先月末から「お城巡り」にハマっています。
先日、バスツアーで福知山城に行ってきました。
バスツアーの名前は
「わくわくゆったりーなミステリーツアー」。
行先が明示されていない日帰りバスツアーでした。
行先のヒントが示されていて、
「天守が魅力の築城当時から残る
明智光秀ゆかりのお城を見学」
とあり、お城の写真が載っていました。
通訳案内士試験や観光英検2級の設問みたい(笑)
明智光秀のお城って、有名どころは福知山城、佐和山城、坂本城。
明智光秀は1582年6月の本能寺の変で、
主君である織田信長に謀反を起こし、その後、秀吉に滅ぼされたために、
関連する建物や資料が失われています。
そのため、天守が再建されているのは福知山城のみ。
福知山城しか、ないやん。
兵庫を含め、関西に残る天守の多くは
白漆喰の塗られた白壁のお城が多いせいか、
素木の壁のお城は珍しく、
福知山城のような素木の壁のお城に惹かれてしまいます。
ただ、福知山城の天守は1986年に
市民運動により再建された鉄筋コンクリート。
江戸時代から残るのは
天守台の石垣と銅門番所のみです。
バスを降りると、正面の小高い山の上に天守が見えました。
青い空の下、緑の山に茶色の壁のお城、
美しかったです。
ボランティアのお城ガイドさんとともに、
お城に向かうと、
堀代わりとなっていた川に
かなり急な階段となった、扇形の橋が架かっていました。
新しく架けられた橋なのに、
特徴的な急な橋でした
福知山城の石垣の特徴といえば、
野面積といわれる
自然石の形のままに積まれた積み方。
そして、お寺などから供給された、
多くの五輪塔などの石が
転用石として使用されていること。
400年以上の歳月が経った今でも崩れていないほど、
崩れないように積まれた技術が素晴らしいです。
明智光秀の時代から残るのは
この転用石が多く含まれた部分だそうです。
天守閣内の展示の中には
本能寺の変の9日前に明智光秀が謡ったと言われる、
「時は今、天が下知る、五月かな
(時は今、天下を治める五月となったことよ)
"Now is the time, for Heaven’s decree is made known,
in this fifth month.※")」
歌が記載された資料が展示されていました。
こういう書物に記載されていたんだなぁ
と思うと感慨深かったです。
※CHAT GPTで最適な英訳を示してもらいました。
今回、お城を案内していただいたガイドさんの一人は
お年が89歳だそう。
この城山を頻繁に登っているせいか健脚で、
長生きするんだったらこうありたい、
と思いました。
そして、ガイドの仕事っていいなぁとあらためて、
感じました。