなく、私が自由意志で設定する取り決め(規約)にすぎない。」』
は
『光が A → M の経路を進む時間と B → M の経路を進む時間が等しいというのは、実際には光の物理的な性質に関する仮説です。』
とするべきであります。
しかしながらその様に表現するとそれはアインシュタインが自ら指摘しているように「循環論に陥る事になる」のです。
そうであればアインシュタインは「巧妙な言い回し」=『光が A → M の経路を進む時間と B → M の経路を進む時間が等しいというのは、実際には光の物理的な性質に関する仮定でも仮説でもなく、私が自由意志で設定する取り決め(規約)にすぎない。』でそれを避ける事にしたのです。
追記:以上の本文に於いてアインシュタインが主張している内容は1905年の論文で主張している「時計の時刻合わせのために導入したアインシュタイン コンベンション」の内容と実質的に同じものです。
そうしてそれについては以前の報告で検討してきた通りであります。
つまりは『光が A → M の経路を進む時間と B → M の経路を進む時間が等しい』という前提が成立しているのは静止系だけなのです。
そうして「運動系に於いては『光が A → M の経路を進む時間と B → M の経路を進む時間が等しくはならないい』のです。」
それがローレンツ変換が示している内容です。
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「相対論・ダークマターの事など 記事一覧」:https://archive.md/LqO4J
「その2:ダークマター・相対論の事など 記事一覧」:https://archive.md/ERAHb