こんばんは。
少しご無沙汰してしまいました。先週は疲れが溜まっていたのか、ちょっとぐったりしつつも試作をしたり、打ち合わせをしたり。
月末はそうめん撮影!新しいそうめんの食べ方を研究中で早くもヒットありです♡この夏に試して欲しいそうめん特集なので、楽しみにしていて下さいね。


そして、昨日から愛すべき地元熊谷に帰って来ていました。
本日開かれた『荻野吟子 没後100年記念フォーラム』内の『輝く女性の生き方』をテーマにしたパネルディスカッションに参加する為です^_^

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みなさん、荻野吟子という女性をご存知ですか?
熊谷市、俵瀬産まれの偉人です。
少しご紹介しますね。
吟子は二十歳の時に婦人病を患います。男性医師を前に羞恥と屈辱を感じる経験をしたことをきっかけに、女医の必要性を強く感じ医者になる決意をします。幼い頃から聡明であった吟子はそれまで以上に勉学に励みますが優秀な頭脳を持ってしても当時の医学学校は女人禁制。その後、有志の協力を得て私立の医学学校『好寿院』に入学し、好成績で卒業します。しかし、ここでも女性の医療開業試験の受験は認められず‥‥。吟子の進む先には常に男尊女卑の高く険しい壁が待ち受けていました。それでもたゆまぬ努力を続けて決して諦めることなく、医者になることを決意してから15年。35歳の時に念願かなって日本初の女医一号に任命された、とても偉大な女性です。




一言でいうと、『女性の地位向上に尽くしたパイオニア』ですね。そんな彼女と同じ熊谷市出身ということを大変誇りに思います。そして、どんな困難に直面しても決して諦めることなく、血の滲む努力を続け、初心を貫き通した意思の強さには感服です。長い時を経て、今現在私たちに夢や希望、それに向かって努力することの大切さを力強くしめしてくれた私のふるさと熊谷市の大先輩として尊敬しています。


スケールは全く違いますが、私自身も二十歳の時に『若い女の子為の料理本を作る』と一念発起し、数々の困難はありましたが結果的に無謀とも思われた夢を叶えることが出来たので、僭越ながら親しみを覚えています。


今回このようなディスカッションに参加させて頂き、とても光栄で、また刺激をもらいつつ、充実した時間を過ごすことが出来ました。

私もまだまだ叶えたい夢がいっぱいあります。偉大な先輩を見習って、いくつになっても失敗を恐れずチャレンジする生き方をしたいなと改めて思いました^_^